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最終推論 邪馬台国  作者: 六津 江津子(むつ えつこ)
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第一章  はじめに

ごあいさつ


前提として…これは邪馬台国の歴史について著者の考えるところの“真実”を記したノンフィクションです。小説ではないことをまずはご理解ください。


また当作品が初投稿のため不慣れな点が多く、仕様書式など連載中、若干の変更等等が発生する可能性もあります。あしからずご了承ください。


なお、連載は週一にて金曜午前0時頃を予定しています。お知らせまで。



邪馬台国の歴史は、どこへ行ったのか?

邪馬台国の歴史は何故、消えた、否、消されたのか?

これは、数多の邪馬台国ファンと古代史ミステリー研究家に贈る挑戦状である。


最終推論 邪馬台国

  

第1章 はじめに


 日本の歴史における最大のミステリー。それは言うまでもなく邪馬台国の発祥とその消滅です。この謎を解くために必要な要素は何でしょうか。

 遺跡の発見と発掘。確かにそれは過去の事柄を知るのに不可欠な要素でしょう。遺跡で発掘された道具や化石など。それも確かに、遠い昔の先人の生活を語る歴史の証言者であり、とりわけその研究は、歴史の愛好家をわくわくさせてくれます。


 しかしそれらは、実物がその目に見えるだけに、その高い説得力が時として優れた詐欺師の手腕にも似た虚言を語ってくる場合があります。それも、人の手という相棒とともに…。

 そう、古代史に興味のある方なら、すぐにあの事件を思い出すでしょう。東北旧石器文化研究所副理事という立場にあった人間が宮城県内各地の遺跡で次々と「日本に前期旧石器時代が存在した証拠」の石器を発掘した、はずが…という事件。

 事実が白日のもとにさらされてみれば、その手腕をして「神の手」と呼ばせしめた当の福理事が前もって遺跡の中に石器を埋めて置き、それをあたかもその場で発見したように見せかけた悪質なねつ造だった事件。あれは、「証拠」が必ずしも真実を語るものではないことに何よりの証明です。


 もちろん、筆者とて、すべての化石や出土物等のすべての遺跡や遺物に対して疑いを抱いているわけではありません。実際、これまでも、それらをもとに多くの歴史の謎が解明されてきたこともまた、肯定されるべき事実であると大いに認めています。しかし、同時に、それらが過去の真実の100%を語る証拠として盲信することもまた危険であると申し上げているのです。


 では角度を変えて、日本国内を問わず各地に残る古文書の類はどうか。それも、時として驚きの歴史を現代人の我々にプレゼントしてくれる粋な存在です。しかしこれらも、さも究極の真実を語っているような顔をしながら、歴史愛好家のみならず日々研究を重ねている専門家さえ、ペテンにかけてくる存在であったりもします。

 たとえば旧いところでは、「竹内文書」。日本人がユダヤ人の末裔であるという日ユ同祖論者たち、または日本人を最古代文明人であり、貴種の系譜であるとかたくなに信じる人々が拠り所とする本として有名です。

 しかし、これは、世界的にも偽書として知られている「シオンの議定書」に基づいた、日本オリジナル偽書として、今や歴史的価値を完全に否定されています。にも関わらず、竹内文書の内容を唯一の真実と盲信し、そこに古代の謎解明の手掛かりをみつけようと悪戦苦闘している人々は未だ多く存在しているのですが…。


 また、昭和の時代に偽造されたことが間違いないことが確認されてしまった「東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし」は、その持ち主(=当資料の偽造主)によって発表された時、大学教授をはじめ数多の人々がその“歴史的大発見”に沸き立ったものでした。


いや、そもそも。


 日本の古代史として誰もが知る記紀、すなわち「古事記」と「日本書紀」ですらも、実際に古代に書かれたのではなく、ずっと後世の和銅~養老年間、すなわち西暦700年代初頭に編纂されています。そして、その内容が決して実際に起こった史実だけを語っているものではないことも、もはや当たり前のこととして受け入れられています。


 つまり、古代史をたどる大前提ともいえる記紀の編纂の時期すら決して確かなものではないというのが日本国成立の歴史記録の現状なのです。

 なにしろこの二つの書、ともに日本の国の始まりを語っているにも関わらず、その内容が食い違っている部分が少なくありません。これは誠に奇妙な話でしょう。パラレルワールドでもあるまいに、この世界が一つである限り、実際に起こってきた事柄=事実hひとつのはずです。それが二つ記されているということは、少なくともどちらか一つが間違っているということになります。いや、あるいは両方共が間違っているということも、充分に考えられます。


 ましてや、邪馬台国があったとされる時期と記紀編纂の時期とののタイムラグはざっと500年。しかもそれは、記録という概念が低く、情報の伝達方法も人から人への直接伝達という方法しかなかった古代。はたして真実に近い出来事が正確に伝えられ、残される確率というものはどれほどのものでしょうか…?

 さらに、現段階では、邪馬台国の謎を解くうえで一番重要視されている「魏志倭人伝」も、研究者の解釈の違いによって却って混乱を生み出しているというのが現実です。

そう考えれば、歴史の事実を追い求める現場において、残された記録という証拠がいかに心もとない手掛かりであることがおわかりいただけるでしょう。


 もちろん、数多の研究者の中には、これまで判明している資料や証拠によって邪馬台国の謎が解決する日は近づいていると信じる向きも少なくないでしょう。

しかし、それは本当でしょうか。

 実は、近づいている“はず”と「信じて」いるだけではないでしょうか。もっと厳しい言い方をすれば、解明に近づいているはずという期待に“すがっている”だけなのでは…?

そう考え続けた筆者が謎解明のための重要なファクターとなると考えたもの。それが「推論」です。これまでに出てきたさまざまな状況証拠をもとに展開していく推論こそ、重要な作業なのではないでしょうか。


 古代史とは方向が違ってきますが、宇宙誕生の謎に迫る理論物理や天文学などにおいては、推論は重要な作業であるといいます。なにしろ、実験することが叶わない課題の多い学術分野です。それだけに、推論無くして前へは進めないというのが否定できない現実というわけです。そう、まさに未来を身に行くが如くの最先端の分野において…。


 そうなのです。分野によっては重要な作業となる推論が、少なくとも日本の古代史研究においては必要以上に軽視されているというのが筆者の感覚です。しかしだからこそ、筆者は推論に挑んでみました。そしてそれらを重ね合わせていきました。

 なぜなら、その推論の果てにたどりつくところ。それこそが邪馬台国の謎の解明への扉であると確信するからです。いや、推論こそが謎の扉を開く鍵であると筆者はここに断定します。

 だからこの本を読み終えた時……。あなたの中に邪馬台国の謎に関する知識の一片があり、もしそれが拙著の内容と一致したならば、その瞬間こそが邪馬台国の謎解明の大いなる一歩となるでしょう。そしてその時には、あなたこそが筆者を追い越し、邪馬台国の謎解明のトップランナーになるかもしれません。


 あなたは…筆者の挑戦を受けますか?

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