3-9 元勇者、怒る
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「ふぁ……あ、あー、っと」
大きな欠伸を一つ。
リオンは伸びをして、肩を解して立ち上がった。
ここは、マーカス傭兵団のアジト――その最奥、マーカスの寝室である。
貧民窟の一角にある崩れかけた洋館とは思えない程調度品が揃っている部屋にリオンはいた。これまた質の良く座り心地の良いソファに座って、ベッドの方を見ている。
「さて、そろそろいい時間かな。……滑稽で笑えるのも最初だけだな。何が悲しゅうて、男のケツを見続けなきゃあかんのだ」
視線の先には、裸で腰を一生懸命に振る獅子人の男がいた。
恍惚とした表情で腰を枕に打ち付けながら、シーツをボスボスと殴りつけ卑猥で暴力的な言葉を吐いている。
「ソーラとセレネを連れてこなくて良かった、情操教育上よろしくない」
気配を探れば洋館の庭や一階のホールに人が集まっているのを感じた。ざっと百と数十名。傭兵団の総数とほぼ一致する。
窓の向こうには月が出ている――本来だったらオーバリーがそろそろやって来る頃か。
「さ。じゃあ、始めますかね」
パチンと指を鳴らす。
その瞬間、マーカスに掛けられていた幻術が、解けた。
†
視界が突然明瞭になった――気がした。
その瞬間跨って殴りつけていたオーバリーの妹が、突然消えた。
「んな!? んだぁ、あのガキ、どこに行きやがった!?」
「どこにも行ってないぜ。元々いなかったんだからな」
横から聞き覚えの無い男の声がして、マーカスはベッドから飛び降りた。壁に立てかけておいた愛用の武器、槍斧を手にする。一瞬の判断と行動、そして武器の構え方。その全てが素早く隙が無い。一流の戦闘者の動きだった。
マーカスがハルバードの切っ先を向ける。そこに、見知らぬ男がいた。
「てめえ、何者だ! いつからそこにいる!?」
「俺か? 冒険者のリオンってものだ。何時から……といわれれば、お前と一緒に部屋に入って来たん――おっと!」
リオンと名乗る男が答え終わるより早く、マーカスは床を蹴った。ベッドを踏み越えて低く跳躍し、勢いを乗せた突きを放つ。
だが、そのハルバードの先端は侵入者リオンの顔を捕らえることが出来なかった。
軽い動きで、ひょいと回避されたのだ。
だが。
重たさを感じない動きで、マーカスはハルバードを操る。
「うぉら!!」
ハルバードとは先端に槍、斧、刺突を備えた長柄武器である。突きを避けても斧で払ったり、刺突で引っ掛けたりと変幻自在の技を繰り出すことができる。
斧の薙ぎ払いも、侵入者は回避した。ソファが切り裂かれ、中身の綿が飛び散った。
「今のを避けるた、やるじゃねえか」
「お褒め頂き、どーも」
油断なく得物を構え、マーカスは尋ねた。
「で、何時からこの部屋にいるんだって? あのメスガキはどこに消えた。テメェの仕業だろうが」
「だから俺は最初からこの部屋にいたし、あの子は最初からいなかったって」
「ああ!? なにを言ってやがる?」
「――幻術。昼月が出てたからな、娘にかけてもらったんだよ」
侵入者が言うには、スラムで少女を殴って気絶させたあとこのアジトに戻ってくる頃にマーカスは追いつかれ、その場で幻術を掛けられたのだとか。
マーカスは自分の両手を見る。
確かにこの手に、少女を殴りつけていた感触が残っている。
奥歯を引っこ抜く感触、オーバリーの妹が泣き喚く声、肌触り、流した血の味。
その全てを、マーカスははっきりと覚えている。
「それが……幻術だと!?」
「そ。すごいだろ、自慢の娘なんだぜ」
幻術士であれば、一時的に相手を酩酊に近い状態にすることも、幻覚を見せること、認識を弄ることも可能だろう。だが、ここまではっきりと相手の五感を支配するとなるとそれはもはや幻術師――しかも超一流の――の領域だ。
「それでテメェは、あのメスガキを助けに来た騎士さまってことか」
「いや。助けに来たもなにも、もう助け終わってるし」
「ほざけ!」
再びマーカスがリオンに襲い掛かる。
しかしリオンは巧みな動きで、マーカスの攻撃をなんなくよけ続けた。腰に差している剣の柄に触れようともしない。
「じゃあ、だったらなんでこの部屋に残っていやがった!? 俺を殺すためか!?」
「いや。あざ笑うためさ」
意外な言葉に、マーカスは動きを止めた。
「くっ、くくっ。ははは、いや、滑稽だったな。幻覚の中で、あの子をいたぶりながらお楽しみだったんだろう? 傍からみて、枕に跨って腰を振るお前最高だったぜ! きっと良い見世物になる。小屋を紹介するから、そこで腰を振らないか? お前だったらすぐに人気者になれるさ!!」
「――ぶっ殺す!! いや、手足をもいでから男娼窟に落としてやる!!!」
「おー怖い怖い。チンブラ獅子人が怒ってるぅー」
怒り、マーカスは闘気を開放した。
【身体能力向上】【知覚能力向上】【反射速度向上】【腕力強化】【脚力強化】【斬撃強化】【刺突強化】――ただでさえ強靭な肉体を持つ獅子人の身体。そこに強化系の闘気術が複数合わさり、驚異的な膂力となる。
今のマーカスであれば、まるでクリームのように岩を指先で掬うことができる。
そしてその身体能力の全てを乗せて、
「おおおお!! 【斧技・闘気斧塵】!!!」
武器に闘気を込めた一撃――単純にして、奥義とも言われるその技を放った。
音の速度をも超える速さで、ハルバードの斧刃がリオンを襲う。
当たれば人体など縦に真っ二つにできる一撃――しかしリオンは、それをかわして見せた。外れた必殺の一撃が床を打ち、爆発的な衝撃を周囲に撒き散らして床板を爆砕し、ぶち抜いた。
――かかった!
マーカスは、この攻撃は避けられると読んでいた。
威力ばかり高い、しかし怒り任せの単純な一撃。音速を越えて襲い掛かる刃を見てから避けることが出来なくとも、発動の瞬間とその軌道が判れば回避は可能だ。
この冒険者、飄々としていながらもかなりの実力者だ。
必ず回避する。
だからこそ、追撃を仕込むことが出来る。
リオンは爆砕した床にあって、その衝撃波を受けて身体を丸くしている。
第二の刃を避けることはできない――!!
「【――跳刃】!!!」
床を叩き壊すその反動で、リオンの首元目がけてハルバードが跳ね上がる。スパイク部分がギラリと光り、リオンの喉へと突き立ち――
マーカスの視界がぐるんと回った。
「……お?」
天井が見える。
舞い散る床板が見える。
くるんくるんと視界が回る。
自分の身体が――追撃技を放った体勢の自分の身体が見える。
喉を貫いたハズの侵入者の姿は見えない。
自分の身体の上に、頭が無い。
自分の身体の後ろに、剣を振り抜いた姿勢の侵入者がいる。
頸を斬り飛ばされたマシューと、リオンの目が合った。
ぞっと底冷えのする目と口調でリオンが言う。
「欠伸が出ンだよ、鈍間め」
マーカスは何かを言おうとした。
が、喉を失った口からは空気の漏れる音しかしなかった。
バチッと雷光が奔る。
紫電を帯びた剣が振るわれる。
落ちて来たマーカスの頭は野菜のように乱切りにされ、意識は魂ごと雷に焼かれ、この世から消え去った。




