12
一晩降り続いた雨は出勤途中に止んだ。
そうすると、待ってましたとばかりに日照りだし、アスファルトからの反射と合わせて、梅本の労働意欲をこそげ取っていく。
リュックにぶら下げた長靴が歩調に合わせて揺れる。その振れを手で止めてやらないと、長靴は腹をかすめ前に回ってこようとする。なかなかに煩わしい。先ほどまで活躍していた傘も、今は邪魔でしかたない。
梅本は地図アプリに従ってだいたいで歩いているが、本当にこれで着けるのだろうか、と不安になってくるほど目的地は遠かった。
そうして、四輪ならば完全な袋小路となっている新興住宅地へと入った。
六軒がひと塊になっていて、それが整然と並んでいた。道路はかなり広く取ってある。出入り口に大きな地図看板があるのだが、徒歩で来た梅本は、横手からチョイっと侵入したため、迷ってしまった。
途中、犬の散歩をしている人に尋ねた。その夫人もあっちかしら、こっちかしら、と首を捻っている。除草作業に伺ったと伝えたことで、それなら、たぶんあそこだわ、とやっと教えてもらえた。ご近所で問題視されているのか? 丁寧に礼を言って行こうとすると、街灯柱に小さな番地プレートがあるので、それを見るといい、と言われた。
――それを先に教えてくれよ。
そうして歩いていくうちに、それっぽい場所の前で、スクーターに跨ったままこちらを凝視する男を見つけた。
あれが依頼主の不動産屋ということはないだろう。
梅本がどんどん近づいていくと、男はスクーターから降りて、ペコッと頭を下げた。背の低い色白でぽっちゃりとした奴だ。
九時半という、外仕事にしては遅い時間を指定されている。スマホで確認。時刻は九時二十分だ。何とか間に合ったようだ。
「おはようございます。草村さんですか?」
彼はうなずくだけで、すぐに目を逸らした。
花川が電話で(すごく無口な人)と言っていたのを思い出した。そんなレベルではないように思う。
梅本は長靴を履いたり、体を解したりしながら、天気の話や最近の派遣事情について話題をふった。草村はちゃんと敬語で受け答えするのだが、どうにも目だけは合わそうとしなかった。
今いち弾まないトークに梅本が黙ってしまうと、草村はボソリと言った。
「僕、赤面症で……その、じっと見られるのが苦手なんです」
草村の顔が急激に赤くなったのは気づいていた。元が色白なので余計にそう感じる。草村がじつはハードゲイで、一目惚れされたなどとは思わない。
「あぁ、俺も小学生の頃は、黒板の前に立つたびに赤くなっていたよ」
「そ、そういうのとは違うんです」
「えっと、あ、そう」
何が違うのかはわからなかったが、あまり触れられたくないようなので、訊かずにおいた。赤面症と七面鳥って似ているよね? そんなくだらないことが頭に浮かんだが、もちろん声にはしなかった。
そうこうしているうちに、一台の二トンダンプが、こちらに向かってきた。
エンジンを切り、降りてきた男に、梅本は先だって挨拶をした。五十代と思しき肌つやのいい男は(陣内)と名乗った。ゴルフ焼けなのか、顔や首が斑に黒い。
「雨上がってよかったよな。聞いてると思うけど、ここの除草作業なんだわ」
陣内は親指でちょいちょいと辺りを指す。
「こことそっちのブロックの一角だけウチの管理物件なんだけど、だいぶ前から苦情が来ていてよ」
梅本と草村はきょろきょろして、うなずいた。
上物は建っていない。盛り土して踏み固めただけの四十坪ほどの土地。膝上くらいの雑草が生い茂っている。裏と両脇には家が建っていて、すでに住居人がいるようだ。その三軒からの苦情なのだろう。
「梅雨前にも一度やったんだけどな。刈っても刈ってもだわ」
陣内は助手席に向かい、何種類もの鎌を出してきて並べた。
「今回は綺麗に刈ってもらった後で、除草シートを敷こうと思うんだわ。そのこともあるから、とりあえず草刈りをバーッとやっちゃってくれな」
それならもっと早い時間を指定してくれよ、と思って草村を一瞥する。一瞬だけ目が合って、また彼はさっと視線を逸らした。
「昼の二時まで、ちょっと予定が入ってるんだけど、それが終わったら俺も加わるからな。それじゃ、よろしく頼む」
「はい」
陣内は片手をあげると、ダンプに積んであった折りたたみ自転車で帰っていった。
二人はすぐに鎌を選んで作業に入った。予想していたことだが、作業は和気あいあいとはならずに、二手に分かれて、両端から攻めていくことになった。刈り取った雑草をダンプへ載せるタイミングも個々で判断する。ちょっとした会話もない。閑静な住宅街に、二人の鎌の音だけが鳴っていた。
雨が上がっているとはいえ、草木に残る水滴でズボンや軍手はすぐにびちょびちょになった。
腰を叩きながら立ち上がって、草村の様子を窺うと、彼は下だけ合羽を履いていた。
……なかなか賢いじゃないか。