2-21 金の少女、殴り勝つ
†
軍隊大猩々・大尉級が、毒炎を纏った拳を無防備なソーラヴルに向かって叩きつける――その瞬間。
夜空を切り裂いて飛来する輝く物体が、アーミーコングの拳にぶつかった。瞬間、爆発が起こる。その威力で軌道が逸れた拳がソーラのすぐ横の地面を打った。
その隙にソーラはアーミーコングから距離を取る。慌てたアーミーコングの追撃は空振りに終わった。
アーミーコングの腕に刺さり、そして爆発を起こしたのは――真っ黒な鳥の羽根だった。
喜色を浮かべるソーラと、獲物へのトドメを逃し怒るアーミーコングが、同時に羽根が飛来した方を見た。
そこにいたのは――
「ホルスッ!!」
「ピィィッ!」
ソーラの使い魔である、黒隼のホルスが木の枝に止まっていた。
先ほどの爆発はホルスが放った羽根に封じられた魔力のものである。
「もう、遅いよー。……なに、夜だから仕方ない? 月の光じゃ遅くて溜まらない? 仕方ないじゃん。昼間、ホルスが調子に乗って使いすぎるから」
「ピィ……」
言われて項垂れるホルスである。
「狐人の子どもたちに良いところ見せようってするからだよ、もうっ」
ソーラが、顔に付いた泥を拭って再び拳を構える。
先ほどまでとは打って変わって不敵な笑みを浮かべて。
「けど――間に合ったからチャラにしてあげる。ちょうだい、ホルス!!」
「ピィッ!」
木に止まったホルスが翼を広げると、潤沢な黄金色の魔力を含んだ羽根が数十、打ち出された。
「バァッ!?」
先ほどの爆発を警戒したアーミーコングが飛び退く。
だが、ホルスが狙ったのはアーミーコングではなく――自らの主人であるソーラである。
背の翼で自分の身体を覆うようにしてホルスの羽根を受けたソーラ。その身体に、消え失せていたハズの黄金色の闘気が蘇る。
「三分の一くらいだけど……まずは十分!!」
再び手に、そして脚にも黄金の闘気甲を纏ったソーラが構えた。
これが最後の激突となる――アーミーコングもまた、吠えた。
「バァァァァアアアアアアアッッ!!!」
「はぁ……ああああああああああ!! 【陽拳・大日天道】ッッ!!!」
裂帛の気合を吐き、金色の塊となってソーラが突進する。
アーミーコングの振るった毒炎の拳と激突――しかし、先ほどの再現とはならなかった。一瞬たりとも均衡せず、打ち勝つのは金の拳。
そのままソーラは魔力防御層をも突き抜けて、その鳩尾に深々と拳を突き立てた。
「あああああ!! 【陽拳・日昇真撃】!!」
更にカチ上げるアッパーが、その巨体を浮かせた。
アーミーコングは盛大に血を吐くが、ソーラはまだ止まらない。
翼をはためかせ地面を蹴り、追撃を加える。
「【陽拳・白夜千連】!!!」
アーミーコングの巨体の周囲をソーラが残像すら残す速度で飛び回る。
右に左に、拳が、蹴りが、アーミーコングの身体を打ち据えた。一つ一つが骨を砕く威力だ。その余波で巨体が空中高くへと持ち上がっていく。
そして下から上に大きく弾き飛ばすパンチを放つと同時に、ソーラはアーミーコングの身体を追い越してさらにその上空へと飛び出した。
眼下。
アーミーコングの怒りと憎悪が渦巻くその表情――ソーラははっきりと、その瞳に映る自分を見た。
そう。皆が、ソーラのことを見ていた。
屋敷を守るミーゴの青年が、ゴブリンと戦う狐人の女性が、その場にいた全員が見ていた。誰かが呟やく。
「まるで太陽だ」
月を背に、その少女が掲げた両手は夜をも退ける強い金色の輝きを放つ。
「【陽拳――陽覇暴槌】ィィオオオオアアアッッッッッ!!!」
黄金色の闘気の全てを乗せた、渾身の鉄槌が炸裂。その瞬間、ソーラヴルの金炎が叩き込まれアーミーコングの全身へと広がり、その身体を焼いた。
巨体が吹き飛び、地面へと落下――いや、墜落。
轟音、衝撃。余りの威力に地面へとアーミーコングの身体がめり込み、木々が振動で揺れた。体内を走り回る金の炎が行き場を失い溢れ出し、高々と黄金色の火柱となった。
「……ッ」
その傍に、ソーラが着地する。
倒れ伏したアーミーコングの身体は、大地に叩きつけられた衝撃で全身の骨が折れ、身体中から突き出ていた。毒を帯びた闘気と血は金炎に焼かれ、火柱が収まってなおその身体に燻ぶっている。トドメの一撃を食らった顔に至っては完全に破壊され、体内に残っていた魔力が霧散していくのが感じられた。
アーミーコング・キャプテンは完全に死んだ。
「………………」
その顔を一瞥し、一瞬だけ瞑目したソーラヴルが、空に向かって拳を突き上げた。
「すげぇ」
「おい、あの嬢ちゃん勝ったぞ」
「一人で勝ったぞ……あの巨大な魔獣に殴り勝ったぞ!!」
遠巻きにソーラの戦いを見ていた、狐人やミーゴ村の人々が歓声を上げた。
皆が万歳しながら勝利の歓声を上げる中、ソーラはフラフラとする足を叱咤しているところだった。ホルスが肩に止まっただけで倒れそうになる。
「これが昼間だったらもっと楽に勝てたのに――勝ち惜しみだけどね……ふぁ、眠い……」
無理をし過ぎた。
ホルスに補って貰った闘気も限界まで使ってしまった。
視界の端に、ハティに跨ったセレネを見つけて、ソーラはにへらと笑う。
その次の瞬間、安心して意識を手放した。
†
「…………なんてこと。こんなの絶対おかしいわ……」
リオンは、目の前の女性が呆然と呟くのを剣を片手に聞いていた。
つい先ほど村長邸の方向で、金色の火柱が高々と上がったばかりだ。
「おかしいって、何が?」
「連れて来たアーミーコング・キャプテンが死んだ……こんなチンケな村に、アーミーコングの上位種を倒すことのできる冒険者チームがいるはずないのに、おかしいわぁ」
「それがおかしい事かどうかわからんが、目の前の事実を認めるってのは生産的な日々を送るための第一歩だと思うんだ」
リオンが剣の先端をミーゴ村を襲って来た魔獣の統率者――バシュマコヴァと名乗った女に向ける。そして、その周囲を指し示した。
「…………ッッ」
辺りに散乱するのは、ゴブリン数十とアーミーコングが七体分の、死骸である。
そのどれもが一刀の元に急所を切り裂かれ、或いは突き抜かれて倒れていた。
「あ、アンタだって十分おかしいのよ! のよ!? 自覚してるの!? ゴブリンだけなら未だしも、アーミーコングの指揮下に置かれる七小隊分をたった一人って……おかしい、ありえないわァ!? あなた一人で、B級冒険者チーム数個分の戦闘力ってこと!?」
「まぁ、結果的に、そうなるかな?」
気負いなくリオンが発した返事にバシュマコヴァは言葉を失った。
数の暴力。
単純に、とても単純に、たくさんいるということはそれ自体が強いのである。
それは一種の真理ですらある。
目の前の男は、なんの変哲もない一本の剣でその真理を覆して見せた。
あるいはS級冒険者であれば、あるいは英雄と呼ばれる者であれば、それを実現することもできるだろう。しかしそんな規格外がこの大陸に一体何人いる? まして、こんな山奥の村にいるはずが無い。
「な、なんでアンタのような奴がここにいるのよ!?」
「なんでって言われてもな。ほんと、成り行きで」
「な、成り行き!? 成り行きでアンタ、私たちと敵対するっていうの!?」
「それはちょっと違うな」
再びリオンが、切っ先をバシュマコヴァに向けた。
口調は軽いがその目は鋭い。
「成り行きなのは、ここにいた事。狐人に肩入れしてるのもな。だが、敵対するのは逆だぜ。お前が、俺たちに敵対してるんだよ」
「……敵対? 私があなた達に敵対? 罰当たりここに極まれりね。キワキワだわ!」
「何が言いたい」
「やっぱりアンタが私たちに敵対してるってことよ! 私たちはキツネさんたちに福音を運んで来たの! 楽園に連れて行ってあげるってね。それなのに、アンタはその邪魔をしてる! これを敵対と言わずに何を敵対と言おうかしら!?」
リオンは一つ、大きなため息をついた。
「どっちから敵対し始めたかなんてどうでもいい。それよりもあんたお仲間いるんだろ。ちゃっちゃとぶちのめして、その辺りの事教えてもらおうか」
そしてリオンが剣を構える。
バシュマコヴァも手にした鞭を腰だめに構え、同時に動いた。
リオンが飛び出し、バシュマコヴァも前に走る――と見せかけ、二歩で横に跳びのく。
「――なにっ!?」
茂みから、一体のアーミーコングが飛び出して来た。バシュマコヴァが連れて来た最後の一匹。今の今まで温存していたのだ。
不意打ちにリオンの対応が一瞬遅れた。
殴りつけられるのを、剣の腹で受ける。
「ぜあっ!」
そして気合を込めた一撃。
雷光を帯びた刃が、アーミーコングの頸を一刀のもとに斬り飛ばす。
アーミーコングはそれで絶命したが、最低限の目的は果たすことができた。
リオンが振り返った時、バシュマコヴァはそこにはいなかった。
仰ぎ見れば、
「……グリフォンだと!?」
巨大な獅子の身体に鷲の顔と翼を持つ魔獣が宙にあった。
その背に、バシュマコヴァが跨っている。
「ふん、やっと見つけた狐人たちのことは惜しいけど、アンタみたいなのがいるんじゃ今日の所は退くべきというお告げだわねきっと」
「ちっ、逃がすか!」
リオンは跳躍し、剣を振るった。
だがバシュマコヴァを乗せたグリフォンは身軽にその剣を回避する。
リオンは着地――その時にはグリフォンは更に高度を上げていた。
「……アンタ、名前を聞いとこうかしらぁ~?」
「リオンだ」
「それは――チッ」
バシュマコヴァが苦虫を噛み潰したような顔で、リオンを見た。
「同名とはいえ忌々しい――その顔と名、確と覚えましたわぁリオン。アンタは必ず殺して我らが神の生贄に奉げる。それまで精々その首洗って待つことねぇ~」
そう言い放つと、バシュマコヴァを乗せたグリフォンはその翼を羽搏かせ、夜空の中へと飛んで行く。
それを見送り剣を鞘に納めたリオンの傍に、ハティに乗ったセレネがやってくる。
「セレネ。そっちはどうだ?」
「ゴブリンに襲われて怪我した人が何人かいたけどもう治した。重篤・死亡はゼロ。何も問題無い」
「それはよくやったな! 流石だセレネ! それでソーラは?」
ぐしゃぐしゃとセレネの頭を撫でながら訊ねる。
「ソーラはデカブツ相手で消耗し過ぎて寝てる。それより父さん、アレ、射落さなくていいの?」
セレネが示したのは、遥か彼方へと消えようとしているバシュマコヴァのことだった。リオンには全く見えない距離まで離れている――そもそも今は夜だ――というのに、セレネは足元の石を拾おうか? みたいに尋ねてくる。
視えているし、当てる自信があるらしい。
――我ながらとんでもない娘たちだな。
「いや、気持ちはありがたいが必要ない」
「父さんが隠れていたアーミーコングやグリフォンに気付かないはずが無いし、最後の攻撃はワザと外してた。何か仕込んだ?」
するとリオンは得意げな顔で、「まぁね」などと答えるのだった。
ちょっと長めの投稿です。




