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「すぐ行って、教えてやれよ」
桔梗院は床にあぐらをかいたまま、嫌そうに顔を歪ませる。馬酔木に「ちょっと、もぉ!」とせっつかれて、ようやく、重い腰をあげた。
「面倒くせぇ奴だなぁ。――あ、みんなで行きましょうよ」
梅本が鼻息をつく。しかし、駄々っ子を優しく諭している時間はない。
「ナットの予備も持っていってやろう。馬酔木さんは三枝さんに報せてきて。後五分ちょっとあるけど、いちおうな」
植草としては内々に処理したいだろうが、間に合わなかったときのことを考えておかなければならない。後で、こちらにも非があるなんて言われては、事だ。やはりここは報告しといたほうがいい。
「俺が七階にいない訳も、ついでに言っといてよ」
馬酔木は少々不服そうながらも、うなずいて出ていった。その後を追うように、梅本と桔梗院も階段へと向かった。
急いで五階へ下り立ち、機械室を覗くや否や「それ、古いやつだぞ」と言って、作業の手を止めさせる。
横寝になり片手で作業していた植草は、一見して寛いでいるふうに見えた。体に厚みのある彼からすると、それが最適な姿勢なのだろう。
ビクッとした植草は、すぐにキッと睨み返してきた。
「もっと早く言えよ!」
これには二人とも腹を立てた。が、とにかく言い争いをしている場合ではない。
新しい基盤は、桔梗院が階段を下りながらプチプチから取り出していた。「ほら、コレ」と、ブスッとしながら手渡した。
植草の奪うような受け取り方に、桔梗院がさらに口を尖らせる。梅本は苦りきった表情で同情した。
さすがに植草のカプラーを抜く手は早かった。しかし、取付ける段になると急激に流れが止まった。
ポンピンタン植草の息が荒い。ワッシャーをつかむ指が微かに震えている。そして、ワッシャーを三回連続でつまみ損ねて、キレた。
「あぁもう! ダメダメ、今日は失敗。延期だ、延期」
オットセイがひっくり返ったような恰好になって、梅本たちを見上げた。
――なに勝手なことを言ってやがんだ!
「おい、代われよ、デブ」
言ったのは梅本だ。静かに見下したような言い方だった。
蹴る素振りで植草を後ろへ転がす。梅本の横顔を見た桔梗院はハッとして、渋々隣にしゃがんでナットとワッシャーを手のひらに載せる。助手を買って出た。
植草はなおも不貞腐れて言う。
「もう一分くらいしかないんだぜ。どうせ間に合わないって」
それには取り合わず、桔梗院が言った。
「真ん中のナットだけ留めて、配線を先に繋いじゃいましょうか」
カプラーを先に差してしまうと、線が邪魔になってナットを嵌められなくなる。それでも、通電が始まるまでに線を繋いでおく必要があった。
「そうだな」と、ひと言同意して、真ん中以外のワッシャーとナットを引っ掛け程度の仮止めに留めておいた。
四角い穴を覗きこむ、二人の頭がバッティングする。構わず片手ずつを使って作業を進めていく。
そこへ三枝がスマホ片手に飛び込んできた。
「どんな状況ですか!」
寝転んでいた植草がサッと正座する。
「配線は全部OKです。後は締め付けだけです」
三枝は、答える梅本の後ろへ回って、首元から覗きこんだ。二人の肩にトトンッと合図を残して、引き続き通話し出した。
二人は、ソケットと延長のエクステンションバーだけで回していった。すべての基盤にナットが触った時点で、桔梗院が身を引く。(本締めはお任せします)とその目が言っていた。
――おいおい……。ここまでやって、最後にパキッと割ったら……。
梅本の顔に笑みが浮かぶ。桔梗院もニヤニヤとしている。
放送が鳴った。
梅本はラチェットを使わずに締めた。その途中でカチカチと音が鳴った。緑の通電ランプが点灯した。残りの一つを締めて、梅本は止めていた呼吸を再開した。
「間に合いましたね」
桔梗院は音を鳴らさず拍手して見せる。
梅本はあぐらをかいた姿勢でガックリとうなだれた。
「勘弁してほしいよな」
これは植草と、桔梗院に向けても言ったつもりだ。
三枝が通話を終えて戻ってきた。さっと状況を確認してうなずくと、訊いた。
「五階の担当はキミですか?」その目は桔梗院を差していた。
桔梗院はギョッとする。「え、俺は六階ですよぉ」
「あれ、そうなの?」今度は梅本へ目をやった「でもキミは、たしか七階だよね」
唯一、階を希望した梅本だけは覚えていたようだ。
フッと息を吐いて、コイツです、とばかりに二人が後ろを振り向くと、ポンピンタンが消えていた。
「あ、の、野郎」と独り言ちたのは、桔梗院。梅本は床に後ろ手をついて、笑った。
「上の階の点検は終わってますから、後はカバーをきっちり取付けといてください。それが終わったら、忘れ物がないか、もう一度周囲を確認して一階のロビーで集合です」
「はい」「は~い」と、ずれた返事した二人は階段へ向かった。
階段に差しかかったときに「間に合ったぁ?」と、上の踊り場から声をかけてきたのは、馬酔木だ。
おう、と手をあげた桔梗院の顔は(それより、マンキンタン植草のクソ野郎がよ……)と、話したくて堪らない様子。
「七階と六階のカバーは、私が取り付けておいたから、もう戻らなくてもいいよーん」
「おぉ、やるなぁ」
「サンキュー」
梅本は軽く礼を言いながら、彼女を見直していた。




