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mystery of sound 1

「雅。お隣に行くんでしょう?」

俺は母親に促されて慌てて荷物を纏めて自宅を飛び出した。

あの後、俺の荷物も気になって確認すると、淹れた覚えのないパーツが入っていた。どうやら俺の方もやられていたらしい。

気がついてすぐに水につけて再起不能の状態にした。それから里美さんに連絡をしてからお隣で歌のレッスンをしていた。

気がついたら、母さんが夕飯を運んで来てくれていたようだ。

「最近は、急に冷え込んだからビーフシチューにしてみたの」

そう言って母さんがテーブルに置いて行ったのは土鍋。10人前の大きなサイズだ。

「どうやって運んできたの?」

「そりゃ勿論、台車に乗せたのよ。重いんだもの」

えっと、俺の家と隣は裏口からなら自力で運べないのだろうか?

生垣で境界線にしていて、扉がついているだけなシンプルなものだ。そして、人が辛うじて通れるだけの通路があるだけだ。この通路は、俺の家の隣の事務所の裏口に通じている。



「母さん、呼んでくれたらよかったのに。帰りが大変じゃないか」

「雅君、帰りは僕が運んであげるから。まだ、なっちゃんと練習するんじゃないのかい?」

「いいえ。明日の収録があるから、これからは学生の本分の時間よね?」

先生は俺達を見てにっこりとしている。

「そうだね。なっちゃん、ご飯を食べ終わったら勉強しようね。明日は課題を持って事務所に行こうね」

「持って行くの?雅さん」

「テスト近いし、収録には時間がかかるからね。一曲で終わるとも言われていないよ」

俺は淡々と夕飯の支度をしながら夏海ちゃんに答える。

「そっか。テスト近いものね。分かった。持って行く」

「私始めてです。土鍋でビーフシチュー作るのって」

「あらっ?そう。でも冷めにくいからお勧めよ」

母さんはそう言って、夏海ちゃんにビーフシチューを手渡した。

「今日はパンを買ってきたの?」

「そうなの。バケットが焼きたてだったのよ。あの……華道の坊ちゃんの奥さんのお店……なんて言ったかしら」

「分かったよ。母さんは本当にあのお店が好きだね」

「そんな店……あった?」

「隣町の天然酵母のパン屋さんって言えば分かりますか?あそこですよ」

「分かった。あそこは本当にすぐに売り切れるのよね」

先生と母さんは、パン屋の話で盛り上がっている。俺は流石にパン屋のオーナーさんまでは分からないけど、華道の跡取りとされている人は仕事柄良く知っている。

「へえ。あの人って結婚していたんだ」

「奥さんが、花粉症だから、生花を扱えないから申し訳ないって披露宴はあげてないのよ」

「それも大変だね。そんな言い方をしているんだからその人も華道やっていたんだ」

「そうよ。時期家元と一緒にタイミングで師範になった位だから。幼馴染でずっと一緒にいたんですって」

「まあ、小さな恋のロマンスみたい」

今度は親達の話が脱線してしまった。相手にするのも馬鹿らしくなってきたからパンが入っているバスケットを夏海ちゃんに手渡した。

「さあ、さっさと食べようか。好きなパンを取って」

「ありがとうございます。家に帰ったら……土鍋でビーフシチュー作ってみます」

「うん、お勧めだよ。お肉も良く煮えているから。カレーも作れるよ」

「土鍋でご飯を炊くのは知ってましたけど、びっくりです」

「本当?でも慣れると楽なのよ。今度教えてあげるわ」

「いいんですか?よろしくお願いします」

夏海ちゃんは丁寧に頭を下げた。



「あなたの事でしょう?雅がうちの門下生にしたいって言ったのは?」

「そうなんですか?」

「そう言う事です」

「いろんな事情があるのは分かったから、うちの門下生でいる間はあなたの個人情報が漏れる事はないから安心して?」

「漏れた時は?」

「その時は、雅が茶道家として道を選ぶだけよ。この仕事を始める時の条件がそこですもの」

母さんがさらっと答えたのを聞いていた夏海ちゃんは茫然としていた。

彼女は俺の活動条件を今まで聞いてはいないだろう。

「母さん、今はその話はいいよ。それに、家元がそろそろ帰ってくるんじゃないの?うちの門下生はそんな事をする人はいないから」

俺がダイニングの時計を見て、母さんは慌ててお父さんを忘れていたわ、雅、鍵をよろしくねと言って慌てて自宅に戻って行った。

「そうね。3年間何事もなくアイドルしていたんだし、夏海?」

「お姉ちゃん、私はどうしたらいいの?」

「夏海は……ナツミであることを言わなければいいだけよ。明日は里美から支持が出ているからお化粧とかするから、今夜は夜ふかし禁止よ」

「嘘。何時に寝たらいいの?」

「遅くても10時には寝て貰います。いい?」

「分かった。それじゃあ、いただきます」

夏海ちゃんは、いつもよりも早く寝ることになったみたいで慌てて食べ始めた。



「雅……夏海はどっちの方向に進むようになりそう?」

「分かりません。歌を歌う方向もかなり可能性はあります」

「夏海……あなたは何を目指したい?」

「私……アイドルは向かないと思う。雅さんを見てそう思う」

夏海ちゃんはそう言うと、スプーンでビーフシチューを掬って食べている。

「まあ、社長たちが決めてくれるから、その上で決めたら?アイドルよりもシンガーな方向にはなりそうだよ」

「おじさんならそうするでしょうね。お姉ちゃん……」

「分かったわ。今度はボイストレーニングも増やしましょう」

夏海ちゃんは漠然とスタッフの示す方向に不安を感じているらしい。

あまり露出を増やさないってなると、アイドルは絶対回避になる。

「今はとりあえずお試し期間って思えばいいよ。堅苦しく考えないでさ」

俺は夏海ちゃんに微笑む。彼女の素性を明かさない活動とするなら方向性はなんとなく分かる。

ネット配信のみの覆面シンガーになれば、暫くの間は時間が稼げる。

多分社長たちはその方向を狙っているのだろう。仕事の時は、なるべく本人だと分からない様にメイクをしている。

今日だって、いつもの夏海ちゃんのイメージとはかけ離れた感じだ。

彼女の公式プロフィールは多少ばかり情報操作されている。

コンクールの入賞履歴すらその年を記入していない。その時点で本人が分かるから。

事務所に入る前に決まっていた、春休みに行われる有名ピアニストのジョイントコンサートも若手ジュニアの数人のうちの一人として出演することになっている。

この仕事は本名で受けているので、それまではナツミであることを知られる訳にはいかない。

俺の方に彼女の事を聞かれたら、適当にはぐらかせと指示がきている。

今度そこのところをきちんと話を合わせておかないといけないかもしれない。

そんな事を考えながらも、和やかに先生の旦那さんも混じった食事会は進んでいった。



「さあ、なっちゃん。勉強しようか」

「はい、よろしくお願いします」

リビングに今日貰ったという課題を並べているのを先生達はダイニングテーブルから見ている。

「お姉ちゃん、どうして見るの?」

「だって、二人が本当に勉強しているのか知りたかったから」

悪びれもせずに先生は答える。俺が教えていないというのだろうか?

「二人は気にしないで。進めるよ。先生から宿題の添削は貰っている?」

「これです」

夏海ちゃんはプリントを取り出した。簡単にチェックすると数学の間違いが多いみたいだ。

「先に間違いが少ない国語から始めようか。その間に俺は数学をチェックするから」

そう言うと、自分がかつて渡したノートとプリントをチェックする。

彼女が何を勘違いしているのか分かったところで、持ってきていたレポート用紙に正しい解き方を書いていく。そのうえで、間違えた個所の所を分かりやすい様に赤字で書き込んでいく。ここまで書いてあれば多分彼女でも分かるだろう。

「雅さん、英語聞いてもいいですか?」

「いいよ。どこが分からないの?」

俺は彼女の教科書を覗き込む。然程難しくはないけれども文法の例外な部分である事が分かった。

「そこは、例外のところだよ。その文法の説明の下の方にきっと書いてあるはずだよ。しかもこういう所がテストに出やすいんだ」

「書いてあったかな……あっ、書いてあった」

夏海ちゃんは、ノートを見直して記入してあった事を見つけたようだ。

そして、ラインマーカーで分かりやすく線を引いていた。

「あら、ちゃんと勉強していたのね」

俺達のやり取りを見ていた先生達がそんな事を呟いている。

だから、ちゃんと勉強を見ているって言ったじゃないか。本当に失礼な人だな。



「とりあえず、今日の分は終わったけど、数学はもう一度確認しようか?」

「そうしてくれると凄く助かります」

「そうしたら、学校から貰っている問題集を解いてみて?」

俺が促すと夏海ちゃんはコツコツとシャーペンを動かしていく。

昨日の範囲は分かっていなかったみたいだけど、昨日の分をしっかり復習して今日の応用だから今のところは問題はないみたいだ。今は分かっても数日後には忘れてしまうだろうからもう一度復讐させる必要がある。

今まで解いてきたプリントの結果は俺も確認させて貰っている。比較的弱い分野は何となくだが把握しているつもりだ。苦手はエリアを重点的に全体的にそろそろテストシフトにしていく必要があるだろう。後は、過去3年分の定期テストの問題から少しずつ本人が気付かない様に解いていけばいいだろう。

俺は、手帳に自宅に戻ってからする事を記入していく。俺に記入が終わるのと同時に夏海ちゃんの手も止まった。

「出来ました」

「見せてごらん?見た感じでは、間違っていないよ。でもココはもう一度復習するよ。今日はココで終わり。そろそろ寝る準備をした方がいいよ」

時計は9時を指していた。10時に寝るようにと言われていた彼女にはこれ以上の勉強は辛いだろう。

「分かりました。雅さん、また明日」

「うん、ビーフシチューの残りは先生方でどうぞ。明日仕事終わりに土鍋を取りに行きますから」

「あら?いいの?」

「構いませんよ。俺なら自分でも作れますから。それではお休みなさい」

事務的な伝言を先生にしてから俺は自宅に戻った。


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