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最終推論 邪馬台国  作者: 六津 江津子(むつ えつこ)
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第3章 <その2> 海を行く理と利

理にかなう、海路という選択。


前述でご紹介した通り、荷物の運搬という負担に関わらず…。少なくとも当時の人々にとっては、海は陸地よりもはるかに移動しやすい場所だったはずです。ましてや、九州、四国、畿内の間に横たわるのは、太平洋や大西洋のように果ての見えない大海ではありません。瀬戸内海の名が語る通りの「内海」なのです。しかも、その内海には多くの島があります。それらの中には、水の確保が可能であり、寄港地として十分な役割を果たす島も少なくありません。


島があるため、その海流は複雑だったはず。そんな反論もあるでしょう。しかし、漁師するひとたちの天候や潮目を見る能力は、21世紀の現代社会においてさえ、驚くほど正確です。そこから考えれば機械に頼ることのまったくできない古代においては、“人間の五感”は今よりもはるかに鋭く、優れた気象レーダー、あるいは地形・海流探知機として機能したはずです。その能力を存分に活かせば、海の旅は決して無謀で苦難まみれの旅ではなかったはずです。


また、旅路の先々にはつねに先発隊が送られていたはずであり、それらがもたらす情報も、人々の船旅をスムーズで快適なものにするために大いに役立ったことでしょう。

なにしろ移動人数が並みの船旅とはまったく違っています。邪馬台国自体が謎に満ちている以上、邪馬台国の当時の人口規模を正確に推定することはできませんが、少なくとも数万人規模の民族移動があったと筆者は考えています。

それだけの人数が移動する以上、船旅中の食料や水をすべて出発地で積み込むことは大きな負担。途中で現地調達するほうがはるかに現実的でしょう。


しかし、大人数である以上、寄港地についてからおもむろに調達というのも、これまた容易なことではありません。むしろ、先発隊が本隊到着の時期を予測し、それにあわせて物資を用意しておくほうがスムーズに事が進むでしょう。従って、途中の寄港地をあらかじめ築いておくことは、邪馬台国民族大移動には欠かせない要素であったはずです。


その点、瀬戸内海という狭い海域に点在する島々は不可欠にして十分な寄港地として機能したはずです。また、距離的には最適の場所にありながらも島があまりに小さく、寄港地としてのキャパシティを満たさない場合もあったでしょうが、その際は、同等距離の四国の地に航路を変更するという選択も、狭い瀬戸内海にあっては難しい判断ではなかったでしょう。


なお、筆者は、この寄港地にはつねに島か四国側の地が選ばれたと考えています。この寄港地設定の問題は、この後、物資輸送の効率や利便性以外の、とりわけ本州の陸路を選ばなかった理由と大きく関わってくることになります。それについては次ページ以降にお話ししていきましょう。



陸路に待つ障害の数々。


海が陸よりも移動しやすい土地であったことは、当時の陸地の状況にも大きな理由があります。そのひとつは、「自然」という障害物です。但し、ここで言う自然とは山や川といった地形ではありません。野生動物たちです。


現在では絶滅してしまっていますが、かつては日本にもオオカミがいました。そしてその棲息は現在の日本列島全体に及んでいました。日本には、オオカミ以上に危険な野生胴縁である熊ももちろん多く生息していますが、オオカミの厄介さはその生態・習性にあります。

まず、オオカミは冬眠をしません。これは人間がオオカミの棲息する地を旅する場合、季節を問わず、その脅威にさらされることを指します。言い換えれば、季節を選ぶという手段を使ってオオカミの害を避ける、という選択肢が許されないということです。

しかも、熊が(人間の距離感から言えば広大とは言え)自分の縄張りを持って行動するのに対し、オオカミは獲物を追って移動するという習性があります。つまり、もしも人間がオオカミと遭遇し、その際にオオカミが人間を獲物と認識すれば、オオカミは人間の後を執拗に追跡してくる可能性が大いにあるのです。そしてある時、人間のスキを狙って襲い掛かる!実はこの筋書きは江戸時代頃でも、山野にある街道においては決して珍しくない事象だったのです。


なお、この場合、人間本体を獲物と定めるのではなく、その荷物がオオカミにとって魅力的なもの、つまりウサギや山鳥など猟で仕留めた小動物、あるいは魚類であった場合でも、人間への脅威は多少低下することはあっても、皆無とはならないことはおわかりいただけるでしょう

加えてオオカミは群れで行動する生き物。オオカミの棲息する地を少人数で移動することは命知らずの行動というしかありません。しかも、今でこそ日本列島ではその姿を見ることが不可能になってしまいましたが、当時においては熊に次ぐ最強クラスの動物であったニホンオオカミ。一歩人間の集落を出れば、そこは彼らの天下であったはずです。その脅威というリスクを、民族大移動において、あえて選ぶ理由は、邪馬台国の人々にはなかったはずです。


単体では絶対的にオオカミよりも強い熊。その存在も陸路を行く上でのリスクの一つだったこと間違いはないでしょう。また、今も日本全国に生息し、農作物被害が報告されるイノシシや日本猿なども、やはり移動の旅においては無視できない存在だったはずです。

彼らは食料として狩りの対象にもなったでしょうが、やはりそこは野生動物。油断している最中に襲われれば、人間にとって十分に恐怖な「猛獣」だったはずです。そして彼らが時として、木の実や果実など人間が手に入れた食料を狙った結果、人間を襲うという未必の故意のような行動に出ることは決して珍しい話ではなかったことでしょう。


しかし、彼ら獣類よりもはるかに小さいにも関わらず、大きなリスクをもたらす生き物が陸路にはいました。

それは、毒を持つ生き物たちです。毒蛇、毒虫、中でもスズメバチなどはとりわけ 大きな脅威だったことでしょう。なにしろ現代社会でもその被害がニュースで報告されるほどの猛毒針の持ち主です。スズメバチには凶暴になる季節が限られているという見方もできますが、なにしろオオカミやクマなどの哺乳動物に比べ小さいだけに、その接近、攻撃に用心することが難しくなります。それだけに、人が山野を移動する際には、手ごわい相手であったことでしょう。


が…スズメバチよりももっと小さくて、しかも、スズメバチ以上の問題をもたらすものが陸路には存在しました。

彼らの厄介さは、人間の目には「見えない」ことでした。そう、見えないほど、見過ごされるほど彼らは小さな存在でした。その彼らとは、川魚に寄生する寄生虫、あるいはダニに寄生する伝染病のウイルスなど…。

海路を行くことは、こうした陸路に潜むリスクを避け、あるいは大きく軽減させる最善の方策です。ここにも、邪馬台国の民族大移動に海路が選ばれた理由があります。

どうでしょう。当時の状況に思いをはせるほどに、海路を選ぶことの優位性が浮かび上がってはきませんか。


ただ…。


ここまで畳みかけながら、実は筆者はこれまで述べてきた要素は、必ずしも海路選択の一番大きな理由ではなかったと考えています。では、何が第一の理由であったか…それは次の章でお話ししていきましょう。(第4章へ続く)




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