第2章 卑弥呼は阿波・鳴門を目指した
いざ、ミステリーの門へ。
兵庫県淡路島町と徳島県鳴門市。2つの町に挟まれた海峡は、世界的にも珍しい自然現象に出会える海です。その自然現象とは「鳴門の渦潮」。徳島県というよりは瀬戸内海の代表的観光スポットです。海の水がまるで海底に引き込まれていくかのように激しく渦巻く奇観を見るため、幾籍かの観潮船が日に2回、海上に集結します。
また最近では、時間を見計らえば、海峡の海上はるか高くに伸びる鳴門大橋からも、潮の躍動を眼下に眺めることができます。しかし、臨場感ではやはり観潮船に一日の長あり。その大きな理由は、渦巻く潮が立てる音を耳にできることにあります。
そう。渦潮は鳴る潮。その海峡を越えてたどりつく地は「鳴門」。ここで気になるのが、「鳴門」のという地名です。「鳴」は「潮が鳴る」であり、轟音を立てる渦潮を指していることは自明の理です。そしてその鳴る潮を超えた先にある地が「鳴門」…なのですが、なぜ「門」なのでしょう。「鳴門」の地名は言うまでもなく、「なると」と読みます。その音から考えれば、「鳴戸」と書くほうがよほど自然なのではないでしょうか。
実はこの、たったひとつの漢字の存在は、日本の歴史に未だ未解決のままに横たわる謎に大きく関わっているのです。その謎とは…
「邪馬台国は何処にあったのか?」
さらには…
「邪馬台国は何処から来て何処へ行ったのか?」
そうです。この…潮の鳴る海峡を経てたどり着く地「鳴門」の「門」はそのまま、大いなる歴史ミステリー解明への入り口なのです。それでは、私たちも、その謎への「門」を今からくぐっていきましょう。
邪馬台国東遷の先は、潮鳴る海の向こう。
邪馬台国はどこにあったのか。現在、主流をなすのは、畿内説と九州説です。しかし、昭和49年から始まった吉野ケ里遺跡の本格的な発掘調査によって、そのすう勢は大きく動き、今後の発掘によっては、長年の疑問に決着がつくかもという期待も一時は大いに高まりました。しかし、その後、発見が逆に新たな謎を呼ぶという状況にいたっているようで、九州・畿内、天秤は今なおどちらにも傾きかけているようです。
また、九州・畿内双方に対し同等に敬意でも払うかのように、有力説として浮上してきているのが「邪馬台国は九州に立国し、その後、拠点を畿内に移した」という邪馬台国東遷説です。もっとも、これにしても、九州、畿内各地域における細かい拠点争いを除けば、2大説に疑いは無いというのが現況でしょう。
しかし、これは本当に正しい考えなのでしょうか。九州、畿内の2つの地域を追い続けるだけで、永い謎に終止符は打てるのでしょうか…?
早まらないでください。当書は、九州・畿内説を否定するものではありません。また、すでに既説である邪馬台国東遷説も、実は全面的に支持しています。ただ、邪馬台国のすべての謎を解くためには、もうひとつ、忘れてはならない地域があると申し上げたいのです。
その地域とは四国の徳島県。旧い名称で言えば、「阿波」の地です。かつては、邪馬台国のあった場所として名乗りを上げていながら、今は畿内・九州に大きく水を空けられ、このままでは、泡沫候補の地域同様に忘れられてしまいそうになっている場所です。この徳島の地を調べてみることこそ邪馬台国の位置を特定するための大きなステップになる…それが筆者の基本的な考えなのです。