竹本
隣の部屋で着替えている竹本に「あいかわらずだなぁ」と投げて、梅本は冷蔵庫を物色した。
竹本の部屋のリビングは十畳ほどあり、フローリングの床の端々に埃と毛が落ちていた。これが社内では綺麗好きで通っている男の住まいとは思えない。
以前来たときにはなかった、豪勢な革張りのソファが目を惹く。部屋の隅にドスンと置いてあるのが印象的だった。ソファは三人掛けのタイプだが、真ん中の背もたれを前倒しにしてテーブルにすることができるようだ。
梅本はキッチンからセルフで箸やら皿を持ってきた。この部屋の飲み物といえば、Ⅰ・W・ハーパー。バーボンと決まっている。今回のも二十本まとめ買いで激安だったらしい。あてはコンビニで調達してきたスパイシービーフジャーキーと、わさび味の柿の種。
Tシャツ短パン姿で戻ってきた竹本は、おもむろにバーボンを注いで、まずは一杯とグラスをあおった。
「今さらだけど、笹尾とか連れて来るんなら、電話したときに言っとけよな」
「あの後だったんだよ。しかも俺から誘ったわけじゃねぇぞ。約束があるから帰るって言ったら、相手がお前だってわかった瞬間、松本が一緒に行くって言い出したんだよ」
「何だそりゃ? あいつとはそんな付き合いをしてこなかったはずだけど? あいつと二人で飲み行ったなんて、研修中くらいだったような気がするし」
「俺もそう思ったんだけどよ。松本は昼前からあっちこっち走り回ってたからな。いろいろあって、今夜くらいは懐かしい面子で飲みたい気分だったんじゃねぇの。――まぁそれでよ。じゃ、久々に三人でって言ってたら、笹尾もついてきたんだ」
「その割には、全然飲んでなかった気がするけどな」
「そうだったか? ま、あいつは人の話を、姿勢を正してちゃんと聞くタイプだから」
「何言ってんだ。わけわかんねぇ」
観るともなしのテレビから、MCの豪快な笑い声が聞こえている。反して竹本の口からは怒気が濛々と漏れ続けていた。
呉服屋、楽器屋、家具屋、一緒にイベントを打つという話がまとまりかけていた矢先の惨事だ。会場の候補地まで絞っていたというのだから、それで得心がいく。出資金を募る前だったことが、せめてもの救いだったと、合間に安堵を滲ませた。それだと詐欺にあたらないらしい。
梅本は視線こそテレビに向いていたが、耳では聞いていた。
――こいつ、変わったな。
「それでお前、明日からどうすんの?」
そう尋ねたことを梅本は後悔した。
朝一番に出勤して、そこら中を掃除する奴。一見すると恐ろしく真面目な男かと思いきや、竹本にとってそれはただ狡知な技にすぎない。見返りがないとわかれば、この男は本性を現す。こいつが正真正銘のただ働きなんてするわけがない。
退職金どころか、今月の給料の心配をしなければならないはずで、出勤する意味がないとくれば、真っ先に逃げ出すはず。
そんなだった竹本が、明日から関係各位に謝罪して回ると言うのだ。
口では恰好いいことを言っていても、実際にどう行動するかはわからないが……。
――竹本、お前は逃げろ。逃げてくれないと、もう馬鹿にできなくなるじゃないか。
変わって梅本の現状を話し出すも、十一時近くになると、昼間の疲れと、小狡かった男の変貌にあてられて、梅本の体は前後に揺れ出した。
「もうか? アルコール弱くなったんじゃねぇの? ――じゃ、お前はその辺でてきとうに寝てくれよ。あ、そのソファ高かったんだからな。くれぐれも、寝小便とか寝ゲロとかすんじゃねぇぞ」
梅本は苦悶の表情を浮かべたまま、落ちていった。
顔を洗おうと洗面台に立つと、梅本の顔に落書きがなされていた。
( 三万カシテクレ ――竹)
慌ててベッドへ戻り、財布の中身を確認すると、たしかに札が抜かれている。梅本は間抜け面のままで,廊下へ飛び出して走った。
集合下駄箱の前で「どうしたの?」と松本。梅本の顔を見るや否や、すぐに察して爽やかに笑う。
竹本の靴を探すが、奴はすでに出掛けているようだった。
事後承諾の借用書を落とすのに、皮膚が赤くなるほど擦らなければならなかった――。
翌朝はドライヤーの音で目が覚めた。
ハッとして財布を探すが、部屋に置いてきたんだった、と思い出した。ポケットの千円札は妙な曲り具合ながらも無事だ。
――研修中の夢か。懐かしい。
ふと、壁掛けの丸い時計に目をやると、八時二十分。スマホでも確認する。時計の針は五分進めてあるようだ。意味があるのか? ついでに着信履歴を見てみる。本日の仕事依頼はない。
腰を叩きながらソファから立ち上がる。と、そこへ竹本が風呂場から出てきた。
「起きてるか? もう時間がないから朝飯抜きで出るぞ。線路をまたぐ道は混むから、駅まででいいよな」
酒で弛んだ腹を、タオルで円を描くように拭っていた。そのしょうもない裸体を見せつけられて、梅本はまた力なく座った。すっかり溶けてしまった氷水で喉を湿らせた。
「あぁ」
無駄に金をかけた、竹本のシビックに乗せてもらうのは久しぶりだ。
松コーポレーションへは九時半までに出社できればいいはずだが、竹本タイムでは、これでギリギリなのか。しかし、こんな事態の折、少々遅れたところで誰に責められるというのか。
「俺はすぐに支度できるから、お前もさっさと顔を洗えって」タオルを投げて寄こした。
受けそこなったタオルが、梅本の顔にビチャッと載った。
――これは今、お前がその仮性包茎を拭っていたタオルじゃねぇのかっ!




