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最終推論 邪馬台国  作者: 六津 江津子(むつ えつこ)
28/31

第11章 時間の中で消えゆくもの<その1>

  これまで、邪馬台国がどこに消えたのか、なぜ歴史にその痕跡を残さない『謎』となったかについて述べてきました。しかし、プロローグで記した通り、すべては筆者の推論です。それを支えているのは、状況証拠であり、現在わかっている歴史や資料が示唆していると思われる事柄の数々です。

  当然、邪馬台国のものであることが証明された資料はもちろん、邪馬台国の遺跡からの出土物の一つも拙著でご紹介できたわけではありません。

  しかし…。

実のところ、筆者の推論の目指すところの「阿波=邪馬台国遷都都市」を証明し得る遺物や遺跡が四国で発見されていないことに対し、筆者自身はほとんど疑問も焦燥感も感じてはいなのです。いや、発見されないことは、むしろ当然のことだとさえ思っています。


  なぜならば…。

四国山地は邪馬台国の血を引く人々が継続的に生活を営んできた土地です。それも山の民の「瀬降り(サンカ。以下、『瀬降り』と記述)」として。瀬降りは、遊牧民族の如く移動を生活の基本としていました。そして住居はというと、昭和の時代まで生きていた瀬降りの人でさえ、決まった住まいを建てることはなく、洞窟のような場所を雨露・夜露をしのぐねぐらとしていました。

  時として簡単な掘っ立て小屋を建てることはあったようですが、それも今日でいう「マイホーム」ではなく、精々数か月、長くとも数年を過ごせれば十分と言う仮の宿でした。

  これはそのまま、大きな形として残るもの、すなわち建設物を持たない、必要としない生活であるということに他ならず、彼らの生活していた地には、城の石垣や館の土塁といったようなわかりやすい生活の気配、集落の痕跡はほとんど残らないという結果を生み出します。

  昔々から営々と続いてきた瀬降りの生活、すなわち邪馬台国の文明の痕跡を見つけることができない理由は、この辺にありはしないでしょうか。


  もちろん建物や集落の問題だけではありません。たとえば土器。原型のままで土中に残っていれば素人でも発見が容易でしょう。しかし、生活道具というものは、人々の生活が続いている限り、使い続けられることが当たり前です。

  しかも、瀬降りの人々が生きたのは、物資が豊かで生活道具を使い捨てても不自由のない現代社会ではないのです。たぶんわずかな生活道具を、それこそ使えなくなるまで大切に使ったはずです。たとえ一部が割れたり欠けたりしても、その状態でも使える使い方、すなわち従来の使用目的とは違った方法でさらに使い続けられたことでしょう。そして、それがいよいよ打ち捨てられる時には、もはや原型をとどめていないということは充分に考えられることです。

  しかも、それらの道具は現代に多いプラスチック製品ではなく、土器や木製品です。使われ続けたその末の土に帰るというほうがよほど自然な成り行きではないでしょうか。金属製品であったとしても、1000年を超える長い長い時間はその正体を隠してしまうのに十分でしょう。


  さらに論を重ねれば、邪馬台国の人々は四国の山間部を漂泊していました。ゆえに、長い時間を一カ所に定住していれば固まって残る生活の遺物も、点々と散らばって打ち捨てられることになります。

  これは、古の生活の気配や名残が限りなく希薄になるということで、後世の我々が過去のドラマをたどろうとしても、その地理的にポイントを絞ることさえも困難にしてくれます。にも関わらず、それは発見して証拠を見せろというのは、釣り糸から切れた釣り針を大海から探し出せと言う如くの難題なのではないでしょうか。

  だいたい考えてもみてください。邪馬台国の遺物や痕跡に限らず、後世に知られぬまま、日本の地のどこかに眠っている過去の遺物はまだまだあるはずなのですから。たとえば、と、読者の記憶にも比較的新しいであろうエピソードを例にとってご紹介してみましょう。


  平成25年9月、台風18号が襲来、大雨で日本各地に洪水の災害をもたらしました。この時、京都府亀岡市にある若宮神社の境内で起こった山崩れにより数多の土器が出土しました。それは、平安~鎌倉時代の食器類で、使われていた当時の美しい姿をそのまま今日に語る逸品もあったと言います。

  しかし、もしも台風が来なければ、また、境内での山崩れが起きなければ、これらの出土品の食器たちはどうなっていたでしょうか。

  なにしろ神社の境内です。しかも拝殿横という場所ですから、そのままなら数多の遺物は誰の目にも触れることなく永久に土中に眠り続けたことでしょう。そうなのです。実は「掘り出されていない」「探されていない」過去の遺物はどこに眠っているのかわからないのです。

  まして四国は邪馬台国の候補地としては、九州、畿内に比べはるかに軽視されてきた地です。先にも述べた通り、探すこと自体が難しく、発見されにくいかたちとなっている可能性が限りなく高く、しかも、探す努力がなされていない…さすがに筆者も、この条件下にあっては、とても物理的証拠を提示できる自信はありません。(第11章その2に続く)


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