表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の人生を振り返ること

私は凡庸である。清々しいほどに凡人である。勉強は中の上、音楽の才能はなし、絵はろくに描けず、文章を書くのも人並み程度である。悪口ではない。私は実に、模範的に、平凡な人間である。



人生というものは、一言に言い表せないほどに多様である。私のように凡庸に生きて家庭でも築き、最後はその辺の霊園に骨を埋める者もあれば、10歳を待たずして道端で飢え死にする者もある。特に幼いころに虐待を受けていたなど、俗に言う悲劇などもすべて人生である。素晴らしきかな、とは言い難いものである。



なぜ私がこのような、支離滅裂かつ意味不明な文章を書こうと思ったのか。答えは明快である。答えを求めているからである。秘密の日記帳に殴り書きしたり親友に打ち明けたりすることと同義で、ただ自らの思考を文章という直線上に並べているに過ぎない。やはり凡庸である。



私はかつて二度、ハムスターを飼ったことがある。一度目は二年半ぐらい生きたと思う。二度目は一年ほどで死んだ。どちらも私の過失かもしれない。一匹目は病気、目が飛び出していた。二匹目は寒さが原因なのか、衰弱した。そこで私は死を学ばせてもらった。死とは寂しいものである。



花はなぜ黙して在るのかを不思議に思う。もしも花がニコニコして私の方を向いたらどうなるだろうか。もしも花がそのまま話しかけてきたらどうなるだろうか。「今日はいい天気だね。花見日和だ。」



読者の方は、人間のような生物とは自然界に起きる諸々の化学反応の「澱み」だ、という考え方をご存じだろうか。私はこの考え方をとても面白く、案外そうかもしれないと思っている。しかし、ならばなぜ人は大切な人を失ったときに悲しむのだろうか。これも化学反応なのか。



突然だが、私は竜騎士07氏の作品が大好きで、何度も読ませていただいている。私が思うに人の心をつかむ作品とは、文字通り命が宿っていて、その心臓が脈打つたびに私は感動を覚えるのだと。凡庸な私にはこの世界が滅んでも成し得ないことである。



お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ