ビギン ザ ビギン 2
結局、社長の宿題の答えらしい答えは出せないままに、打ち合わせ当日になってしまった。
恋の形って意味だろうか?そうなると、初恋、両想い、片想い?
愛ってなると、無償の愛、略奪愛?……いくらなんでも略奪愛はないだろう。
この中に答えはあるだろうけど、社長の考える事はあんまり分からないからなぁ。
そんな事を思いながら、僕は自宅から2駅離れたとある企業のビルを目指して歩いていた。
いつも歩いて移動している訳ではないけれども、電車を利用すると、その後のバスが打ち合わせの時間には少ないので、自宅から歩いた方が結果的に同じ時間になってしまうのだ。
アイドルは体が資本なんていいながら、運動らしい運動ができないからこんな時は運動するに限ると決めて、時間に都合がある時は、なるべく歩くようにしている。
アイドルの時は、長め黒髪にところどころ紫のメッシュを入れた髪にしている。
正確には、そういうウィッグを付けている。家業との兼ね合いを考えての事だ。
なので、普段は前髪が長めではあるけれども、さっぱりとさせている……つもりだ。
ちなみに、素の僕で街を歩いていても気づかれることはない。
今日は、打ち合わせ以外も仕事は入っていない。来週の金曜日からは例の時代劇の仕事が始まる。ロケはまだ先だが、マスコミ発表の場に参加するようにということだった。
それまでに利休の衣装とかを決定するという事だった。
衣装さんから借りられるのか、自分の着物を使うのか……そこはこれからだろうから、衣装合わせの時に和装で現場に入れば問題はないだろう。
今の僕の恰好は、いつものままだ。クライアントのビルの手前のコインパーキングで澤田さんと待ち合わせている。そこでウィッグを付ければ楓太の出来上がりだ。
後は、深めの帽子にサングラス。芸能人って感じではなくて、スポーツタイプ。
ブラックジーンズにライトグリーンのパーカーに白いTシャツ。靴はランニングシューズ。
それにメッセンジャーバックをひっかけている。
やがて、見慣れた事務所のワゴンが見えた。ドアをノックするとスライドドアが開く。
「おはよう。雅」
「澤田さん、珍しいですね。本名を呼ぶなんて」
「まあな。まだ楓太になってないだろ」
澤田さんに言われて納得する。確かに、今の僕の服装は楓太だとしないだろう。
今日はこの後図書館に寄ろうと思っていた位だから。
「あはは。良く分かったね」
「オフは楽しむのはいいけどな、分かっているだろ?」
「大丈夫ですよ。この後図書館に寄るだけですよ。借りたい本を予約していたので」
「楓太は、一番庶民的な生活しているよな」
「そうですかね?僕自身は何も持ってませんからね」
「お前の血筋はいいけど、それは限りなく封印しているからな。隠さなければまた違ったのに」
「それが、僕の契約の条件です。グループ解散になるか、もっとキャリアを積んでからカミングアウトでいいんじゃないですか?」
「本当にお前はしっかりしているな。お前、家業を継ぐ必要がなかったらどんな職業についてみたかったんだ?」
「音楽に携わって見たかったですね。ですが、アイドルは想定していませんでした。なのでスカウトは僕としては渡りに船だったようなものです」
「成程な。確かに家業を考えてら逆の方向だものな」
「服装はそのままで、楓太になりましょうか」
僕は持って来て貰った鞄から楓太に必要な小道具を取り出す。
いつもの髪にセットして、後はコンタクトを入れるのだが……小道具の中に入っていない。
「あれ?コンタクト……今日はメガネでもいいですか?」
「今日はスチールはブログ程度だから、コンタクトの調子が悪いから眼鏡で通せばいいぞ」
いつもはコンタクトを使用しているが、ドラマの配役とかによっては眼鏡も使っている。
もちろん、僕のウィッグはメッシュがない黒髪のものも用意されている。
「澤田さんの今日の予定は?」
「今日は……ここが終わったら、樹を迎えに行くんだよ」
「樹……マンションにいないんですか?」
「樹の別宅。文京区にあるあそこだ」
樹は事務所契約のマンションで暮らしているが、親御さんの意向で月に数回程親御さんの知り合いのお宅で暮らすことになっている。
「また、体調でも崩したのですか?」
「違う。君塚からご両親が泊まりがけで来ていたらしい」
樹の両親は、都内からちょっと離れた君塚で今は暮らしている。
樹の母は、ママブロガーからエッセイストに転身している。息子が樹という事を彼女は隠している。でもそんな彼女の本職はカフェのオーナーだ。君塚の自宅の一部は寛げるカフェになっている。
「それなら仕方ないですね。社長に、和菓子職人の方は日程だけ決めるだけなので伝えて貰っていいですか?あの人、たまにメール見落とすことあるから」
「相変わらず、そう言う事は手早いな。分かった。伝えておくよ」
打ち合わせの時間前になったので、僕らは車を後にした。