第10章 地名に潜む邪馬台国の気配<その3>
□福岡県の那珂川
□徳島県の那賀川
□和歌山県の那賀
「なかがわ」と発音する場合、漢字で表せば「中川」と考えるのが一般的でしょう。実際、地図帳をめくれば「中川」は全国に何か所もあります。しかし、例外もあります。「なかがわ」の「な」の字に「那」を充てている例があるのです。それが九州の「那珂川」と四国の「那賀川」。
さらに、南紀の地図に目をやれば「那賀」の地名。この3つの間には「九州の那珂川→四国の那賀川→南紀の那賀」というストーリーだった関連性があるとは考えられないでしょうか。
※茨城県にも「那珂川」の名がありますが、これは邪馬台国以降、さらに時代が進んだ5世紀以降に何らかのかたちで伝わったと考えるのが妥当でしょう。
□名張
□奈半利
名張は三重県、奈半利は高知県にある地名です。「奈半利」は川沿いの開けた土地というほどの意味があり、典型的な“昔からある地名”です。
「名張」のほうもやはり古い地名なのですが、由来については正確なことがわかっていないようです。地元では、蝦夷語に端を発するのではとする説が強いようですが、筆者は、三重県の「名張」は四国の「奈半利」がルーツと考えています。邪馬台国の分国後に奈半利を偲んだ人々によって「名張」の地名が付けられたのではないでしょうか。漢字の違いと読みの微妙な違いが分国の複雑な経緯を物語っています。
□枇榔島
□蒲葵島
枇榔島は日向灘に、一方、蒲葵島は高知県の沖合に浮かぶ無人島です。枇榔島のほうは島内に枇榔の樹が多く茂っていることに由来しているようです。これに対し、蒲葵島のほうは、形が似ているゆえのと命名と言われれば、なるほどと思えるほど枇榔島と形が似ています。
しかし問題はそこではありません。使われている漢字です。「枇榔」はそのまま「びろう」と読めます。というより、そう読むのが一番正当と言えるほどです。それに対して「蒲葵」を「びろう」と読むのは無理があり過ぎます。
現在ではどちら「びろう」と読むように辞典などにも記載されていますが、「蒲葵」が「びろう」になった理由が不明なうえ、「ほき」の読みも併記されています。むしろ、蒲葵島の存在があって、「蒲葵=びろう」とされてしまったというほうが納得がいきます。
そこで、「ほき」トをヒントに探していくと二つの地名に行き当たりました。ともに福岡県の「方城」と「宝珠山」。どちらも「ほうき」と誤った読まれても不思議の無い文字です。それがさらに「ほき」になっていった可能性も大いにあるのでは?懐かしい地名を残しながらも、新しい遷都国としての命名を…そう考えた古代の人々の切ない心が垣間見える気がします。
余談ながら、枇榔島は美女島、美女ケ島の別名があります。絶世の美女が住んでいたという伝説によるものということなのですが…。
□別府温泉(大分県)
□べふ温泉郷(高知県)
別府は有名な温泉地ですが、九州には他にも「別府」の地名があちこちにあります。しかも、その読みは「びふ」「びょう」「べふ」と多様で、「べっぷ」と限られているわけではありません。ただ、地名としては「別府」は九州では決して珍しい地名ではないということは言えます。
振り返って「べふ峡温泉」。高知県香美市物部村にある温泉ですが、「べふ」の地名は四国では珍しいものです。当然、由来は九州と考えられます。
なお、べふ温泉郷のある物部町については、当章の後記、「山裾」の内容と読み合わせていただければ、「別府」と「べふ」の関係がさらに興味深い事柄となってくるはずです。
□佐賀県伊万里市の馬蛤潟
□愛媛県今治市の馬刀潟
面白い地名です。「馬蛤」も「馬刀」も貝類のマテ貝からきているようです。たぶんマテ貝が豊富に採れることによる地名と推測されます。マテ貝は棒のような形状をした貝で、馬面のように長細い貝で馬蛤ということだと思われます。それが九州から四国に地名が渡った際、「貝」が抜け落ち、その形状から連想される「刀」の字が付いてしまったのではないでしょうか。
なお、マテ貝の棲息が豊かな干潟は他にもあったと思われるにも関わらず、この2カ所のみに伝わっていることが不思議です。卑弥呼への上納品の採取猟場だったのでは…というのは、想像がたくまし過ぎるでしょうか。(第10章その4へ続く)




