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最後に見た記憶がカンネスサービスの事務所なのだから、そこからアパートまでの道中を探すのが道理だ。
しかし暗くなってしまった今現在で、スマホを見つけるのは困難に違いない。簡単に見つかるような所に落としたのだとしたら、とっくに誰かが拾っているだろうし、そうすると電話に誰も出ないことが、梅本にとっては不可解だった。悪質な利用方法を頭に浮かべては消し、単にまだ誰にも見つかっていないだけなのかも、と考えるようにする。
梅本は銀行かコンビニあたりが怪しいと思っていた。
田井中がかけたフリをしたのでは、と疑っているわけではないが、今一度、自分で電話をかけてみたいという衝動に駆られている。駅へ行く途中に、帰りに寄ったコンビニがあるので、梅本は期待せずに入店した。
「すんません。どこかでスマホを落としちゃったんだけど、この店内で見てないかな? 客の誰かが拾ったとかさ」
「えぇっと、ちょっとお待ちくださいね」
店員はレジ客を捌いてから、もう一人のほうへ訊いた。
二人ともよく見かけるバイトで、梅本を面倒くさがるような素振りはなかった。二十二時以降のバイトとは大違いだ。
そこへまたレジに客が来たので、さっと奥へ行き店長を呼んでくれた。
「今、店長が来るんで、訊いてみてください。――お待たせしましたぁ、こちらへどうぞ」
すぐに店長が、ぬっと姿を現した。寝不足なのか、目の下にどす黒いクマを拵えている。
梅本はレジカウンターの端へ移動して、店長に説明を繰り返した。
「ないね。そんな報告も受けてないね」
店長の言い方はともかく……落胆した。胸の奥底でやはり少しは期待していたようだ。
店内清掃の際に、陳列棚の下から落し物が見つかるケースがあるらしく「従業員に周知しておく」と、素っ気なく言った。親切なバイトとは違い、さっさと梅本を追っ払いたいという感情が顔に出てしまっている。
それでムカついたからといって、DQN法に基づき(それなら、すぐにでも探せよ!)と口にして、粗暴なふるまいをみせるほど落ちぶれてはいないつもりだ。
「俺、ほぼ毎日ここで買い物してますんで、もし見つかったら、そのまま置いといてください。また訊きに来ますんで」
梅本は、常連客だとアピールしつつ、ため息をついた店長に軽く会釈して、コンビニを後にした。
公衆電話を求め、駅へ行くつもりで部屋を飛び出した梅本だったが、ここから駅までの道のりを想像した途端、その勢いは失速していく。やはり歩いた軌跡を遡って、銀行へ行ってみるべきなのだろうか、と迷いが生じた。それで歩みを止めたわけではないが、スピードはかなり落ちた。
しばらく行くと、歩き煙草のサラリーマンをすれ違い、それでタバコ屋を連想した。
老夫婦が営んでいるタバコ屋と、ピンク色の公衆電話がセットで脳裏に浮かび、梅本は道を逸れてそこへ向かった。
ところが、記憶の中のタバコ屋はなくなっていた。
この時間だと、幅の狭いシャッターが下りてとっくに閉店していても不思議ではないが、そのシャッターどころか、老夫婦の住居ごとなくなっていた。そして電話もない。
誰に対するわけでもなく舌を打ち、立ち去ろうとすると、十メートルほど向こうにポーッと明るくなっている箇所が目に留まる。何かと思い近寄って、その窪みを覗いてみると、そこに作務衣姿の占い師がいるではないか……。
簡易のテーブルを広げて白い布で覆い、その上に(姓名判断・占い)と書かれた長方体の行灯が載っている。弱い灯りを揺らめかせ、雰囲気作りだけは成功している。男は澄まし顔で微動だにしなかった。目を開けたままで、眠っているのではないかと思ったほどだ。
その占い師が急にこっちを向いたので、梅本と目が合ってしまった。
「いらっしゃいませ。占いはいかがですか?」
声はかなり若い感じがした。
いらない、と手を振り、去ろうとしたが、立ち止まった。
「スマホをなくしたんだけど、落とした場所とかわかる?」
すると、占い師はグスッと鼻で笑った。すぐ誤魔化すように、鼻を擦ったり啜ったりしている。
梅本は気恥ずかしくなってきて顔を歪めた。
「吉報の方角くらいなら……」
照れ隠しに殴りかかってしまいそうだった。
「いや、いい!」
梅本は踵を返して、占い師の前を通りすぎた。
元の道へ戻るのに五分。往復で十分。まったく、無駄な労力を使ったものだ。おまけに恥までかいた。
「人がマッハで歩ければ便利なのによぉ」
昔、酔った席で竹本が言っていた。
当時は、歩いてマッハ、走ってマッハ三……止まれなくてどこかにぶつかったら、ペッチャンコになって普通に死ぬだろ、とツッコんだものだが、移動手段に事欠く今は、もしそうだったらどんなに楽かと思う。とにかく、どこへ行くにもけっこうな時間と筋力がいるのだ。
梅本は調子に乗っていた学生時代に、じゃんけんで負けた奴二人が、マッパ(真っ裸)で自販機へ行ってジュースを買ってくるという遊びをして、警察に捕まったことがある。マッハ繋がりというだけの、余談にすぎないのだが……。
そんなことを思い出しながら歩いていると、今度は、この先にあるドラッグストアに、公衆電話があったような気がしてきた。また駅から遠くなってしまう。しかし、そこに公衆電話があれば、もう駅まで歩かなくていい。
梅本は目的が少しズレつつあることに気づいていなかった。
そうしてドラックストアに到着すると、梅本はまたしても肩を落とすハメになる。電話ボックスが、証明写真機ボックスに替わっていたのだ。
周囲に誰もいないことを確認してから、証明写真機の壁を蹴った。隣接している自販機で缶コーヒーを買うと、そのボックス内の椅子に腰かけた。横のカーテンを閉め、だらしなく後ろにもたれた。身だしなみを確認する鏡がついていて、そこに映る自分は泣き笑いの狭間にいるような表情を見せている。
結局、梅本は駅のロータリーまで歩いた。
電話ボックスは、等間隔に植樹されたプラタナスの隙間に三つ並んでいた。
(はい、神山駅前交番です)
警察? 駅前交番……。五十メートルほど向こうに見えている交番が、まさにそれだった。
「えっと、その携帯の持ち主なんですけど」
(そうですか。これは今しがた届けられたばかりなんですよ。すぐに取りに来られますか?)
「すぐ近くの公衆電話からかけてるんです。三分で取りに行きます」
(一応、身分証明書を確認しますので、お持ちください)
スマホは呆気なく見つかった。
長嘆息を漏らしながら、ボックスの壁に背をついてズルズルとしゃがんだ。どのみち、駅まで歩く運命だったのか。安堵感と疲労感の中に、ちょっとした達成感が出てきて混じり合い、梅本は膝の間へ顔を埋めるようにうなだれた。
見つからない、見つかってもエイプのように破壊されていることを思えば、これはラッキーだ。何なら、受け取った後、ジョギングで帰途に就き、ビールを呷って、ベッカムに八つ当たりするのもいい、と梅本は顔を上げた。
すると、目の高さに電話帳を載せる台があって、その台の裏側に貼られたガムテープを見つけた。そこが、こんもりと膨らんでいる。
この公衆電話からかけて、スマホが見つかったのだ。ボックス内のゴミを履き出してやる、くらいの感謝を見せてやってもいいかな……と梅本はテープに手を伸ばした。




