第11章 時間の中で消えゆくもの<その3>
畏怖が敬遠を生み、差別へ繋がって…。
一方、里人の視点から見た瀬降りは…。
崇神天皇の頃までは、里人の間にも、漂泊の山の民が特別な存在であることへの知識や認識がまだまだ残っていたはずです。しかし、やはり里人も代替わりをしていきます。瀬降り、すなわち邪馬台国の末裔たちがその自意識を忘却、消滅させてしまうのに時計を合わせ、いやあるいはもっと早く、山の民の特別性を忘れていったのではないでしょうか。
その結果、何が起こるか…。
敬意と畏怖を伴う約束ごとが明快に認知されていた時代から時を経て、理由もわからぬままに畏敬・畏怖が残ればそれは、不可侵、すなわち「タブー」へと変わっていきます。さらに時間が経って怖れの観念が薄れれば、わけがわからぬままに「とりあえず遠ざける」、という感情が、生まれ、それが人々共通の意識となっていきます。
そうなのです。畏怖が異質なものへの敬遠、そして差別へと変わっていく…そのことは人間の心理として決して特殊なことではありません。太古の記憶が長い時間の中で薄れ、正確な記録が伝えられなかった結果、昭和の頃には、サンカは差別される側に回ってしまっていたと考えられるのです。
実は「貴」の流れを持つ人々が時代の変化の中で「非主流」となり、迫害される側に回る…これはある意味、歴史の必然といえる話なのかもしれませんが…。(第12章へ続く)




