表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最終推論 邪馬台国  作者: 六津 江津子(むつ えつこ)
27/31

第10章 地名に潜む邪馬台国の気配<その5>

四国は「四国」ではなかった。


  もっと大きな地名にも、謎をとく鍵が隠されているのではないかと筆者は考えています。徳島よりも大きな地名、それは言うまでもなく「四国」です。思考と推論のポイントは読み方にあると考えています。

  「四国」の読みは言うまでもなく「しこく」です。4つの県があるのだから当然?確かに、記紀には四国を司る神として4人の神が登場します。しかし、既出に述べているように記紀は古代に記されたものではなく、主に8世紀に編纂されたものです。この編纂時に4つの国に分かれていた結果、それ以前から“四”であったように記されただけとは考えられないでしょうか。実際、江戸時代には4つ以上の領地に分けられていたりもするのですから。


  もうひとつ疑問なのが「国」という表現です。なぜ、“四”の国なら、なぜ「四州」ではないのでしょうか。九州は「九州」であり、本州は「本州」であるのに。逆になぜ、「九国」や「本国」「本ノ国」ではないのでしょうか。

  そうです。筆者は「四国」は“四”の国ではない「しこく」であったと考えているのです。しかし、分国という激動を経て四国に残った邪馬台国の末裔たちが日陰の存在となった時、哀しいかな、本当の地名も隠され、いつしか忘れ去られていったというのが筆者のたどりついた推論です。

  ただ、現時点ではどんな「しこく」が正しい「しこく」であったかについては、まだ、筆者自身、最終決定を下せないでいます。さまざまな答えの中でどれが一番正しいか決めかねているのです。それほどに筆者を悩ませる答えを紹介すれば…


●支国……首都、すなわち支配者の住む地と考えればこの「しこく」です。しかし、鬼道を駆使し、卑弥呼の下に補佐が付いてと考えられている邪馬台国の体制が推測通りとすれば、「支」の字は使用しないような気がします。

 

●始国…新しい国の始まりと考えればこの文字かもしれません。しかし、遷都という大事業を考えると少しイメージが弱い気もします。

 

●司国…支国と似たニュアンスですが、こちらのほうが鬼道を駆使した邪馬台国の体制としてはふさわしいでしょう。筆者として本命に対抗する「しこく」と考えています。

 

●祠国もしくは祀国…筆者の考える本命の「しこく」です。邪馬台国の体制を考えると一番ふさわしい名前ではないでしょうか。


さて、あなたはどうお考えになりますか?



不可解な言葉たち。


  これまでご紹介した地名の他に、筆者には非常に気になっている言葉があります。それは「山裾やますそ」という言葉です。これは普通に考えれば言うまでもなく、山地からその麓の平地にいたるその境界となる地帯を表します。いうなれば山地の輪郭線です。

  しかし、この「すそ」の部分に別の字を充てるととんでもないものが浮かび上がってくるのです。その別の字とは「呪詛すそ」。

  これなら「じゅそ」と読むのでは?そう思われるかもしれませんが、昔は濁音や半濁音が使われていなかったため「すそ」と読むのが正しかったのです。で、「すそ」を「呪詛すそ」であると考えた場合にどうなるかというと…。

  ここで思い出していただきたいのが、卑弥呼が巫女であり、邪馬台国の運営の軸を鬼道が担っていた、ある種の宗教国家だった事実です。この鬼道には、吉凶を占う占断のみならず、厄払いや呪いといった呪術も含まれます。

  ここで断っておけば、こうしたものは、今日では奇怪で恐ろしい、また逆に非科学的でいかがわしいというイメージがありますが、古代においては欠かせない要素でした。つい最近も漫画や映画で話題になった陰陽師が奈良時代頃までは天皇さえ重きをおく重要な存在であったことがその証明です。


  話を戻しましょう。筆者が何を言いたいかというと、邪馬台国にあっては「呪詛すそ」の言葉がごく普通に使われていた可能性が高いということです。そこで筆者は気づいたのです。山裾の語源は、「山呪詛」ではないかと。

  そしてそれは、邪馬台国の末裔ではない、つまり山の民(後のサンカ)ではない里人もさりげなく認識していたことではないのだろうかと。その結果として里人はいつしか山の民の住む領域と、自分たち里人の住む地との境界を「ヤマスソ」と呼びならわすようになったのだと。

  ただ、このことは、「あの辺からは、ヤマスソ(あの、呪詛を使う人たちの縄張り)だから…」と、声を落として語られ、それによって立ち入ることの禁忌が子に孫に、あるいは旅人に伝えられ続けたと考えられます。その禁忌になる経緯は、邪馬台国が闇の歴史になっていく過程に足並みをそろえていたことでしょう。


そしてさらに時は経ち…。


  山の民への畏敬が忘れられるとともに「すそ」だけが独り歩きをした結果、衣類の端などを表す日常語に変貌していったというのは大胆すぎる推測でしょうか。もちろんこれは、言語学者といった専門家の観点から見れば、笑止の一言で終わらせられてしまうかもしれない仮説であることは筆者自身、充分に承知しています。  しかし、それでもなお…。「すそ」の意味は筆者の頭を離れないのです。そして同時に、筆者への反論に返したいのです。

  「では、『すそ』という言葉はどうやって発生したのでしょうか?その経緯を示してください」。この問いに明確に答えられないなら、筆者の推論に対する反論もまた、説得力のない見解だと思うのですが。

  なお、余談として付け加えれば、「すそ」と読ませる漢字には、「裾」のほか、「裙」という文字があります。分解すれば「君の衣」。君とは…?なんとも不思議な文字ではありませんか。


  この仮説については、傍証として、ご紹介したい話があります。

  奈良時代後期まで日本の皇室にも影響を及ぼした陰陽道は中国の渡来のものですが、実は高知県香美市物部町(かつては物部村)には、奈良時代以前から日本独自の陰陽道が伝えられていたといいます。この名前が「いざなぎ流」というのも、記紀に記された日本神話と考えあわせるとなんとも不思議な話…というのは、とりあえず置いておいて。

  このいざなみ流に伝わる祭文の中に興味深い話が語られているのです。ざっとご紹介すると…。


  ある時、7歳であらゆる学問を習得した優れた姫宮がいざなぎ流を習得して日本に伝えたいと念願して。そして志を果たすべくいざなぎ流の名人がいるという天竺に向かい…


  と、話は続いていくのですが。この姫宮とは巫女なのですが…ある人物を思い出しませんか?

  なお、呪詛の推測への付けたしとして「憑代よりしろ」や「憑きつきもの」という言葉があることもここでご紹介しておきましょう。この字はなぜ、「邪馬台国」の国名にふくまれる「馬」の字を含んでいるのでしょうか。

  これ以外にも探していけば成り立ちや意味合いの不可解な漢字は数多あるのかもしれません。たとえば、日本各地の祭りに登場する「山車だし」。なぜ「山」なのでしょうか。神社仏閣はたいてい「山上」にあるからとも言われていますが、実のところこれを証明する資料はありません。

  それに神社仏閣を意味するなら「館車」でも良さそうですが。現に神輿という表現もあるわけですから。しかし、「山」。これには本当に何の意味もないのでしょうか?

※憑代…木や石、人形など神が宿るための対象物。

※憑き物…妖怪や幽霊といった人にのりうつって害を成すもの、キツネ憑きなど。(第11章に続く)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ