第8章 二つに分かれゆく邪馬台国<その4>
起こりに不思議の「姫神祭り」。
なお、徳島県に残る祭事について、少し気になっている事柄があります。祭事は、日本各地のさまざまな土地に根付いている文化を語る慣習であるとともに、時に太古の歴史を示唆するものである場合があります。それを前提に…。
紀伊半島に相対するような位置にある徳島県の牟岐市には「姫神まつり」と呼ばれる祭事があります。これは、その祭りだけをクローズアップしてみれば、奇祭と呼ばれるタイプに属する男根信仰の祭りです。その由来は遠い昔の悲恋物語だということになっています。ご紹介すれば…。
土佐の国司を務める男が故郷に許嫁を残し、京の都へ赴任する。2年間の赴任期間を終えても男は帰らない。不安に駆られた許嫁は自ら京の都へ向かう。その船旅の途中、牟岐の大島湾周辺を航行中、突然の嵐に見舞われる。船はやむなく、大島の港に入り、嵐の止むのを待った。しかし、いったん嵐が治まりかけても船を出そうとすると再び、海は荒れる。
これは、女客が乗っているために船玉(船の神)様が怒っているのだということになり、ついに許嫁は船から降ろされてしまう。自分を置き去りにして出てゆく船を絶望と悲嘆の中で見送った許嫁はそのまま港の奥の入り江に身を投げる。
その後、何としたことか、許嫁が身を投げた場所に海中からニョキニョキと巨大な(男根の形そっくりの)石の柱が生え出てきた。地元民や船乗りたちは、これは許嫁の悲しみの権化だとして、そこに祠を祀り許嫁の魂を慰めることに…。
ストーリーとしては全国によくあるパターンです。問題はそこではありません。不思議なのは、男根信仰の祭りがこの地で行われていることなのです。というのも、このタイプの祭りは全国に目をやれば数多あるのですが、実はその大半は中部地方以東の地域におけるもの。西日本においては鳥取県の一部に複数見られるのをはじめ、数える程度しか存在しない珍しい奇祭なのです。とりわけ、四国・九州においては、牟岐町以外には例がありません。
そこで筆者は気づいたのです。男根信仰のかたちは、実は後付なのではないかと。もとは、文字通りに愛しい存在と引き裂かれる悲しみ、あるいは永遠に結ばれえぬ恋や届かぬ想いなど、数多の感情を慰めることだけを意図した祀り事だったのではないかと。その感情の発祥の理由は…そうです、この章の冒頭でご紹介した邪馬台国という国の分裂です。
海の向こうへ去っていって二度と戻らない愛しい人。それは、新しい邪馬台国づくりのために、四国に残った者たちとは袂を分って船出していった者たちだったのではないでしょうか。その中には、もちろん祭りの起源とされているように、恋人同士の者もいたでしょうが、親戚や友人、あるいは親子・兄弟でといった関係もあったのではないでしょうか。いや、むしろ、親子・兄弟が袂を分かつという例のほうが多かったのかもしれません。
なぜなら、自らの血を残していこうと考えるなら、片方だけではなく両方に賭けるほうがずっと生き残り確率が上がるからです。だからこそ、あえて親子・兄弟が別々の道を選ぶという選択をする。その結果、愛しい存在を追い切れなかった悲しみ、追って行ってはならない定めの切なさだけが残り…。しかし、それをあからさまにすることができないからこそ、恋物語にすり替え、祭事とすることで心に刻むとともに子子孫孫に伝え残そうとした…祭事の発生として、充分にあり得ることではないでしょうか。
なお、分国の悲しみが男根信仰の祭りへと変容していったことには、邪馬台国の存在を意図的に隠そうとする何らかの力学が働いていたと筆者は考えています。その力学については、拙著を読んでいただければ、十分に見当がつくことと思います。
さらに…。
国を分かって旅立った者たちがまず目指したであろう南紀の地。神の山と呼ばれる熊野三山の中の熊野速玉大社には、「山」にも関わらず、「御船祭」が毎年行われています。姫神祭りと合わせて考えた時、これもまた、なんとも気になる神事の存在ではありませんか。(第9章へ続く)




