第10章 地名に潜む邪馬台国の気配<その1>
ある土地の過去の歴史を探る際、地名が大きな手掛かりになる場合があります。なぜなら、地名はその土地の風土や環境を語ることが多いからです。かつてはここに池があった、谷になっていた、古い港だったなどといったことが地名によって判明したり、推定されたりすることは少なくありません。
また時として、他の地域との関係など浮かび上がってくることもあります。但しこれには、人の感情がその“名付け”に大いに関わってくるものです。
たとえば、政治闘争、権力争いの中で地方へ流された人々が帰れない故郷を偲んで、住み着いた地にせめて故郷の地名を付けたり、故郷にどことなく似た場所には、やはり懐かしい土地を思わせる似た名前をつけたりということは珍しい話ではありませんでした。
いや、そうした悲劇的要素がない場合でも、地名が再現されることは決して珍しいことではありません。たとえば江戸時代。幕府命令にのお国替えによって他国へ移り住むことを余儀なくされた大名たち新しい所領地に以前の所領地の地名を持ち込むというのも、よくあったようです。
余談ながら紹介すれば、香川県高松市の丸亀町。この町は高松市の中央商店街ですが、「丸亀」の町名は同じ県下の第二の市である丸亀市の名前をいただいたものなのです。これは時の殿様が居城をそれまでの丸亀城から高松の玉藻城に城替えをする際に、丸亀の商人や職人たちを引き連れて引越し、高松の城下にに住まわせたことに始まるのです。
ならば、九州から四国の阿波に遷都し、新しい首都を築こうとした邪馬台国の人々もまた、故郷を偲んで四国にその気配や雰囲気を作り出そうとした可能性は十分にあるのではないでしょうか。
また、分国の際には、ルーツの地である九州はもちろん遷都先の四国の記憶をも畿内に蘇らせようとした人々がいても決して不思議ではありません。
というわけでこの章では、四国に邪馬台国が存在した傍証を地名の中に拾い上げていきたいと思います。
もっとも、似ているというだけなら、九州、四国、畿内に存在する地名で似ているものは山ほど見つけられますし、単に「似ている」だけでは、どうとでもこじつけが効きます。読者の皆さんとしても、そうしたものに簡単に賛同するわけにもいかないでしょう。そのため、ここでは筆者なりの納得のいく答えを見つけ出せたもののみをご紹介していきます。他の章とは違って、気分転換気分で読みつつ、あなたもいろいろ考えてみてください。
なお、地名に隠された謎を追う上で、気をつけなければならないこともあります。たとえばその読み方です。
たとえば、ひらがなで書けば同じ地名でも感じが違うから別物化というと、これが決してそうとは限りません。逆に同じ漢字を使うのに読み方が違っているという場合もあります。これは長い時間の中で地名の響き(読み)のみ、あるいは使用される漢字のみが伝えられた結果、もとの文字と読みが失われたためではないかと筆者は判断しています。
古代中国から伝来し、21世紀の今では略字化を進める本家の中国を凌いで漢字文化を保ち、伝え続けている日本。その漢字、しかも地名において間違って伝えられることなどあるだろうかと疑問を呈する向きもあるでしょう。
しかし、実のところ、古代よりもはるかに時代を下がった江戸時代においてさえ、同じ固有名詞を表すのに違った文字が使われることはよくありました。
わかりやすい例を挙げれば、たとえば「新撰組」。そう、幕末ドラマの主要人物として日本中で知らない人はまずいないと思われる、近藤勇、土方歳三、沖田総司などの面々がそろうあの新撰組です。この名前が記された文書は現代でも数々残っているのですが、「新撰組」と書かれたものも「新選組」と書かれたものも存在しているのです。しかも面白いことに、新撰組総長の近藤勇が記した文書にその時々で違った「せん(撰・選)」が使われているのです。
つまり、漢字の使い方が厳密で融通の効かないものものになったのは、近代になってから。もっといえば、昭和の太平洋戦争後の教育体制になったからというのが実際のところなのです。
もうひとつ。地名を謎を追っていく際、チェックしたいことがらに難読であることがあります。なぜその漢字なのか、どうしてそう読むのか、どう見ても当て字である…などなど。そうしたことを前提に、それではどうぞ。
□和歌山県御坊市の熊野
□和歌山県田辺市の熊野
□徳島県の祖谷
□香川県の弥谷寺
普通に考えれば、「熊野」の読み方は「くまの」でしょう。実際、「熊野=くまの」もあります。しかし、御坊市と田辺市の「熊野」は「いや」なのです。
また徳島県の「いや」は何故にこの字なのかが謎です。「祖=い」は、他に例の無い特殊な読み方です。
そこで筆者がヒントとして着目したのが香川県の「弥谷寺」です。この弥谷寺の寺名は仏教用語からきているとされていますが、はたして本当にそれだけでしょうか。また、「熊野」の「いや」も「祖谷」の「いや」も、「弥谷」をルーツとする当て字なのでは?当て字にしてまで残したかった地名なのでは?なにしろ、「弥谷」の「弥」の字は卑弥呼の「弥」でもあるのです。
なお、弥谷寺の存在としての不思議さには、第7章の「サンカと弘法大師」でも紹介しています。読み合わせてみてください。(第10章その2へ続く)




