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最終推論 邪馬台国  作者: 六津 江津子(むつ えつこ)
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第5章 約束の地・四国の阿波<その3>

「渦まく潮」の意味するもの。


 地名における漢字の問題だけではありません。21世紀における現代でこそ、渦潮はその発生メカニズムが科学的に解明されています。しかし、古代においてはどうでしょうか。まるで海の底へ自ら潜り込んでいくかのように見える渦潮。それは巨大な生物が海底に向かって突き進む姿にも似ています。私たちの先人もまた、これと同様の思いを抱いたとしても決して不思議ではありません。

 もちろん、そうした自然現象は畏怖の対象ともなりますから、近づかないという選択肢も先人たちにはあったでしょう。

  しかし同時に、それを超えて行った先にこそ、理想の地があるという考え方をする者がいたとしても、これまた何も不思議ではありません。開拓者、挑戦者というのはいつの時代にも現れるのなのですから。そして、畏怖を超えて辿り着いた境地がそのまま特別な地としてなってゆく…ある意味で人類の歴史の必然と言えるのではないでしょうか。


 というわけで、「渦潮」すなわち、渦巻く海の話に、ここでもう少しお付き合いいただきましょう。いえ、鳴門の渦潮についての話を続けるわけではありません。「渦」の話をしたいのです。


  読者の皆さんは、渦というと何を思い浮かべるでしょうか。実はあのレオナルド・ダヴィンチも、渦に深い関心を抱いていた人間の一人です。ダヴィンチが生きた時代の有名絵画といえば、彼のライバルとも言われたミケランジェロの「最後の審判」ですが…実はダヴィンチもまた、「最後の審判」の下書きを遺していたといいます。但し、その絵はミケランジェロの絵画とはまったく違ったものでした。

  いや、違ったという言葉さえも出てこないほどに、イメージのかけ離れたものというほうが正しいでしょう。なんとダヴィンチの下書きはノートの紙面いっぱいに描かれた激しく逆巻く波の姿だったのです。


  またダヴィンチは空を飛ぶための機械の図をノートに遺していますが、ヘリコプターの先祖にも思えるその翼はまさに渦巻いています。ダヴィンチは子どもの頃、川の中の水流に渦を発見し、それに魅かれ、万物の真理をそこに見出したのではないかという説がありますが、彼の中では「渦」が特別な意味を持つ物理現象であったことをうかがわせる話ではありませんか。


  芸術の世界から目を一気に転じて…今度は宇宙に目を向けてみましょう。これはけっこう多くの人が正しくイメージしていますが、銀河は渦巻いています。この銀河が渦巻いているという現象は宇宙の、そして地球の誕生に大きく関係しているといいます。もっとも、この理論については理論物理、あるいは宇宙物理の世界の話になりますから、話の深入りを止めておきましょう。


  但し、宇宙の話をここで止めても、「渦」の力がここで終了するわけではありません。実は渦は地球上の生命の進化にも深い関わりを持つ現象なのです。たとえば、古代からの生き残りといわれるオウムガイに、化石を代表するアンモナイト。その姿を思い出してみてください。どうでしょう。まさに“渦巻いて”います。

  そう、実は、「渦巻く」という動きは、生命の神秘にも深い関わりを持つ物理現象なのです。オウムガイやアンモナイトに限らず、巻貝の類はいずれも、渦を伸ばす(増やす)ことでより大きく成長していきます。

  そして、宇宙に比べで私たちの生活に身近な渦といえば、台風。現代人よりもはるかに自然現象に対する敬意も感度も高かった古代の人々、文明生まれたりとも言えども、まだまだ自然を細かに観察することが生きていくための重要要素であったは時代の人々…大自然の驚異である台風が強く大きく渦巻く風であることを体感として知っていたとは考えられないでしょうか。

  また、つむじ風に踊る木の葉の姿に、食料として採取した巻貝の姿に、何らかの「渦の力」を見出していたとは考えられないでしょうか。


強引ですか?


  いいえ。古代人々が渦に対して特別な感情を抱くことは、むしろ自然なことだったのではないかと筆者は考えています。その証拠の一つというと、少し言葉が過ぎるかもしれませんが、人々の古来からの渦への関心はさまざまなところに見ることができるのです。

  たとえば縄文土器や土偶。その多くに渦巻きの柄が用いられています。また、古代人の装身具であると同時に財産でもあった勾玉。さらにそれを組み合わせた陰陽も図。勾玉を3個組合わせたような巴紋…。

 まだまだあります。日本各地の寺社仏閣で見ることのできる仏像の衣装や後光、あるいは仏画に描かれた背景としての渦型の雲。思い返してみれば、和傘や着物、敷物、食器に渦の形を、けっこうな頻度で渦の形を見ていませんか。あるいは、龍車や鯨車など動物の象った郷土玩具のハマの柄に、こけしや泥人形の柄に、それとは意識してみていないために気づきにくいのですが、驚くほど渦の絵柄が用いられています。


  中でも、風車にいたっては、ふーふーと息を吹きかければ、まさに鮮やかな渦がそこに描きだされるではありませんか。

  また、日本人が海産物の中でもカニと並んで愛するエビ。この中のクルマエビの名も、茹でた時に鮮やかに浮かびあがる紅色の縞が牛車などの車輪が回る様、すなわち渦巻いて見える様に似ていることに由来する命名というのは、余談が過ぎるでしょうか。

  そう…。思うに古代の人々は、洋の東西を問わず、また、レオナルド・ダヴィンチに限らず、現代人の私たちが考えるよりはるかに高い関心と畏敬を「渦」に抱いていたのではないでしょうか。


  その渦が、しかも巨大な渦が踊る海!卑弥呼が、邪馬台国の人々がこの「渦巻く海」の向こうに求めたもの…それが何であったと、あなたは考えますか?

(第一5章その4に続く)

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