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電動工具の音が断続的に響いている。
壁際の設置工事が朝早くから行われているようだ。
業務用エレベーターの前で軽いミーティングが行われ、派遣スタッフは六人組、五班に分けられた。 カンネスサービスのスタッフは、ちょうど六名だったので、一つの班にまとめられてしまった。
それぞれの班に、カブラギ電気の社員が二名ずつ付いて、指示を出しながら作業をともにする。 これなら梅本が危惧していた、リーダー的役割を押しつけられる心配はなさそうだ。
大人数の現場では、必ずといっていいほどサボる奴が出てくるのだが、六人に対して二人の監視役が付いているようなこの状況では、おそらく大丈夫だろうと思う。
このフロアを総括する人は、別にコンサルタント会社から来ているのだそうで、売り場レイアウトの専門家らしい。 植木らもよくわかっていないのか、事あるごとに、その一人ワイシャツネクタイ姿の専門家へ、おうかがいを立てることになる。
そして作業は、スチール製の什器を運ぶことから始まった。
広いフロアをせっせと行き交い、だいたい所定の位置へ運んでから組み立てていった。 台車が不足しているので、倉庫に近い所の担当班は手運びだった。 空調が止まっているせいもあり、皆それだけで汗だくになっていくのだ。
十分休憩を一度挟み、そろそろ昼飯かという頃までには、男女二名ずつの脱落者が出ている。 その対応に追われる者たちも、当然、作業中断を余儀なくされる。 すぐに替わりのスタッフが用意されるのか、営業さんが飛んで来るのか。 そんな心配をする余裕が、梅本たちにはない。 ちなみに、カンネスサービスから気分が悪くなった者は出ていない。
床にへたり込み、水筒を傾ける梅本に、桔梗院が言った。
「ちょっと思っていたよりハードっすよね」
「……あぁ」
スリムボトルの水筒が早い段階で空になった。 次に音を上げるのは、梅本かもしれない。
「風があるぶん、外のほうが涼しかったっすよ」
「そぉ?」
梅本は彼のベルトに手をかけて、立ち上がった。
「あ、ちょっと掴まらんといてくださいって。 俺も足がガクガクなんすから」
「よぉし、駅前のコンビニにでも行ってくるか」 声に出すことで気を張る。
「あぁ俺も行こうと思ってたんっすよ」
止まっているエスカレーターを二人して下っていく。
すると出入り口付近の木のベンチに女性が座っていて、弁当を広げていた。 こんがりと日に焼けた肩幅の広い女と、白いぽっちゃり体型の女。 対照的な二人だ。
「おつかれっす」 桔梗院はその二人へ気さくに声をかける。 「きみら、ここで? 三階へ行かねぇの?」
休憩前に植木が 「三階の休憩室を解放してあるから、そこで食事を摂ってくだぁさい」 と言っていたのだ。
「うん。 行ったんだけど、十人くらいしか座れないの。 ね?」
白いほうがうなずいて 「B社が独占していて、入りづらいのよ」
「へぇ、そうなの。 あ、気分が悪くなった友達は? 大丈夫そうだった?」
「友達っていうか、今朝初めて会った子たちだから。 ――うちの営業が来て、さっき乗せて帰ったみたいだけど……」
「昼からどうすんだろうね」 と、黒いほう。
「ね。 どうすんだろうね」 白いほうも首を捻る。
自分の会社から三人も脱落者が出た、という点に、彼女らは気まずさを感じていないようだ。 会社の看板を背負っているとか、仲間意識なんてものは、短期のスタッフに芽生えないのかもしれない。
所詮は個々。 もっといえば、好条件の仕事を奪い合うもっとも身近な者。 営業担当者は顔をしかめるだろうが、脱落者が出てくれてもかまわない。 あっちよりも、自分のほうが頼りになる、任せられると思われたい。 自分の評価が大事なのだ。
しかしそれは、その派遣会社の信用を失うもので、結果、仕事の依頼が減り、スタッフの待遇も悪くなりかねない。 長い目で見た場合、彼女らはフォローに奔走するべきだった。 それは営業の仕事でしょ、と割り切ってしまっては、いずれ自分に返るのだ。 それでは元も子もないのに。
こっちがダメになったら、あっち。――そんな、ひと所に長居する気はないという心持が、少しの思慮も閉ざしてしまうのだろうか。
梅本は、以前の自分と同じ考えをする女二人に嫌気がさしていた。 客観的に見れば自分もこうなのかと思うと腹立たしい。 それで口をはさんだなら、説教くさくなってしまいそうなので黙っていた。
梅本はゼッケンを外して、リュックにしまうと外へ出ていった。
気温は三十度を超えているはずだが、桔梗院の言う通り、風が迎えてくれて、駐車場のほうが涼しく感じた。 コンビニは目と鼻の先だ。
弁当とお茶を調達してきて、二人は店の裏手に向かった。 ここも駐車場だが、今は車が一台も置かれていない。 二人は日陰で地べたにあぐらをかき、さっそく弁当に取りかかる。
「梅本さん、昨日は?」 短期同士の会話といえば、これだ。
梅本は、思い出したくもないと顔を歪めてから、エステ店での出来事を語ってきかせた。 仕事じたいは楽だった、という情報は加えておいたが、嫌味を三割増しで話にぶち込んだ。
彼も、その店の場所と名前だけは知っていたようで 「へぇ、あそこってそんな店なんすか」 と渋い顔で相槌を打っていた。
桔梗院のほうはというと、単発で冷蔵庫部品の塗装をしていたらしい。 梅本も何度か呼ばれたことがある。 藤木モータースの近くにある下請け工場だ。 それで、今でも鼻の具合がおかしいとか……。 わかるわかるぅ、と梅本は笑ってうなずいた。 しばらくの間、鼻の穴の中に膜が張ったようで、カサカサになるのだ。
二人ともが食べ終え、ゆっくりと茶を飲んだ後、そろそろ戻っていようかということになった。 梅本の体力はだいぶ回復している。
そうして自動ドアをくぐると、なぜか花川が階段を下りてくるところだった。
三階からあぶれた者が、そこかしこで座っていた。 だいたいが疲れた表情でスマホに目を落としている。
「梅本さん、桔梗院さん、おつかれさまでーす」
桔梗院の名のせいか、花川にだけまとわりつく清涼な空気のせいか、梅本たち三人に視線が注がれた。