第5章 約束の地・四国の阿波<その4>
国生み伝説の島との関係とは。
阿波の地が古代の人々にとって特別な土地に成り得た可能性を強固にする要素がもう一つあります。それは鳴門の地から渦潮を超え、北東へ向かった地、21世紀の今では、大鳴門橋という海峡架橋を超えて辿り着く地の存在です。
阿波の地から羅針盤を北東に合わせれば、そこに横たわるのは淡路島。実はこの淡路島は日本の古代史に、いえ、21世紀の今日にいたる日本の歴史に重要な意味を持つ島です。
「国生み伝説」。あなたはそんな言葉を聞いたことがないでしょうか。記紀、すなわち古事記、日本書紀を読んだことのある人、読み込まないまでもちらりとでも見たことがある人なら、この「国生み伝説」という言葉に覚えがあるはずです。
いまひとつはっきりと思い出せないという方のために、日本書記に基づいてその部分をご紹介しましょう。
イザナギノミコトとイザナミノミコトが天の浮橋の上に立たれて相談されて言われるに「この下に国が無いはずはない」。そして玉で飾った矛で下を指し、そこを探られた。
そこには青い海原があり、矛の先から海水が滴った。それが凝り固まってひとつの島になった。この島を名づけてオノコロ島という。
この後、イザナギとイナミは夫婦となり、子を成すわけですが、日本書記の一説では次のように続きます。
子が生まれる時、まず淡路洲が生まれた。しかし出来が不満足であったために『吾恥島』と呼んだ。それから大日本豊秋津洲(おおやまとあきつしま=大和)を生んだ。次に二名州(ふたなのしま=四国)を生んだ。次に筑紫洲(つくしのしま=九州)を生んだ…。
もとより古事記・日本書記はともに西暦700年代に編纂されたものです。そのため、必ずも完全・正確に、日本列島において起こったことが記されているとは限りません。しかし、だからといって、700年代の編纂時に丸々創作されたとは決めつけることはできません。口伝を軸とする何らかの“記憶”や記録、知識があってこそ、現代にまで記録が残されたと考えるのが自然でしょう。
なお、日本書記中の別の部分では、大和が先に生まれたという記述も残されているのですが、むしろこの部分こそ、編纂時にあえて付け足されたということが十分に考えられます。そう考えるとやはり、淡路島は古代の人々にとって何らかの重要な意味を持つ場所であったのではないかと思われるのです。
ただし、その考えを進めていけばいくほど不思議の要素も浮かび上がってきます。神話において需要な地であったにも関わらず、大きな文明の繁栄跡が未だ淡路島内に見つかっていないのは何故なのでしょうか。
そこで、なのです。次のようには考えられないでしょうか。
淡路島は神的意味で畏れ多い場所であった。ゆえに、住む場所には適さない。だが、その淡路島を近くに拝むことは、むしろ国の繁栄につながるはず…。
邪馬台国の人々がそう考えたのだとしたらどうでしょう。しかも、その畏れ多い地と遷都都市の間にまたがるのは、潮が鳴る不思議にして荘厳な海峡……。この取り合わせは、ほんとうに偶然なのでしょうか。
かつて日本でも公開された映画「十戒」でも紹介されていたように古代ユダヤ教においては、神が教徒たちのために与えてくれる「約束の地」の考え方があります。しかし、これは決してユダヤ教に限ったことではなく、はるか地球の裏側で同じように約束の地的な考え方が発生することは十分にあり得ます。
と、ここまで書いておきながら、実は筆者の頭の中には、違う考えも存在しています。それは何かというと、国生みの最初、あるいは大和に続く2番目が淡路島であるという内容自体が編纂時の“後付け”だったのではないだろうか…という考え方です。すなわち、大和の前身の国が阿波の地にあった事実を密かに後世に残すために、その意義付けとして淡路島に意味合いを持たせたのではなかったか…と。実はこの考えは、次の章からの内容に深く関わってくるのですが…。
どうぞ、その目で渦潮を。
拙文の読者であるあなた自身には、ぜひ一度、その眼で鳴門の渦潮を見ていただきたいと思います。これは決してお気楽な観光案内などではありません。
グランドキャニオンに比べればとか、ナスカの地上絵ほどのインパクトは…とか、ナイアガラの滝に比べればまだまだとか、もしもあなたが世界のさまざまな観光地を見てきた経験を持っているなら、思うかもしれません。そしてそれはある意味、事実でしょう。しかし、古代の人々にとっては、そうした海外の景観はその生涯において絶対に目にすることのない景色です。そうした先人たちの目に渦巻く海はどんな風に映ったでしょう。その轟音はどんな風に耳に響いたでしょうか。
幸いにも現代人である私たちは、エンジンという強力な文明パワーによって命の危険にさらされることなく渦潮を間近に見ることができます。小型の観潮船に乗れば、手を伸ばせばそのままふれられるのではないかという臨場感で渦巻く潮があなたに迫ってきます。
また、鳴門大橋の上に立てば、太古の人々には想像することさえもかなわなかったであろう鳥のような目線で真上から渦を眺めることも、不可能ではありません。これはまさに、現代人ならではの特権です。その特権を十分に堪能してください。そしてどうぞ、太古の人々に心を寄り添わせてください。その恐怖感や畏怖心を想像してみてください。そうすれば、渦巻く潮が持つ意味を、そのむこうにある地・鳴門があなたの胸に特別な意味を持ってくることに気づかれるはずです。
そうです。潮鳴る海峡を越え、鳴門を文字通りの「門」にしてひろがる阿波の地こそ、邪馬台国の人々にとっての「約束の地」だったのです。だからこそ、彼らは旅立ったのです。東へ向けて。そこに、国のさらなる繁栄と、それぞれの豊かな生活があることを夢に見て…。(第6章へ続く)