3-15 悪霊、暴れる
†
悪霊と化した女性の、振り上げた巨腕がソーラヴルに叩きつけられる――その瞬間。
「――グルルルッ!」
真っ白な弾丸が走り抜けた。
そして叩きつけられた腕が、床を砕く。
「ハティ! ありがとう!」
白狼ハティが、ソーラの襟を咥えて飛び退いたのだ。
土埃と床の欠片が飛び散る中でソーラとハティが身構えた。
『はhaha は、ち、mmmmMIツ゛う゛う゛う゛!!』
さらに悪霊が手を伸ばす。狙いは店の奥の棚にある、ハチミツの壺。
その手に青白い燐光を纏う矢が突き立った。
セレネルーアの狙撃である。
そして、
「そこッ!!」
飛び込んだソーラが、黄金色の手甲で悪霊の腹を殴りつけた。更に身を屈めた背後から炎上する羽根が数本飛来し、悪霊の胸に突き立ち――爆発。
「店の外に! 『陽拳・大日天道』!!」
ソーラが叫んで、更にホルスが羽根を放った。
「ハティ!!」
そしてソーラの突撃と併せてハティが悪霊に体当たりする。
よろめいた悪霊が態勢を崩した瞬間、突き刺さったホルスの羽根が爆発し店の外に吹き飛ばす。
「【雷精術・雷霆結界】!!」
リオンの声が辺りに響くと、表に吹き飛んだ悪霊の周囲を、十の雷球が囲んだ。
その雷球同士の間に紫電が走り、雷界を結ぶ。
ブレントの店に向かって悪霊が手を伸ばすが、結界に触れた瞬間紫電が走り、その指先を焼いた。
「パパ!」
「ソーラ、セレネ! こいつはここで仕留めるぞ!」
屋根から飛び降りたリオンが叫ぶ。
「あらま結界術とか、リオンったらやるようになったじゃない」
リオンの隣に降り立つメイが槍を構えて口笛を吹く。
ブレントの店の前の道路は、馬車がすれ違える程度の広さがある。
そこに結界を張って、悪霊を閉じ込めた状態だ。悪霊を挟んで双子の姉妹とリオン、メイ、それぞれの得物を構える。
「な、なななな!? 僕の店が!?」
店の奥からブレントが出て来て、突然の出来事に驚いていた。
それも仕方あるまい。店の入口周辺が悪霊の初撃によって破壊されていたからだ。
「ブレントさんは来ちゃ駄目!」
ブレントが結界に触れようものなら、一瞬で黒焦げだ。
「衛兵を呼んで来てくれ」
「わわわ判った! 僕の店ェ!!」
混乱しながらもブレントは駆けて行った。
「よし。これ以上被害を出さないようにするんだ。……メイは闘気術、いけるか?」
「とーぜんだろ、誰に尋ねてるんだいリオン坊や。幽霊系魔獣は例外を除いて、攻撃も防御も魔力か闘気か、聖別された武器防具が必要――フッ」
メイが槍をさすると、緑がかった闘気がその槍に宿る。とても自然な闘気術のお手本のようですらある。
「そんなの中級以上の冒険者なら常識よ」
「さすが【疾風三突】」
「よしなよ、昔の二つ名なんて恥ずかしくなる――」
言うが早いか、メイの槍が霞んだ。
『ぎゅ、GYaあええええ゛け゛え゛え゛え゛!』
悪霊の脇腹に一瞬で六刺の穴が開く。そこから赤黒い負のオーラが漏れ出した。
勇者をして瞠目すべき速度の槍捌きである。
「今じゃ【閃風六貫】なんて呼ばれてるよ」
「すげっ……よし! このまま挟み撃ちにするぞ! 相手の集中を散らすんだ! 反撃に注意しろ!」
「はい、パパ!」
「了解。ソーラを援護する」
『ば、ば ぢ mi ヅぇ゛よ゛ ご ぜえ゛ え゛ え゛』
怒りと呪詛に顔を歪めた悪霊が動き出し、本格的に戦闘が開始された。
†
「ピィィッ!」
上空を舞うホルスに向けて悪霊の頭部から伸びた髪の束がうねり、まるで生きた蛇のように伸びていく。ホルスはそれを舞い躱すと、反撃とばかりに羽根を放った。
悪霊の頭部付近で起きた爆炎を目くらましに、両拳に陽光を纏った少女が吶喊する。
「【陽拳・大日天道】――【陽拳・黎明乱閃】ンアアアアアア!!」
全身で突撃し、悪霊のどてっ腹に右拳を突き立てたソーラは、そのまま黄金の闘気を宿らせた両の拳を高速で叩き込んだ。その数、一秒で十と二発。金の輝きと小爆発が連続するが、悪霊には全く効いていないようだった。
『GY……O、お、オオオオオ!』
煩わしそうに腕を振り上げ、虫を追うようにブンと振り払う――
「あっぶな!」
しゃがんで躱すソーラの金の髪が揺れる。
「ソーラ! 前!」
だが一撃を避けて一息つく間もない。
悪霊の足元から沸き立つ負のオーラが複数に収束し形を成し、まるで手の様にソーラを捕らえようと伸びてきた。
「――ッッ!」
慌てて後方に飛び退き、腕状オーラから逃げるソーラを掠めるように、三本の矢が宙を走る。禍々しい赤黒の負のオーラが、月銀の闘気で成された闘気の矢に射貫かれた。その瞬間、高熱の物体に冷水を浴びせたような音と蒸気が発生した。
「――今のは!?」
「【月弓・凍月散花】。穿った対象に霊的ダメージ」
さらに伸ばされる負の腕から距離をとりながら、ソーラが尋ねてハティに跨るセレネが答えた。
「あの悪霊、表面に闘気や魔力を受け止めて散らす膜がある。そこを叩いても中の本体にダメージが通らない」
「だからさっきの乱打、効果が薄かったんだ!」
「そう。必要なのは面の打撃力じゃなくて点の貫通力――もしくは」
目の前に迫る五本の腕を淡々と射貫いていくセレネ。
その言葉に、ソーラははっと気が付く。
ソーラに向かって来た腕にホルスの羽根が刺さって、爆発が起きた。腕の破壊には至らないが、爆発の衝撃であらぬ方向を向いた腕へと向かって、ソーラが飛び込む。
「――せ、い!」
気合と共に振るわれる金色の手刀。
負のオーラの腕が斬り飛ばされ、金炎に焼かれて消えた。
さらにソーラは伸びた腕を掻い潜り悪霊本体に最接近する。
「お、お、お!」
大きく振り被った左腕。
セレネとホルスの放った矢と羽根が四本、悪霊の腹に突き刺さり、一瞬だけゆったりとした膜がピンと張られた面となる。
「――【陽手・ えー】っ……なんか、手刀!」
そこにソーラが左手の斬撃を振う。金の闘気を纏う手刀が、悪霊の本体を守る防御膜を切り裂いた。
「でもって、その、――【すっごい貫手】!」
膜に開いた切断面に右手を突っ込み、その内側で金炎の闘気を炸裂させる。
『OOOOOォォォオオオオオ、ぐ、ア゛ア゛イ゛イ゛ツ゛ツ゛ゥゥゥウ゛ウ゛ヴ』
「やたッ! 今の、効いたみたい……って!」
膜の内部を焼いたソーラの闘気だったが、致命とまでは行かなかったようだ。すぐに内部に満ちるオーラが膜を修復し、更には突き込まれたままのソーラの腕を取りこもうと動き出す。
慌てて腕を引っこ抜いたソーラは悪霊の足元から湧き出す腕を斬り払って再び距離を置いた。
「そう。必要なのは線の切断力」
「パンチより効果があるね。今のを繰り返せば……」
「いずれは倒せる。けど、技の名前が残念」
戦闘中にも冷静なセレネのツッコミに、ソーラが言い返した。
「今思いついたばかりの技に名前なんて咄嗟に付けれないよ! しかも二つも!」
「イケルイケルドーシテソコデ諦メンダアツクナレヨー」
「なんで棒読み!?」
そんな馬鹿なやり取りを交わしながらも、金と銀の双子は牽制の矢を放ち、伸ばされる腕を掻い潜り、悪霊に痛烈な一撃を食らわせる。
悪霊を挟んだ反対側で、槍で悪霊の伸ばす負のオーラの腕を突き刺しながらメイが呆れてリオンに言った。
「アンタの娘っ子は、戦闘中というのに随分と肝が据わってるね?」
「面目ない」
悪霊の持つ負のオーラは、常人であれば僅かに触れただけで気分を害し、掴まれたり飲み込まれたりすれば失神、発狂、場合によってはそれだけで精神崩壊しかねない代物だ。
メイやソーラたちはさすがに掴まれれば即死などということは無いが、それでも危険であることには変わりはない。
だが、メイは逆に、全くの高評価だった。
「面目ない? 何言ってんだい、それどころか、あれは油断じゃなくて余裕の現れだろ。あんな小さいのに大したもんだよ。意識がおろそかになっているどころか、悪霊に対して集中しているのがビンビンに伝わって来るよ」
「自慢の娘たちだ――よっと!」
一呼吸の間に、リオンとメイが無数の斬撃と刺突を放った。雷と風の闘気を纏った刃が負のオーラの腕を、悪霊の防御膜をズタズタにし、その内部にまで届く。
だが。
「手応えが――おかしいな」
「リオンもそう思うかい」
「ああ。この悪霊、強いのに弱い」
「言い得て妙だね。でも、その通りだ。これは何かあるね……!」
幽霊系魔獣の厄介さは、物理攻撃に効果が無いところにある。
逆に言えば適正ランクであり、闘気や魔術で攻撃できる冒険者であれば、然程手こずることはないだろう。それは上位種である悪霊も変わらない。
最初こそ負のオーラの触手には驚きはしたものの、ソーラ達やメイたちは雑談までする余裕がある。
上級冒険者並みの戦闘力を持つソーラ達にとって、勿論メイやリオンにとってもこの程度の悪霊は苦戦するほどのことは無い。
周囲の被害を無視した威力の一撃を叩き込めば、それで消し飛ばすことができる。
しかし一方で、際限なく湧き出る負のオーラとそれで出来た腕。何度切り裂いても復活する防御膜は、この悪霊の強さに見合わない。霊的な耐久力が異常に高いのである。
メイの言う通り、何かあるのだろう。
「ハチミツが好きってだけで、こんな悪霊になるもんかね?」
「わからん! だが、それが判らない限り――悪霊はこのまま暴れ続けるぞ!?」
「そりゃ困った!」
リオンは周囲の状況を確認した。
「まずいな、人が集まってきている」
リオンが張った結界は、この程度の悪霊に破られるような代物ではない。だが、悪霊は諦めという概念など持ち合わせていない。ただ、自身の欲求に従って暴れ続けるのみである。そして、悪霊は時間が経てば経つほど凶悪で凶暴になっていく――
「仕方ない。削るのは止めだ。みんな、でかいのを叩き込むぞ! 周りの膜を中から吹き飛ばす!」
リオンの言葉に、全員が異口同音に「了解!!」と答えた。




