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――俺は班長でも何でもないんだけどね。
梅本からすれば、所詮俺たちは同じ派遣スタッフであり、そこには上も下もない。給料だって変わらないはずだし、同列でひと括り。
ところが、彼らからは、おそらくこの中でも梅本が最年長だろうことから、それなりに気を遣っている感じがする。言葉遣いなんかがそうだ。若いつもりでいても、二十代前半の者から見ると、やはり三十の梅本はおっさんなのだ。
梅本はハッと短い息を吐いた。
「もう二時間もすれば終わるんだし、無に徹して、与えられた命令のままに動いていたらいいだろ」
あきらかに疲労困憊中の梅本がこう言うと、運搬組は呆けるだろう。実際、ハト胸くんは拍子抜けしたような顔をしている。が、すぐに懸念の色が浮かぶ。
一触即発の状況を何とかしようと思って口走ったにすぎないが、これだとどっちの味方かわからないし、運搬組の反感を買う。最初に突っかかっていった奴は、憮然とした表情を崩していない。
「でも、こいつら……」
梅本は、花川を真似て手首を振り振り、遮った。
「今からちょっと行って、俺から植木さんに言ってみるよ。(面倒くせぇ)社員さんも見ていることだし(たぶん見てねぇよ)事情は伝わると思う。(無理かもね)俺らは体が資本だろ。(健康第一だぜ)つまらないことで怪我でもしたら、収入がゼロになるって。(バイクにも乗れなくなるしね)怪我させても、損をするのが現実ってもんだしな(ここらで納得してくれよな)」
梅本は重い足取りで階段を上がっていった。
――お~い、一緒に行きますって誰か手をあげろよ!
(運搬組からだいぶ不満が出ています。険悪な雰囲気が漂っているので、カンネスサービスの私、梅本が代表として云々……。いえいえ、私はどっちだっていいんですけどね。えへへ)とでも言っておこうか。一つの提案もなしに、ただ何とかしてくれでは、こちらの覚えが悪くなるんじゃないのか……。
そんなことを考えながら二階へ上がると、中央付近で総括と、植木らカブラギの社員たち数名が歓談していた。梅本はその輪の外から声をかけ、やんわりと事情を伝えた。
社員らはそれを他人事のように、ときに苦笑し、聞いていた。その目が、下々の派遣風情が一端のこと言うもんだね、と言っているようだった。
結局のところ、班ごとにいる社員たちが状況を見ながら運搬組へ助っ人を出す、ということになり、梅本らの意見は聞き入れられた。
しかし、それで双方丸く収まるかというと……そうでもない。
睨み合った六人は終始険悪なままだったし、それは社員の目にも留まるほどだった。これは、名前と社名をチェックされたに違いない。
これ以上は知るところではないと思った。帰りにでも三対三で存分に殴り合ってくれたら結構だ。
とにかくそれ以降、助っ人がバラバラとやって来ては、大小問わず運んでいった。元の運搬組の作業は格段に楽になった。
それでも、序盤からペース配分を間違えていた桔梗院は、ここにきて息が上がっている。最新式の冷蔵庫を運搬しながら、梅本は反対側を押している桔梗院を気にかけた。
「こういうのも怪我の功名っていうのか? いろいろ不満を言ってみるのも、あながち間違ってないよな」
「童貞じゃあるまいし……穴は間違えませんよ……」
だいぶ疲れているのか、耳まで遠くなっているようだった。
こうして作業はぎすぎすとした中で進み、十七時十分前に集合がかかった。
簡単な終礼があった後、ゼッケンを返却し、各々の伝票に植木の印鑑が捺されていく。
「俺、速攻で事務所に寄らないといけないから、先に行きます」
ヒョロ長い桔梗院の体が、前のめりにカーブを描いている。
「おう、おつかれ」
「梅本さんは?」
「俺はまっすぐ帰るよ」
「そっすか。んじゃお先です」
彼は軍手を尻のポケットに差し込んでトボトボと帰っていった。
梅本がサインを貰って、荷物置き場へ向かうと、女性二人が彼の左右に寄り添った。
「へえ、時間を書くところが、そっちのは大きいんですね」
とくに不思議というわけでもないが、他社の伝票はそれぞれに様式が違う。合同現場が初めての者は、ピクリとそこに興味を示すのだ。
「へ? まぁそうだね」
「梅本さん、明日もよろしくお願いします」
「いや俺、今日だけなんだよね」
「えぇそうなんですかぁ」
「明日はどちらに行かれるんですか?」
黒い子と白い子が交互に喋る。
どこかの時点で株を上げたらしいことは、彼女らの好意的な顔付きでわかる。桔梗院ならこのチャンスを生かして、食事やカラオケに誘ったりするのかもしれない。
ただ、久しくこういうことがなかった梅本は、懐疑的になっていた。彼女らはどこの現場でも、毎回こうしてカモを物色し、帰り際に晩飯を集っているのではないだろうか。
「まだ決まってないんだよ。金もないし、何とかしないとね」
「へえ……」
梅本はリュックをちょいとすくい上げ、伝票を放り込んだ。
「これからどうされるんですか?」
やはり誘われているのかもしれなかった。
「いやもう、とにかくシャワーを浴びて、すぐにでも布団でひっくり返りたいんだよね」
色白でぽっちゃりとしているほうが、なぜか少し顔を赤らめる。
「梅本さんたち、走り通しでしたもんね」と、色黒で肩幅の広い女。
「ほんと今日は疲れたよ。――また、どこかの合同現場で一緒になったらよろしくね。それじゃおつかれ」
さっさと梅本は止まっているエスカレーターを下っていった。
背後で彼女らの声がしている。
疲労物質が梅本の心から冒険する余裕を奪っていた。
梅本は彼女らに宣言した通り、どこにも寄らずに帰宅して真っ先にシャワーを浴びた。
膝の外側、腱のあたりに違和感がある。足の裏が過敏になっていて、裸足で床を踏むたびにジンジンしている。回復するには何を置いても、まずは飯だ。
タオルを頭に載せた恰好で冷蔵庫を覗きこんだ。
今この時点で、明日は仕事の依頼があっても断ろうと思っていた。