竹
バイクで転んでから五日。梅本はこの間、まったく仕事を受けていない。
足首は厚いクッション材を下敷きにして、強めに巻いたテーピングと包帯で保護してある。一昨日の晩、見舞いがてらにここで晩飯を食っていった、花川の試行錯誤の末にできあがった努力作だ。かなり大袈裟な仕様になっていた。
たしかにこの状態でなら痛みを感じることはない。普通に歩くことができる。が、そもそも靴が履けない。藤木の助言により、眠るときには脚を心臓より高く、を実践していた。
そろそろ治ってもいい頃合いだぜ――梅本は足首に語りかけた。今日の昼間に、不動産屋からこの部屋の使用期日について、確認の電話があったせいだ。
そして夕方になると、今度は竹本から電話がかかってきた。
そのとき梅本は、包帯の奥深くで発生した痒みと戦っていた。竹本の声は意外に明るい。何かいいことでもあったのか、と想像を膨らませながら、梅本は耳かきのような細い棒状の物を探した。
梅本の現状を聞いた竹本が、夜になってから食い物とバーボンを携え、上機嫌でマンションへやって来た。
「俺が寝るところある?」と、部屋へ上がるなり訊いてくる。
飲酒運転という行為そのものに、正論をどうこうと吐くような奴ではなかったが、彼は一撃で免許取り消しになる行政処分を恐れていた。
梅本はぐるりと腕を回して床を差した。「そこらへん」
二人は、竹本の持参食を奪い合いながら食した後、冷蔵庫にストックしてあったビールとともに、Ⅰ・W・ハーパーを飲んでいた。
竹本の話によると――、
松コーポレーションはその業務を停止し、どこかの法律事務所が破産手続きを進めているそうだ。破産管財人やら債権者集会などの小難しいことは、まだまだ先の話になるとか。
営業部の松本や竹本、販売部の笹尾らは、すでに会社へは出勤していない。他の社員たちも皆散っていった。彼らにもそれぞれに生活があるのだから、脱線横転した列車にいつまでも乗っているわけにはいかない。
現在は残務処理で事務職数名のみが、陰鬱な感情を押し殺してオフィスの蛍光灯を灯し続けていた。
そんな事務から、退職に関する書類を受け取った竹本は、さっそくハローワークへ行き、雇用保険の申請をしてきたそうだ。自己都合の退職ではないので、すぐに支給される、と喜んでいる。
暗い話は早々に切り上げて、二人はテーブルを挟んで座り、およそ設計図と呼べないような落書きで盛り上がっている。
「……ここにアルミプレートをあててよ。革のバンドで固定するんだよ。意味不なリベットなんかをバシバシ打ってさ。細いパイプとかバネとか貼り付けといたら、お前のクソ軟弱な足首もメカメカしくなって恰好いいぜ」
「ふん、じゃぁそれ作ってくれよ」
竹本はもともと工業高校の機械科出身で、そういう工作物に聡い。ただ、そこは不良の吹き溜まり、で名高い学校なので、もちろん梅本は期待していないし、酒席上での与太話だと思っている。
こうして三時間ほど経過する間に、竹本の姿はだらしなく変貌していった。
彼は、バスタオルを首で結び、マントのようにしている。あとは靴下とパンツだけだった。出張った腹で片膝を立てると、トランクスの裾から片方のお稲荷さんが「お今晩は」と覗いていた。
竹本がふらふらとトイレへ立ち、部屋にすうっと静けさが降りてくる。普段から一人でいるのだから、気にならないはずなのに、梅本の口からはため息が漏れた。酔いの自覚はある。テレビを点けて、ザッピングしていった。
竹本は戻ってくる途中で、
「しかし静かな部屋だな。これだけ駅が近いのに電車の音が気になんねぇ。両隣には誰も住んでねぇの?」と訊いた。彼も少々呂律が怪しい。台所で水を飲み、ついでに顔を洗い、口を濯いでいる。
「あぁ、いるぞ。両隣とも普通のオッサン。単身者ばっかだから昼も夜も静かなもんだ」
ふ~ん、と竹本は思案顔になった。
「いいよなぁ、ここ。後どれくらい居られんの?」
「二週間は切ってるな。……十日くらい」
「マジかよぉ。もっと早くに呼んでくれたら、毎日でも来てやるのに」
「お前に毎晩来られたら、煩わしくてしかたねぇよ」
言って、笑いながらバーボンへ手を伸ばしたときに、梅本はグラスをこかしてしまった。テーブルの上をバーボンが氷とともに広がった。
あぁ……「お~い、そこにある布巾取ってくれよ」
「何やってんだよ。もう酔ってんのかぁ」
台所にあった布巾を投げて寄こした。
その恰好でいる奴に言われると、逆に腹も立たないようだ。
「だいたい、松本が来たときにお前も一緒に来ればよかっただろ。なにが、早く終われるようなら電話する、だ。恰好つけて、仕事をしてるふりしやがって」
「……松本? 松本がここへ来たって?」
竹本と入れ違い、布巾を絞るために立った。
「ほら、(たがわ)で飲んだ日あっただろ。笹尾も一緒でさぁ」
「ああ」
「あれの次の日だよ」
竹本はこぶしで額を叩き、ゲップする。「う~ん、いやぁ、聞いてねぇぞぉ」
梅本はリビングに戻ってきて、ビシャビシャになった紙皿を片しにかかった。
「お前こそ酔ってんのかよ……」
酒飲みは、ときに脳内で記憶の改ざんが行われる。言った、言わない、で人と衝突することが間々あるのだ。
竹本は「え~」と首を傾げて、パイ毛に覆われた乳首をボリボリと掻いていた。




