41
藤本が無口になったこともあって、どうにも後味の悪い散開になってしまった。
梅本はさっさと立ち去りたいという思いが先に立ち、派遣事務所に電話するのは後回しにした。帰りはバイパス道路を避けて、街中の旧道を選択する。来るときに嵌まった渋滞を嫌ってのことだ。
赤信号のたびに先頭に出て、邪魔な四輪を置き去りにしていく。
ふと停まった赤信号で、ヘルメットのシールドを開ける。西日がシールドに乱反射していて見にくかった。スモークシールドでも、眩しいものは眩しい。
梅本は派遣事務所に寄って、サイン伝票をさっそく換金するつもりだった。ここからだと二十分くらいだろうか。
ところが、その交差点の右方から来た車が、直進せずに皆、右左折していくのを見ていて気が変わった。梅本から見ると左方向へ行く車が、たまたまかもしれないが一台もないのだ。
そういえば、この先にちょっとした峠道があったはずだ。そこは確か、軽自動車が何とかすれ違うことができるような幅の道。何度か通ったことはある。しかし、今いる新しい道路ができてからというもの、あそこを通った記憶がない。ぐるっと回って、結局はこの道と合流するのだから、当然といえば当然だが……。
それで梅本は、ここまで来たついでに、ちょっと走ってみようかと思いたった。確実に遠回りだ。が、それも一興。気晴らしになるかもしれない。どうせ明るいうちに帰宅したところで、寝るまでずっと暇なのだ。
梅本はニヤリとして、指示器を点滅させた。
左折して道なりに行くと、すぐに民家はまばらになり、やがて記憶通りに峠道の入り口に至る。追従してくる者はいない。そこで路肩に一旦停車して、事務所に連絡を入れることにした。
(おつかれさまでーす。今日はどうでしたか?)
森くんはいつもと同じ調子だ。
「楽な仕事だったよ。とくに問題も起こらなかった。藤ノ浦運輸の依頼が入ったら、また呼んでほしい感じ」
(そうですか。あぁでも、あそこは長期専属が一人就いてますんで、まずないと思いますね)
「らしいね。根本くんだっけか。いろいろと話は聞いたよ」
(あっと、ちょっと待ってください。――花川さんが代わってほしいって言ってます)
エステサロンの女の顔がパッと浮かんだ。
「いや、遠慮しとくよ……」
一瞬だけ保留音が鳴り、すぐに花川の声がする。
(失礼ね。なに嫌がってんのよ!)
「べつに何も言ってないだろ」
(そう? ――んで、さっそくなんだけどさ。明日は電気屋さんへ行ってよね。また一日だけの仕事なんだけど、梅本さん向きでしょう)
梅本向きというところに少々引っ掛かるものがあったが、彼女も大した意味で言ったわけではないだろう。受け流した。とにかく、仕事があるというのは良いことだ。梅本は「行くよ」と伝えてから、業務内容を訊いた。
梅本はリュックを背負い直し、走り出した。峠道を上っていく。
あまりにも久しぶりで、コースは思い出せない。次のコーナーがどうなっているのかわからないので、ゆったりと走った。それにしても、と思う。先ほどまでの街中とは別世界だ。停まる度に噴きだしていた汗も、今やすっかり引いている。道路には草木が生い茂り、所々ワサッとはみ出ている。それで以前通ったときよりも、随分と狭く感じた。
あまり利用されなくなった所というのは、どこもこんなものか。
そうして走ること十五分程度――。
頂上付近をすぎ、下りに差し掛かったときに、梅本は小便がしたくなった。
前後に車はない。どこででも停まって、用を足すことができる状況だが、その選択自由というのが、逆にどこにも停まれないという心理を生みだしていた。
すると、側溝に車幅分だけ鉄板が敷いてあるのが見えて、それを切っ掛けに停まることができた。
ぐっと首を伸ばして目を向けると、奥にはまだ道が続いているようだった。
その周辺は軽トラがかろうじて侵入できるほどに木々が切り開かれている。もちろん未舗装で、地面には誰かがつけた深い轍が残っていた。
とりあえず隠れて立ち小便ができればいい、と梅本はスタンディングポジションで入っていった。
――この先はどこかへ抜けられるのか? 民家はなさそうだけどな。
エンストしそうなほどトロトロと草木のトンネルを進んでいくと、急に視界が開けた。
――段々畑だ。
上のほうにはブルーシートで覆われた何かがある。おそらくあの下には農具がまとめてあるのだろう。だが、それだけだ。車はない。人影もない。開けた場所を偶然見つけてしまったので、ちょっと開墾しちゃった、という感じだろうか。無許可の可能性が高い。
そんなことを考えながら、梅本は山肌に小便をした。そうして、スッキリしたところであらためて周囲を見渡すと、地面から露出している大きな岩が目に留まったので、近づいていった。
それは、座って休憩するのにちょうどいい岩だった。長靴が滑ってついたような泥の痕跡がある。その誰かもこうして休憩している様子が想像できた。
梅本はリュックから、藤本に奢ってもらったボトル缶のコーヒーを取り出した。
梅本の実家は農家を営んでいる。
五人兄弟のうち一番上と二番目の兄貴は、それを継ぐかたちで田んぼやら畑をやっている。梅本は末っ子で、一番上の兄貴とは、二十ほど離れていた。
ちょうど真ん中の長女は普通のサラリーマン家庭に嫁ぎ、梅本とは年子になる兄貴は、現在、土木関係の仕事に就いている。
そんな兄弟が勢ぞろいするのが、正月と収穫の時期。
しかし、それもここ三年ほどは、梅本だけが抜けていた。一気に七万円ほど消費される、甥っ子たちへのお年玉に苦慮しているわけではない。ただ何となく帰省しづらいのだ。
目の前の段々畑を茫洋と眺めていると、どうしたって実家と関連付けて思い浮かべてしまう。
農家が嫌で進学したことや、それなのに、派遣スタッフとして喘いでいる今の状況を、両親も含め兄弟たちが笑っているように思えてならない。
梅本はボトル缶のキャップをきつく締めて、立ち上がった。そして、バイクへと戻っていく。




