2-26 元勇者、忍び込む
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森羅族の青年ナタリオを見送ったセレネルーアは、深々とため息をついた。
「ああいう手合いは苦手。あれで良かったかな」
傍らのハティに問うと、彼もまた困ったように首を傾げた。慰めるようにセレネの脚に頭をこすり付けてくる。
セレネや双子の姉ソーラヴル、そして父リオンは、一般的という言葉の範疇に収まらない部分が多々ある。そんな彼女たちであっても、人の心というものはどうしても扱い兼ねるところがある。
「いっそ傍若無人に振舞うことができれば楽なのに」
「くぅん……」
小さくため息をついて、彼女はぱしっと両の頬を叩いた。
気を取り直して、ハティと共に再び集落の中を歩き回る。
そして夜もとっぷりと更け、空に月が昇り切った頃――集落の真ん中、小さな広場となっているところに、セレネは戻ってくる。
そこで彼女は地面に膝をついて、両手を組んだ。
背中の翼を広げる。
空にぽつんと浮かぶ月明かりを受けて、その翼が柔らかい光を浮かべる。
「――彼岸と此岸の狭間にさ迷える魂よ。我、今その魂に仮初の姿を与えん。我が言霊聞きし者よ、その姿を現し、我が問いに答え給え――」
月光色の霊気を受けて、セレネの周囲に、ぼんやりと輪郭の定まらない人の形のようなもやが浮かび上がる。集落が襲われた際に、無念の死を迎えてしまった狐人たちの魂だ。大人、子ども、男も女も、十数名の魂がセレネの元に集まってくる。
祈りを奉げるような姿勢で、セレネは彼らの魂と語り合った。
彼らは口々に、この場所で何が起きたのかを語った。中にはただ泣き喚く者、痛みを訴える者、怨嗟を叫ぶ者もいる。死の瞬間の状況に引きずられて魂の有り様が歪んでいるのだ。
セレネはただ独りで、彼らの魂と向かい合う。
慈しみ、ともに痛みを分かち合い、慰める。
ひとりひとりと語り合ってその心に溜まった膿を吐きださせる。
そして、
(――かあさまは?)
「無事。今は安全な場所で、あなたが心安らかであることを毎日祈ってる」
(よかった)
「どこに行けばいいかわかる?」
(うん、だいじょうぶ。ありがとう、おねえちゃん)
そう言って、小さな魂はセレネに手を振って、空へと昇っていく。そこで待っていた他の魂たちと一緒に、もっと高い場所へと向かって、やがて見えなくなった。
それを見送ったセレネは大きく息を吐いた。
地面に寝そべったハティに寄り掛かり、その身体を枕に空を見上げる。
「良かった。誰も死霊にならなくて」
強い念を持ったまま死に、そして弔いもなく放置された魂は悪霊化することがある。それは生あるもの全てに害を成す不浄の存在だ。
そうなっては聖なる力を以て浄化するしかなくなる。それは、死者をもう一度殺すことに等しい苦痛を与える行為でもある。
意図してこの集落にやってきたわけではなかったが、この事件の被害者たちが苦痛のうちにこの世を離れるようなことにならなくて良かったとセレネは心から思った。
それもきっと――『 』の導きに違いない。
自分たちがリオンによって育てられていることと同様に。
「だからと言って、感謝はしてやらないけど」
そしてセレネは、月を見上げて一つの言葉を呟いた。
それは天へと還る狐人たちから教えてもらった、この事件を起こした者たち。
「――『異神教団』」
それが、この集落を焼き、狐人たちを害し連れ去り、そしてミーゴ村までもやって来たあのバシュマコヴァの属する組織の名。
「敵」
と、セレネルーアは小さく呟き、その思いを噛み締めた。
†
「そうか。狐人たちを……それは良かった。なに? ウグイ氏族の青年と……いや、セレネルーアが無事ならそれでいい。奴らはプライドが高いからな。そうなることもあるさ。気にしなくていい。……ああ、気を付けるんだぞ」
セレネルーアとの【念話】を終えて、さて、と呟いたリオンは辺りを見回した。
場所はミーゴ村に彼が建てた、客人滞在用の家ではない。もっとしっかりした石造りの建物である。歴史を感じさせる質実な造りは、いざという時要塞としても使えることを示していた。
時は深夜。
キザヤ王国王都の中心にある、堅牢な建物。
王城の一室に、リオンは不法に侵入していた。
窓に腰かけ、目的の人物が来るのを待つ。明かりの灯っていない室内、その寝台には一人の女性がシーツに包まって寝息を立てていた。
ほどなくして、扉が開閉する音。
「待たせたな……む、なぜ明かりを点けていない?」
僅かに警戒を含む声に、リオンは待ち人が来たことを知った。
パチリとリオンが指を鳴らすと、天井、そして壁際の燭台に火が点る。
驚いた人物が周囲を見回し、そしてリオンを見つけた。
「何者――!?」
その人物――三十代半ば、精悍な顔つきの男性が、扉に向かって下がりながら誰何する。
だが、先ほど簡単に開閉したはずの扉は、何故か鍵がかかったように――いや、まるで扉の形の彫像であるかのようにびくともしない。それもそのはず、指を鳴らした際にリオンがこの部屋を閉じ込める封印を発したからだ。
封印を魔術的に解除しない限り扉は開かないし、内外の音が互いに伝わることもない。
「陛下、どうかお静かに。危害を加えるつもりはございません」
男性――キザヤ王国の国王、ローランド・キザヤ・ブルフォードは警戒しながらもリオンの顔をみた。訝しみ、そしてはっと気が付く。
「そなた……もしや、リオンか? 勇者リオン? 壊神討伐のおり、相討ちになったはずでは!?」
「ええ、まあ――世間一般的には、そうなっているそうですねぇ……」
リオンは、思わず苦笑して答えた。
その顔を見て、ローランド王はため息をついて肩の力を抜いた。
「死んだとばかり思っていた。壊神討伐達成の祝いと貴様の死を祈念する式典をして、王都の大公園には貴様の銅像まで建てたんだぞ」
「それは申し訳ございません。こちらにも色々と事情がございまして」
「ふん。事情か。こうして化けて出て来たということは、再び表舞台に出るつもりか?」
じろり、と睨みながらローランドは問い掛けた。すたすたと歩いて、壁に設えてある棚から高級酒の瓶を取り出し、栓を抜く。
「そうする必要があれば吝かではございませんが、出来れば御免被りたく」
「だろうな」
ローランドは杯も使わず瓶に口を付けて、中身を煽った。
ごくごくと喉を鳴らしてのち、口元を手で拭うと、手にする瓶をリオンに放り投げる。
「良いのですか? おわ、マジ高い奴だこれ」
「一国の王の寝室に忍び込んでおいて、今更何を遠慮する? 畏まるつもりもない癖に」
「ごもっとも」
言われてリオンも酒を煽った。
「美味い」
「俺の秘蔵だ。心して飲め。……こちらとしても、貴様が生きていたなんて知られると面倒だ。貴族どもが貴様を取り込もうと騒ぎ出す。そのままできるだけ長く死んだままでいろ。生き返るなら他所の国でやってくれ」
「そうします」
瓶を投げ返すと、受け取ったローランドは寝台の端に腰を下ろした。
眠る美女を一瞥し、リオンを見る。
「手を出して無いだろうな? 俺のだぞ」
「寝かせてるだけですよ。朝にはスッキリ目を覚まします」
ついでに便秘気味から来る肌荒れが見て取れたので、胃腸の働きが活発になるように弱い【身体強化】を掛けておいたのは――彼女の名誉のために秘密である。
ローランドはそれを聞いて頷き、再び酒を煽る。
「それで、何をしに来た? 俺を殺しにでも来たか?」
「ご冗談を。それをしても俺の得にはなりません。ただ国が荒れるだけです」
「戯れを言っただけだ。殺す気だったら俺が部屋に入って来た時、問答無用だろう」
言ってローランドは目でリオンを促した。
「お願いが二つございまして。どこに掛け合うか悩みましたが、陛下であれば、俺の顔を知っているので話が早いかと思って頭を下げに来た次第でございます」
「そういう割に、頭が高いな。平伏すらしておらぬ」
「生前思いっきり利用されましたからね。殊更世間を騒がすつもりもありませんが、今後意に沿わぬ権力に従うつもりはございません。……テメェら国王様どもに下げる頭はもうねぇよ。散々働かされた代金を今支払えや」
凄まれて、ローランドは嘆息した。




