明日へ 2
ジャズ番組のリハーサルの前に長時間の待ち時間があって、ようやく俺は指あみ用の毛糸を用意する事が出来た。本も一緒に買ったので、困ったときでもどうにかなる。
その本を見ながら、俺は澤田さんの車の中で黙々と指を動かしている。
「ふう……どうして……編み物?」
「こないだスタッフさんがしているのを見て、首元がふんわりしているのもいいかなって」
俺は目線を上げもせずにせっせと勧める。最後の端の処理をして無事に初めてのマフラーが出来上がった。
「出来たあ。ねえ、澤田さん凄くない?俺でもできるんだよ?」
「ふう、その言葉……真澄さんの前では言わない様に。あの人壊滅的に不器用だから」
「ふうん、真澄さんには違う武器があるじゃない」
「こらこら」
真澄さんは、里美さんと同期の現役モデルさん。期間限定スイーツでコンビニ会社で共演することは決まっている。撮影は発売日直前。本格的は打ち合わせは国営放送の打ち合わせの翌日だ。
「ねえ、澤田さん。今回のロケ……時間かかりそう?」
「恐らく、だったら……お使い頼んでもいい?」
「いいけど。」
僕は待ち時間を快適に過ごしたくなったので、澤田さんにお買い物リストを手渡してお使いに行って来て貰う事にした。澤田さんの目が心なしか遠くを見ていた気がしたけど……気のせいだよね?
30分程すると。大きな紙袋二袋を抱えた澤田さんが戻ってきてくれた。
「ふう、俺をさらしものにして楽しかったか?」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……ありがとう。お釣りは手数料でいいよ」
「そうはいくか。お使いって言って五万渡しただろうが」
「だって……いくらかかるか分からなかったから」
「とりあえず、棒針セット、鍵針セット、初心者の編み物の本。編みぐるみの本。本に載っているマフラーと帽子が編める毛糸。これでいいか?」
「ありがとう。澤田さんにも作ってあげるよ」
「気持ちは嬉しいけど……貰えるなら女の子が嬉しいよな?」
「学生の頃……貰わなかったの?」
「俺さ、高校でバスケットやってたけど、男子校でさ……俺の黒歴史だ。聞かないでくれ」
高校時代に何かがあったようだ。聞くのが怖くてそれ以上は聞かないで待ち時間を編み物を楽しむことにした。
その後はバタバタと4月からの新番組の顔合わせやプレスリリースが始まった。4月からは1クールで連続ドラマの収録が入ってくる。年末に言われていたピアノを弾くシーン込みの主人公の親友役だ。主人公は、他の事務所に所属している売り出し中の俳優さん。僕と同い年なのだが、とても元気で……樹と一緒にいる様な気がする。
「楓太君、俺の事……樹みたいって思ってない?」
「うん、ごめんね。樹の事知っているの?」
「うん。俺は覚えているよ。凄く歌が上手だった。同じ合唱団にいたから」
樹から聞いた事がある。幼いころに一杯歌いたくて合唱団に入っていた事を。その時に出来た親友が急に引っ越してしまって淋しくなって始めて泣いた事。この業界に入ってからも彼を探している事。
「君が樹の親友だったのかな?だったら……樹が探している。今でも君の事を」
「樹が?……どうして?」
「返したいものがあるって言っていた。そうだな……うちの公式ページから個人でアクセスをして貰ってもいいかい?僕が間に入ると面倒くさいだろ。だったら最初から事務所に連絡を入れた方が早い。社長とマネージャーには僕の方から連絡をするから。ごめん、君の名前は芸名じゃないよね?」
「うん。これは本名」
「分かった。今日は流石に無理だけど。明日には僕が事務所には連絡を入れておくから」
「ありがとう。珍しいね。この業界でこんなに優しいのは」
「だろうね。僕は歌いたいんだ。歌にプラスになるお仕事は何でも引き受けるよ」
「へえ、ふうくんってそう言う人だったんだ。がむしゃらに売りたいわけじゃないんだ」
「あまり忙しいのも疲れちゃうじゃない?そこまでは僕は望んでないからね」
「へえ、ピアノは?自分で演奏するの?」
「その予定。ちゃんとこのオファーが来てからはちゃんと練習しているよ。アイドルになってからは少しだけ練習をさぼっていたからね」
「へえ、本当に音楽が好きなんだ。俺は……いずれは舞台をメインにやりたいんだ。今は流石に無理だけど」
「樹もミュージカル俳優になりたいって。いつか共演出来るといいね」
「そうだね。その前に今回はよろしく」
「ピアノでがっかりさせない様にしないとな」
僕達はがっちりと握手をした。次の日のスポーツ紙にその写真が載るとは思ってなかったけど。
そしてその週の週末。事務所のタレントと事務所スタッフが全員集合している。ここは僕達の事務所。今日はここで君想いショコラのCM収録を行う予定だ。何が大変だったかというと。この日に全員集合する事以外ありえない。
「いいか。変なNGじゃなければどんどん勧めて行くからな。全員の役柄は把握したか?」
「はあーい」
「まずはリハーサルするからな。頑張って行こう」
「よろしくお願いします」
社長の一言で和気藹藹としたムードの中、リハーサルが始まっていく。
「真澄さん、あの……ニットの帽子返して下さい」
こないだ真澄さんに貸しなさいよって取られてしまった帽子は返して貰ってない。
「ちょっといいじゃない。今日は小道具で使うんだから。大人しくしないと、ふうが作った帽子ってことでオクに出すわよ」
「その発言……いろんなものを捨てていますよ。止めて下さい」
「じゃあ、ナツミにさっき小道具で貸してあげたから返して貰いなさいよ」
「どうして!!そういう事をするんです。あなたって人は本当に里美さんと同級生ってぇ」
最期まで言われる前に椅子に座っていた僕の頭に真澄さんがげんこつを降らせた。
「そういうことは言わないことよ?ったく、この子は口を開けばいつも毒を吐く」
「楓太さん」
「なっちゃん。おはよう。本見たよ。可愛く撮れていたよ」
「ありがとうございます。真澄さん……この帽子って貰って良かったの?」
「ああ、それね。こいつに聞いてみな」
「なっちゃん……これ僕が編んだんだよ。気に入ったのならあげるけど?」
「ええ!!これ楓太さんが編んだの?すごーい。今度教えて貰えますか?」
なっちゃんが編み物できないことはあんまり深く考えていないけど、真澄さんが出来ないってのはどうなのだろう?
「とりあえず、なっちゃんは仕事のペースが落ち着いたらね。CMはこの帽子を被るの?」
「はい、これに合わせた衣装を用意してくれるって。私のシーンは今回一コマだけなので私服でもいいんですけど……」
なっちゃんの今日の服装は中学校の制服だ。ようやく学校に行き始めたんだ。
「学校は?どう?」
「来年度で転校なので、保健室登校にして貰っています。期末テストが学年トップだったそうなので先生達も何も言いません」
「また、勉強を見てあげるから……落ち着いたら言って?」
「楓太さん、聞いてる?コンビニのCDの話」
「カバー曲の仕様の権利関係はちゃんと事務所が本来の手続きで勧めてくれているよ」
「そうじゃなくて、どこからか音源が漏れているらしいの」
俺はその言葉に反応した。俺の視界の端には社長がいる。俺はすぐに社長を呼んだ。
「ナツミ、偉いぞ。里佳さんに相談してみましょう。ふうは太田さんを呼び出せますか?」
「やってみます。無理なら高山さんでもいいですよね?」
「ああ、いい。二人とも暫くは注意をするように」
「「はい」」
ナツミがちょっと緊張している。僕はそっとその方に手を置いた。
「大丈夫。前みたいな事にはならない。僕達がいるから安心して」
「ん?なっちゃんどうかした?この怖いお姉さんが何かした?」
昌喜がおどけながら聞いてきたのをみて、ナツミちゃんは大丈夫ですよ。寝不足なだけですって小さく答えた。
「何かあったら、兄ちゃんに相談しな。なっちゃんには兄ちゃんも姉ちゃんもこんなにいるんだから」
「そうそう、なっちゃんはこの事務所の末っ子だもの。皆もっとなっちゃんのお世話をしたいのよ。なのに、この馬鹿が……」
「真澄さん?変なところでセリフを噛まないでくださいね?編み物位って言いませんが、淑女としての嗜みとしてはいいかと思いますよ」
「また、始まったよ。なっちゃん、兄ちゃん達にその制服姿を見せてよ」
「公立校だから平凡ですよ」
「それがいいの。なっちゃん、お兄ちゃんって言ってごらん?」
「昌喜お兄ちゃん?」
「わぁ、本当に可愛い。マジ天使」
昌喜が事務所の隅ではしゃぎ始めたの見た皆が集まってくる。
「昌喜だけずるくない?」
「じゃあ、今度はお姉ちゃんって言ってみな?」
皆がナツミちゃんをいじり倒し始めた。そして昌喜は俺の様を見て親指を立てている。
「ああ、悪いな」
「ナツミ……どうかしたの?」
「正しくは、僕達二人でしょうね。もう社長に投げたので平気です」
「大変ね。大々的にデビューしていないのに。まあ、ピュアで弾きつけられる子だもの」
真澄さんがそう言うと、あの子も大変ね。過保護にしすぎないことよって俺に忠告してきた。そんな事は嫌って程分かっている。俺は頷くしかなかった。