YES-NO 3
今回はちょっと短めです。
午後になると、僕らは里美ちゃんの運転する車で音楽スタジオに行く事になった。
これから、CMの歌合わせがある。ここである程度の方向性を決めてから事務所のレコーディングスタジオで収録をすることになった。
それは、多分今回の仕事がデビューになるナツミへの最大限の配慮だ。
とりあえず、ナツミなりに今回の曲を理解していて自分のカラーを出して弾いている。
そこに俺の声を合わせる程度の練習を事務所のレッスンルームで何度かやった。
「ねえ、二人とも本当に始めてなの?」
「ちゃんと合わせたのは始めてですよ?例のDVDの時に居合わせて、合唱曲を数曲歌ったりしましたけど」
里美ちゃんの目が一際大きくなって瞬いている。
「あらっ、そんなこと報告なかったわね」
「するほどではなかったと思ったので、アレはあれで楽しかったね。なっちゃん?」
「あの時は私そこまでの余裕なかったですよ」
あれだけ、落ち付いている様に見えていたけれども、それはポーズだったわけだ。
本番に対する度胸がある事だけは判明した。それだけ器の大きい君なら、今の壁はすぐに壊れると思うのは俺だけだろうか?
「音楽という共通項で惹かれあうのは、まあ仕方ないかな。あいつ等と歌っているよりも、ふうが楽しそうだし。あいつ等が二人の歌を聞いたら茫然とするんじゃない?」
「それは困りましたね。あくまでも僕はビビッドの楓太なのですから」
「そこのところはプレスリリースが出るまで、奴らにバレない様にしましょう」
「すみません、お願いします」
「楓太君、私のせい?」
「なっちゃんが悩む事は何一つもないんだよ。気にしない」
俺はそう言って、彼女の頭をポンポンと撫でる。本当はくしゃくしゃにしたいけど、ココは事務所の中とはいえでも誰かが見ているかもしれないから気を付ける。
「本当に?」
「本当です。俺は本来の声域で歌えるから楽だよね。あいつ等とは合わせて下げているから」
「だから、今までの楓太君の歌と今の歌の違和感があったんだ」
夏海ちゃんは納得したみたいで一人で相槌を打っていた。
「ってことは、キーを上げた方がいいですか?」
この子はそんな対応を即座にできるのだから、やっぱり能力は高いなって思う。
「ねえ、なっちゃんも一度歌ってみてよ。俺と一緒に」
「いいの?あの……里美さん」
「いいわよ。今は仕事じゃなくてレッスンみたいなものだもの」
なっちゃんは俺を見ている。
「だって、歌うの好きだろう?仕事じゃないしさ」
「そうよ。ふうの言う通りだから。私も聞いてみたいわ」
夏海さんに促されるように俺達はピアノに合わせて歌い始める。
「ちょっと、今の歌って誰が歌っているの?」
事務所の人がいきなり入ってきて夏海ちゃんは体を強張らせた。
「この子よ。ピアニストの卵ちゃん。ナツミ」
里美さんが促すと、夏海ちゃんがお行儀よく挨拶をした。
「初めまして。ナツミと申します。よろしくお願いします」
「ふうん、話には聞いている。で、どうしてふうといるの?」
「あっ、それは僕の弟子なんですよ。実家のほうの。で、面識があるので慣れるまで傍にいる事になったんです。社長も知っていますよ」
僕は決められた回答をしていく。僕の弟子……正確には違うけどそう思わせる事が重要だからそこは訂正しない。事務所の人に感付かれない様に唇にそっと指を置いた。
「それに、この子の従姉がボイストレーニングの先生なのよ」
「ってことは、社長とも親戚な訳か。分かった、大変だけども頑張って」
「ありがとうございます」
バタンと音がして扉が閉まった。途端に夏海ちゃんの緊張が解けるのが分かる。
「びっくりしたあ。これからもこんな調子ですか?」
「そうだね。今のやり取りでいいから。いい?僕のお弟子さんだよ?」
「でも……」
「いいの。その位はいいですよね?」
俺は里美さんを見る。
「まあ、事務所の茶道教室の講師もふうだから……あながち間違っていないわ。ただ、従姉さんが、関係者に近いからやっかまれる事もあるけど、あの厳しい人の事だからピアノだけじゃないと思ったけど、ボイストレーニングも受けていた?」
「少しだけです。本当に基本って位」
控えめに夏海ちゃんは答えるけど、それは嘘だなって俺は思う。あの人の事だ、徹底的に教育を施しているはずだ。
「とりあえず、食事にしてから移動するわよ。事務所の食堂でいいかしら?」
僕達は、里美さんに連れられて食堂に移動するのだった。




