じれったい 3
オフの翌日の朝、朝食を取りながら俺は両親にこれからの事を話した。
「俺、リンを連れて3月には一人暮らし始めるから」
「えっ?リンを連れて行くの?」
「そうだよ。こんなに俺にべったりなのに……飼い主である母さんはお世話してる?」
「しているわよ~」
母さんはにこやかに言っているけど……俺がやった後に餌を追加しても意味ないと思うよ。
「でもさ、リンの予防接種の予約入れたりしていたの俺だけど?」
「そうだったかも……」
「母さんも動物飼うの初めてだからさ」
もう……付き合いきれない。やっぱりリンをこの家に置いてはいけないや。
「帰ってくる時はリンも連れて来る。二人に任せられない」
「まあ、いいかしら。この家は普段不在がちだもの」
不在といっても隣の事務所だけど。それを不在って言い切ってしまう母さんはお嬢さん育ちだよな。
「引っ越し先は」
「社長の持ちマンションの3LDK」
「あそこならセキュリティーも安心だな」
「お隣にいるお嬢さんもそうでしょ?」
「彼女は社長の家に居候だって。親戚だからその方が安心でしょう?」
これから引っ越しまでの事を簡単に話してから俺は出かけるまでの間にリンの世話をして掃除機をかけた。
今のスタッフさんは猫アレルギーはないけれども人によってはあるかもしれないから、注意をしておくのはいい事かなって思う。
これから仕事で関わって行くスタッフさんで猫アレルギーのあるスタッフさんがいないかどうか調べて貰った方がいいのだろうか?そこのところは澤田さんに相談してみよう。
今日の仕事は自宅まで澤田さんが迎えに来てくれる。
今日は週末放送予定のバラエティー番組でマカロンのPRをする事になっている。
今年のクリスマスイブは金曜日。一週間後には発売になる。先輩達も収録のはずだが、スケジュールは同じではないって話だから会えるとは限らないが、最新の注意は必要になってくるだろう。
そんな事を考えながら掃除機をかけていると、リンが掃除機のコードと戯れている。普通の猫は掃除機の音は嫌がるよね?ドライヤーも嫌いじゃない子だから平気なのだろうか?
始めての猫との生活は初めての事ばかり。親に内緒で、通販限定猫雑誌も定期購読の申し込みもしたし、猫のお世話で分からない事はネットで調べた。
唯一分かったのは、本来の猫はお風呂は好きじゃないらしい。特にシャワー。
で、シャンプーすると流す必要があるから、子供が使う象のジョウロを買って使う事にした。これだと音があまりしないから気にいったようで、大人しくシャワーをさせてくれる。
澤田さんが迎えに来るまで、俺はリンと遊んでいた。
「本当に猫にべったりだな……ふう」
「今までこれといった趣味がなかっただけです。」
「お前の読書とか……アレは趣味って言わないのか?」
「今でも読んでいますよ。リンが膝の上に乗っているけど」
「それは変わらないんだ。CMの企画を考えている時なんかは?」
「テーブルには乗せないので、膝に乗ったり、背中登ったりしていますよ」
「おっ、以外に躾けをしているんだな。甘やかしているのかと思っていた」
リンが来てから、リンの世話の時間が少し増えただけで俺の生活は基本的に何も変わっていない。書道をする時だけ部屋から追い出すからちょっと五月蠅いけど。
「そういえば、来週だな。マカロン。そう言えばnatsuの問い合わせが凄く事務所にきている」
「でしょうね。プロフィールも一切ない、謎の新人アーティストですからね。で、露出方法も決まったんですか?」
「ああ、natsuの露出はマカロンシリーズのCMソングのみで後はネット配信をメインに活動させる。あの子の場合はメインがモデルにしたいからね。それと……声の仕事を考えているみたいだ」
「声の仕事?」
「ああ、ラジオドラマとかで声優を目指すらしい」
「澤田さん……俺もそっちの仕事やりたい。そうしたら実家の家業との両立も出来るかもしれないって……」
「分かったよ。ふうは……ちゃんと学校に通うか?本名として」
「いいんですか?」
「まあ、社長との相談になるけど、大学生と声優学校の両立は出来なくないからな」
少し考えていた事が少しだけ前に勧めるかもと思うとそれだけで嬉しかった。
収録の仕事は、ちょっと前までグラビアモデルだったタレントさんの仕切りで始まった。
「今回は、CMの企画から参加されているんですよね?」
「はい、たまたまアイデアはないかと聞かれて答えていた事があって気がついたらそう言う事になっていました」
「今後……彼の片想いはどうなるんですか?」
「さあ、どうなったらいいでしょうかね?皆さんの感想で代わるかもしれませんよ」
「これは……言ってもいいんですか?」
「どうなんでしょう?CMを見て商品を買ってくれる皆さんの意見が一番重要だと思いますよ。なので、感想はここまで……ね」
と僕は勝手にテロップが出るであろう場所を指差している。こんな調子で和やかに収録は終わっていった。
「本日の収録は終了です。お疲れ様でした」
アップの部分をいくつか収録し直す程度で予定時間がかなり余ってしまった。
今の僕達は、コンビニ会社からの付き添いとして太田さんが差し入れてくれたマカロンを片手にお茶の時間をスタッフの皆さんで楽しんでいる。
「コーヒーでも紅茶でも、甘いカフェオレでも食べられるんですね」
「甘いジュースでも食べられるフレーバーをこれからも開発しますよ」
太田さんはニコニコと対応してくれています。でも……それが少しだけ怖いんです。
「太田さん……アレで良かったですか?」
「ああ、感想はこっちまで?アドリブで入れてくれてありがとね」
「お節介だったかなってちょっと思ったから」
「大丈夫だよ。助かっているよ。それと後で澤田さんから聞くだろうけど、発売当日に、ふう君うちの本社ビルの店舗で一日アルバイトして貰ってもいい?」
その日は……夜に歌番組の収録があったから、夕方4時前にお仕事が終わる分にはいいと思うけど……。
「ふう、一日アルバイトって言っても、お仕事は午前に2時間と午後に2時間で午後三時には終了するし、一番忙しい時間は裏の作業を体験してみない?」
「いいんですか?」
「構わないよ。ふうくんはちゃんとお仕事してくれるだろうから、今までお願いしていたアイドルよりも長時間になってしまったんだけど」
「いいですよ。窓ふきも、トイレ掃除もしますよ」
僕はファイティングポーズをしておどけて見せた。
「ごめん。本社ビルの店舗はトイレは店舗の外だからね。当日は、うちの本社の人間だけが勤務に入るから。安心してね」
あの日以来、僕の周りを気にしてくれているけど……もうそこまでする事はないと思うけど。
「ふうくん、もういいよって思ったでしょう?それはダメ。発売当日イベントだし、本社ビルだけども一般のお客さんもいるからね。念には念を入れて貰うよ。澤田さんも当日は一緒にアルバイトの服を着て貰って一緒に仕事をして貰うんだ」
「澤田さんも?」
「うん、社長さんにも了承を貰っているからね。それに当日にアルバイト料をお支払いするから。ブログにもあげるからドジをするともれなくアップするからね」
「太田さん。僕アルバイト経験ないんですよ?デビューしたの高校1年の秋ですから」
「えっ、それじゃあ初めての体験になるんだ。それだったらもっとこっちも趣向を凝らしておくから当日は楽しみに待っててね」
そうそう、マカロンのスチールの写真を一部使うからねって言って太田さんは何かひらめいたみたいで、スマホで何かの指示をしているようだった。
「ふう……聞いた?」
「はい。アルバイトですか」
「気にしなくてもいいよ。普通の男の事同じ経験ができるんだ。楽しんだらどうだい?仕事って肩ひじ張らなくていいよ」
「澤田さんは……コンビニで働いた事ありますか?」
「俺もないんだ。俺は家庭教師と本屋でしかバイトしかなったから」
でも……澤田さんもないんだ。ちょっと意外な気がする。
「ふう……お前……今、意外って思ったろ?」
「ちょっとだけです。家庭教師ですか……大変そうですね」
「って、お前もナツミの家庭教師だろ?」
「そうなんですかね?でも……来週発売なんですね。信じられません」
僕がそう言うと、澤田さんが僕を見て笑う。
「お前のその言葉聞くの……二回目。前に聞いたのはシングルでビューの前かな」
澤田さんに言われて、ぼんやりとそんな事を思い出した。あの頃は今よりも忙しかったけれども、凄くじれったいなあと思っていたっけ。今も言われてみたらそうかもしれない。
今回のコンビニスイーツを皆が手にとって食べた感想が知りたくてしょうがない。
このじれったさをどうすればいいのか、対処に困ってしまうのだった。




