第12章・エピローグ――Wake not a sleeping lion.
エピローグ――Wake not a sleeping lion.
(眠っているライオンを起こしてはならない)
それにしても。
もしも瀬戸内海が存在せず、九州も四国も本州も陸続きであったなら、あるいは日本の国は現在とはまったく違った国になっていたかもしれません。一歩譲って、大和朝廷が必ず全国統一を果たしたことが絶対的な結果だったとしても、それには実際の歴史よりもずっと長い時間を要したのではないでしょうか。
また、日本全土が全て陸続きであったなら、かつて出雲を中心に栄えた国はどんな形でその勢力を拡大していったでしょうか。実際、出雲の国の勢力は大和朝廷よりもずっと早く北陸のほうまで広がっていたことがすでに確認されています。それを考慮すれば、九州と近畿を分断する形で勢力を拡大し、そのまま東日本にまで力が到達していたことも十分に考えられるでしょう。
そうした出雲の存在によって、記紀が語るところの神武天皇の東征が実際の歴史よりもずっと遅れていたとしたら…。あるいは、出雲と倭の勢力争いの間隙を縫って、蝦夷と呼ばれた東日本の民族が南下してきていたら…その後の日本の歴史はどんな風になっていたでしょうか。
しかし、そんな問いを幾つ重ねたとしても答えは得られません。過ぎ去っていった時間に「もしも」は無いのですから。結果として邪馬台国は歴史の中に消え、出雲は倭の中に溶け込み、日本は今の日本となったのです。
と…ここまで書いてきて、筆者の脳裏にはある疑いが生まれました。それは…
「ひょっとしたら邪馬台国は謎になるべくしてなったのではないか?」
という想いです。むしろ、謎になることは約束された必然ではないかと。
大化の改新で滅んだ蘇我一族、兄・頼朝との確執の果てに奥州平泉で果てた源義経、本能寺に倒れた織田信長、いずれもその滅びのストーリーは一直線で決定的な一瞬の果てにあります。
それに対して邪馬台国はどうでしょうか。決定的なものは何一つありません。倭が出雲を選んだことすらも、邪馬台国が歴史の謎になった唯一の理由ではないのです。ただ多くの小さな事柄が積み重なり、あるいは、落ちる水滴が少しずつ岩を穿つように、邪馬台国は“謎”になっていったのです。
ならば…。
歴史の必然を疑い、掘り起し、検証しようとすることは、とてつもなく“不自然”なことということになりはしないでしょうか。いま、筆者の脳裏には一つのことわざが浮かんでいます。
“Wake not a sleeping lion.”
(眠っているライオンを起こしてはならない)
あなたは、どう思いますか?
完




