明日へ 3
「オールアップです。お疲れ様でした」
無事に君想いショコラの撮影が終わったのは19時を過ぎたころだった。結局みんながそこそこNGを出したりしたためここまで時間がかかってしまったのだ。このメイキングは編集でHPで公開じゃつまらないから、俺達の先輩達の作ったCMと今回のCMのメイキングを利用した特別DVDを期間限定でコンビニ会社で発売する事になった。
それを決めたのも、俺に呼び付けられた太田さんの一言なのだが。この人はやると決めたら有限実行だから、スタッフの皆さんの青色吐息が想像できた。
俺とナツミちゃんだけ残して現場は解散になって、俺達は社長と太田さんと一緒に社長室に行く事になった。
「申し訳ない。どうも彼女のが最期の置き土産をしてくれたようです。それも自分と分からない様に、第三者になり済まして」
「これは……警察に報告する事案になりますよ。社長。私はこれで」
報告書を提出した里佳さんは早々に帰ってしまった。
「お前達にはこの報告書と今までの騒動のコピーを渡しておく。状況を把握しておくように。ふうは部屋の明け渡しは早めるように指示を出すからその通りに動く様に。タクシーを呼んだから二人で一緒に帰りなさい」
「分かりました。お先に失礼します」
「ふう君達ってご近所さんなの?」
「なっちゃんが僕の自宅のお隣に居候しているんですよ。だから一緒に移動の時がどうしても多いんです」
「成程。でも暫くは二人一緒じゃない方がいいのかな?あっ、でも一緒の方が都合がいいんだっけ?」
「ふうは、どっちでもいいんだよな?」
「もちろん。ご安心を。なっちゃん、帰るよ」
「はい、お先に失礼します。よろしくお願いします」
そして僕らは事務所のエントランスでタクシーが来るのを待つ事にした。
「雅さん。後で話したい事があります」
「うん。いいよ。どこにしようか?」
「雅さんの家に行ってもいいですか?」
俺の家か。だったら最初に来て貰ってもいいだろう。
「じゃあ、なっちゃんは先生の家に僕の家に寄ってから帰るって言って」
「分かりました」
なっちゃんは、先生の家に電話をかけ、俺の家に寄って帰ると伝えてから通話を終えた。
「先生がね、私のデビューのお祝いを雅も一緒なら今日やっちゃいましょうって」
「はあ?でもらしいね。あの人達、うちに泊まる気なんだよ。明日皆オフでしょう?」
今日のロケを考えて明日は全社全員オフになっている。
「私も?」
「大丈夫。うちは部屋が余っているから。ゆっくりとリンと遊べるよ」
「それは嬉しいです。学校の宿題も鞄に全部入っているから教えて貰ってもいいですか?」
「いいよ。さあ、タクシーが来たよ。乗って帰ろう」
自宅に戻ると、お鍋とケーキとローストビーフが同居している摩訶不思議なテーブルがあった。
「急遽パーティーになったからあるものを持ち寄ったらこうなっちゃたの」
あはは……と母さんと先生が笑っているけど、全くごまかせていない。
しかも、もうお酒も飲んで泊まる気満々だ。
「夏海ちゃんは雅の隣のお部屋にお布団敷いてあるからね。眠くなったらお隣よ?」
「分かりました」
「母さん、そう言う言い方はないでしょう?」
「一応ね。一応」
和やかというか、はっちゃけた宴会はメインよりもアルコールにシフトしつつある。
「なっちゃん。後は大人だけにしよう」
俺は彼女を促して二階の部屋に行く事にした。
俺達が階段を上がる音を聞きつけて、リンが僕らの後ろから追いかけてくる。
「ああ、ただ今。リン。お前どこにいたんだ?」
食事中はリビングにいなかったから、和室の炬燵の中にいたんだと思うけど。
ご機嫌に喉を鳴らして、僕らの足元にいる。
「帰ってから部屋は暖めて置いたけど、なっちゃんの所はまだ寒いからこっちにおいで」
そして僕は始めて女の子を自分の部屋に招いた。
「ごめんね、引っ越しの準備で殺風景で」
「私の実家もそんな感じです。雅さんは下の部屋何ですよね?」
「うん、リンも一緒に行くにゃんよ」
俺の顔の前にリンを抱いておどけてみせた。
「リンも?だったらあっちでも遊べるって事」
「そうだね。リンのご機嫌次第だけど」
そう言って俺は抱いていたリンを床に下ろした。
「なっちゃんの言いたい事って何かな?」
徐に俺は彼女がこの部屋にいる理由を聞いた。
「あのね、ありがとう」
「ん?何が?」
「私の居場所を作ってくれて」
「そうかな?僕は特にしていないよ」
「そんなことないよ。学校には居場所はなかったけど、事務所には私の居場所があったよ。私、一番下っ端なのに」
「それは、今までなっちゃんがちゃんと努力をしてきた事を皆が認めたからだよ。うちの事務所は入ってからも努力を求める事務所だから大変だと思うよ」
「そうなの?」
「そうなんです。他の事務所以上にレッスンも多いから。なっちゃんは音楽に関してはレッスンなしでデビューしたって事がシンガー組は驚愕ものなのさ」
俺たちだって、一番短い樹でさえも3カ月はびっちりレッスンした位だしな。
「モデルの方も雑誌メインだからランウェイを歩くとかの練習はしていないでしょう?」
「うん。雅さんとのCMでもセリフがないからそんなに演技のレッスンってないよね?」
「でも、これからは徐々にやり取りをしていく事になるから、少しずつ入っていくよ」
「ほらっ、そうやって徐々に慣らしていくの。雅さんが一番優しいの。どうして?」
夏海ちゃんは真ん丸な目を輝かせながら俺を見ている。気持ちを伝えることは簡単だ。でもそれが許される関係ではない。特に俺から告白するなんて……許されない。
「どうしてだと思う?」
「うーん。お姉ちゃんに面倒を見ろって言われたから」
「それは、そうだけど。それだけではないよ」
「ふうん、ねえ、雅さんって……好きな人はいるの?」
俺がワザとはぐらかしているのが分かったのだろうか、直球な質問をしてきた。
「いるよ。彼女の涙は見たくないって思う子はいる。その子の為なら俺はなんだってできるかもしれない」
「いいなあ。そこまで思われている子。羨ましいな」
「なっちゃんはまだ12歳だろ?もっと大きくなって、もっと素敵な女性になれるよ」
「本当に?」
「うん。本当」
俺の目を見つめていた夏海ちゃんはふにゃりと笑っている。
「今ね、雅さんが好き。一番大好き」
「うん。僕も夏海ちゃんが好きだよ。でも……今はここまで」
「どうして?」
想いが通じたのにどうして?という顔になっている。ごめん、君の成長を見守るって決めたんだ。だから一番残酷は事を今から言うよ。
「仕事はどうするの?それに俺……春には大学生ね。世間的にはそんなカップルは好奇の目で見られるんだよ。それでも……夏海は耐えられるの?愛だけでは無理なのは12歳でも分かるだろう?」
俺が諭す様にいうと、夏海ちゃんは頷く。やはり、この子は賢い子だ。
「だから、もっと素敵な女性になった……その時には俺が君を迎えに行くから。それまではこの世界での仕事を花嫁修業だと思って頑張って。俺は誰よりも近くで見守っているから。別々の仕事をしていても。この手は離さないから。これは約束。だから、皆の前では僕が好きって言わない。好きな人はいません。言えないのなら、この仕事を辞めて普通の女の子になった方がいい」
僕が最後に言った一言で夏海の目に涙が浮かぶ。
「嫌、雅さんと過ごした時間をなかった事にはしたくない。分かった。もっと素敵な女性になるから。その日が来るまで待ってて。ちゃんと迎えに来てね?雅さん」
「一つだけ教えてあげる。事務所のタレントで僕の本名を知っているのは、君だけだよ。これって凄い事だと思わない?」
「雅さん、大好き。誰よりも好き」
「だから、約束は?」
「二人でいる時も……ダメなの?」
「二人きりでいる時だけ。その代わりに仕事以外では一緒に外出しないし、ご飯を一緒に食べる事もないよ。二人きりでいる時間もほとんどないよ。普通の女の子の恋はできないよ?」
「それでもいい。普通の女の子の恋は、CMの中で体験できるから。今は、雅さんの彼女候補でいい」
そこまで言われてたらこっちは妥協線を決めるか。俺は大きくため息をついた。
「僕が迎えに来るまでは、隣に座らない事。他の人がいる時はいいけど。約束を守れる?」
「うん。約束して?」
夏海ちゃんが小指を差しだした。うんと小さな君と一度だけ指切りをした事を思い出した。
「いいよ。指切りげんまん。針千本飲ます。指切った」
「ごめんな。夏海。これからも頑張ろうな?」
「はい、雅さんと一緒なら頑張れます」
「うーん、二人でいる時位はさんは止めてくれない?」
「それじゃあ、どう呼べばいいの?」
「好きにしたらいいよ」
この位は呼びたいように読んだら?君はどう俺を呼んでくれる?
「みーくん。これだったら、同級生?って思うかもしれないでしょう」
「みーくんね。それは初めてだね。いいよ、それで」
「みーくん……勉強教えて?」
「はいはい。お姫様。今日はどちらにいたしましょうか?」
「私。お姫様じゃないもん」
「昔。俺に向かって行っただろ?発表会の時にさ」
「そんな昔を思い出さないでよ」
8年も前の事を掘り返されたら、そりゃあ怒るよな。機嫌を損ねてしまったお姫様の機嫌を直してもらうために、夜のコンビニに君想いマカロンを買いに行かされて、スチールと同じふりをさせられたのは二人だけの秘密の話。
翌日から、俺はいつもと同じ時間に起きる。ダイニングテーブルは昨日の酒宴のあとはなくいつもの様にひっそりとしている。
まずはお湯を沸かして、冷蔵庫のイオン飲料が冷えているかどうか確認をする。母さん達は飲み過ぎた日はイオン飲料のみだ。父さんは、半熟な茹で卵を食べたがるだろう。
夏海ちゃんは……今日は土曜日だから学校は休みだし。昨日は23時まで起きていたからゆっくり休ませてやりたい。
冷凍庫の中からミックスベジタブルと切って保存していたベーコンを出してミルクパンにバターを少し入れて炒める。その後、コンソメの元と牛乳と塩こしょうで味付けをして簡単なスープを作っておく。
父さんは今日は和食だろうから、ご飯を少し柔らかめに炊いておくようにセットする。今日のお味噌汁は、シジミのお味噌汁の素があったので、それで我慢して貰おう。
野菜が少ないけれども、それは午後以降に野菜を食べる様にすれば問題ないだろう。
洗面所に置いてあるランドリー籠の洗濯ものを洗濯機に入れて洗濯を始める。
一度玄関を開けて、新聞を取りに行く。2月の始めの朝は流石に薄着ではこたえる。急いで家に戻った俺はリビングに移動して新聞を置いてから、マグカップにほうじ茶を淹れた。
今日は完全オフ。日曜日は午後から生放送に出演する予定だ。俺と夏海の関係は少しだけ前に進んだけれども、未来を共に過ごす為の約束を果たす為に。俺達は俺達の日常をいつものように過ごせばいいと自分に言い聞かせた。




