21
だぼついたジャージを着用した歳若い男が引き戸を開けてくれて、二人は玄関口に並んで立った。
この上り口だけで、じつに梅本の部屋と同等以上の広さがある。否応なしに目に飛び込んでくるのは、熊と、鷲だか鷹のはく製。あれからも変わらず来客を睨み続けていたようだ。
陣内と梅本は用意されたスリッパを履き、案内役の男について廊下を進んだ。二人が通されたのは、上の居住スペースではなく、一階の事務所脇にある応接室だった。
ここならあの女と会うこともなさそうだ、と梅本は胸をなで下ろした。
「お茶を用意させます。社長もすぐに参りますので、しばらくここでお待ちください」
そう言って部屋から出ていった男は、たしか柳と呼ばれていたような記憶がある。あのときに一度会っただけなので、梅本のことは覚えていない様子だ。
陣内は鼻息をついてソファーに腰を下ろした。梅本もキャッシュカウンターを脇に降ろして、隣へ座った。
「先に言っといてくださいよ」
梅本は小じんまりとした応接室を見回してから言った。
陣内はそれだけで察したらしく、悪びれることなく、フフッと笑った。
「俺もここへは一人で来たくないんだよな」
彼の表情からも充分そんな感じが伝わってくる。
五年前の出来事を、語って聞かせるのには自然な流れができていたが、どこで誰が聞いているかもわからない状況下では、やはり躊躇われる。帰りの車の中にしよう、と梅本は思った。
案の定、組長、もとい社長はすぐにやってきた。
廊下から話し声が近づいてきたので、二人は立ち上がった。
自分でドアを開けて、おもむろに入室してきた初老は「掛けてくれ」というと、ゆっくりとした所作で自身も椅子に着いた。
仕事の挨拶口上は、もちろん陣内に任せておけばいい。途中から組長の視線が梅本に向いていたので、陣内の口から簡単な紹介がなされた。
ヤクザの組長、この人物が放つ存在感、恰幅の良さといい、タヌキ顔といい、あの女にそっくりだという事実。この要素の割合は曖昧なものの、梅本は緊張せざるを得なかった。
「ありがとうございます。梅本です」
脈絡のない(ありがとう)に意味はなかった。何でもかんでも(ありがとう)と言ってしまうのは、つい緊張から出てしまったもので、会社勤めの頃に叩き込まれた習性みたいなものだ。
そんなことにどこからもツッコミは入らず、陣内がさっそく商談に入った。
商談と言っても、おおよその話はついているようなので、権利書の確認と、数か所に判を捺してもらい、後は料金をいただくだけのはずだ。
梅本に今することはない。組長の後ろで突っ立っている柳も同じはず。
となると、余り者同士、目が合うこともある。ひょんなことから梅本のことを思い出されでもしたら面倒くさいと感じたので、梅本はなるべく書類に視線を固定させ、陣内の説明に一々うなずいていた。少し頬を膨らませて人相を変える、という手を思いつくが、実行はない。……喉に渇きを感じる。陣内が出されたお茶に手をつけていないので、梅本も我慢した。
「ヨシ。これで全部だな。おい柳。金の準備をしてくれ」
組長の一言で、柳がさっと部屋を出ていった。
三分とかからずに戻ってきた柳の手には、幅広の輪ゴムで留められた札束が、八つほど握られている。使い古された紙幣ばかりで、札束は蝶ネクタイのように両端が開いていた。
「二千八百だったな。数えてくれ」
組長の言葉に、陣内がうなづきを寄こしたので、梅本は首肯して返し、立ち上がった。
「すみませんが、コンセントをお貸し願えますか」
柳が機敏に動いて、壁のコンセントから延長コードを伸ばしてきた。このテーブル上で数えろということだ。
梅本は輪ゴムに指をかけ、外そうとする。意外でもなく相当きつく留めてある。輪ゴムがブチッと千切れ飛んで、組長か柳の顔に当たったなら、と想像すると笑えてきた。悪い癖だ……。
梅本は札束を一旦縦に丸めるようにして、なんなく輪ゴムを取り去った。事務所で練習した通りに電源を入れて一括り分の札束をセットした。本番に限って機械の調子が悪くなる、という不運にはみまわれなかった。
「それで、一昨日の昼に、この柳を見にやらせてな。えぇ何ていったか……。おぅ柳」
呼ばれた柳が後を継ぐ。
「はい。アパートの共同廊下の件ですね。――陣内さん、あそこへ出入りする者を道路側から見えないようにしてほしいんですがね。目隠しのパネルみたいな物を、取り付けていただきたいと思っているんです」
「おぅそれだ。もちろん追金は出すつもりでいるから、陣内、早急に何とかしてやってくれよ」
「早急にですか……」
陣内は立ち上がって、ポケットから電話を取り出した。「ちょっと失礼します」と、壁際まで移動する。
梅本は紙幣を数えながら、横目で陣内を追った。
施工業者へ連絡するに違いないが、時刻は二十二時半、はたしてこんな時間に業者と繋がるのかどうか。
やがて陣内が話しはじめた。ハッキリとした口調で説明している。
陣内がまだ通話している最中に、キャッシュカウンターの音が止んだ。これで全ての束を数え終わったことになる。梅本は向き直り液晶画面を見た。その画面には三千と六万円――。え?
その数字を組長に告げると、
「何だ? キリが悪いな。う~ん、あぁ梅本くんっていったっけ? 端数はアンタにやるよ」
梅本がポカンと口を開けると、組長は「な~んてな」と、言って笑う。暴力団ジョークだ。勘弁してくださいよ、とばかりに梅本は恐縮しながらも笑みをこぼした。そしてもう一度、数え直した。
二度目の計算でも一万円札は三千と六枚あった。このキャッシュカウンターは優秀だ。陣内はまだ話し中。二千八百だと聞いているので、梅本は二百六枚を分けて、山にした。
それが終わると、今度は場が持たないので、梅本は何か気の利いた話がないかと頭脳をフル回転させる。が、気だけが焦った。
そして先に口を開いたのは組長のほうだった。