冬が始まるよ 1
無事にピアノ教室に戻ってきた僕らは、貰ったばかりの課題のチェックをする。
「不安な教科を今やってしまおうか?」
「えっと……理科やってもいいですか?」
「いいよ。それじゃあ先に問題を解いていて。先生と話してくるから」
僕はリビングに夏海ちゃんを残して、ダイニングにいる先生の元に向かう。
もちろん、今朝の報告だ。僕は簡潔に報告をする。
やっとの状態で言えた、彼女の本音を先生に明かした。
「やっぱりね。私もまだ早いと思ったのよ。近所に出る事がないでしょ?それがいい証拠よ」
「夏海ちゃんは……それを認めたくないんですよ。今朝の事で自覚したみたいですけどね」
「で、明日はどうするの?」
「明日は歩きたくなくなったら、僕が学校に報告して終わりですよ。夏海ちゃんの心の傷の深さを目の当たりにしたのだから、本腰で対策をしてくれるんじゃないですか?」
昨日の夜、光から聞いて僕は先生を光の親の店に呼び出した。
話を聞いて、先生は爆発しそうな位に起こっていた。従姉妹といえども、弟子になる為、どうしても僕達よりは厳しくなってしまっていただろう。
夏海ちゃんもそれに応えるように、コンクールで入賞している。このまま音楽家の道に進んでも問題はないだろう。
でも、せめて義務教育は終わらせるべきだと僕は思っている。
「そういえば、雅午後から仕事なんだって?」
「ええ。ちょっとした打ち合わせです。若干スケジュールが変更になっているかもしれないので、一度事務所に寄ってみます」
「そうね。この3日間ありがとうね。これからは仕事優先でいいのよ」
「分かっています。僕は午前中は比較的オフな事が多いんです。例のロケは別ですけど」
「あれ?今回かなり纏めて収録したんでしょう?」
「そうなんです。歴史ドラマで共演が決まったので、ついでにロケ地で纏めて収録したんです。年内は終わっているはずなので、年明けの収録がどうなっているのかでしょうか?」
僕らの業界は季節感がかなり早い。既に1月からのドラマの収録なんて始まっている。
僕だって、4月からの番組の準備をするようにという指示が出ている位だ。
「大変よね。でも、雅がいてくれて助かったわ」
「これからも出来る範囲でやりますが、夏海ちゃんが僕の正体を掴んでいるかもしれません」
「あら。それで雅はどうしたの?」
「とりあえず、もう一つの仕事の事は今は教えられないって答えていますので、先生もお願いしますね」
「分かっているわ。今日は午後からなのね?送っていく?」
「いいえ。自転車で行きます。僕が行くのは本社じゃないので。ちょっと自転車で寄り道すれば事務所に行けるので気持ちだけ頂きます」
僕はそう言って、ダイニングを後にした。
「夏海ちゃん。ごめんね。どこまでできたかな?」
「今は……理科が終わったので、数学に変えました」
「分からない所はあった?」
「ありません。雅さんがくれたプリントの方が難しいと思いました」
彼女には教えていないけど、僕が渡したのは、公立高校受験レベル程度の応用問題だ。
それでもそこそこスムースに解いているから基礎はしっかりと出来ている事は証明されている。
「それならいいんだ。テスト対策ってなっているプリントを中心に勉強しようか」
僕はそう言って、彼女の勉強を見ているのだった。
先生の好意で、一緒に昼食を食べてから僕は仕事に行く為に自宅に戻ることにした。
「夏海ちゃんは、午後からはピアノ弾いたら?今日は先生の教室は休みだからたっぷりと練習できるでしょう?」
「そうですね。お言葉に甘えてしっかりと練習します。いってらっしゃい」
無邪気に笑いながら僕に言ってくれる。
誰かがいってらっしゃいなんて言ってくれたのなんてかなり久しいことに気が付いた。
僕は、部屋に置いてある、ウィッグを付けて、ニットキャップを被ってメッセンジャーバッグをかける。ちょっと寒そうなので、ムートンのブーツを出して履いた。
物置に置いてある自転車を取り出して、門を開ける。
コンビニ会社から事務所までは自転車で10分程の距離だ。今の時間は12時半。
打ち合わせは14時からになっている。先に事務所に寄ってスケジュールの確認をした方がいいだろう。僕は事務所に向かって自転車を漕ぎ出した。
「こんにちは。僕のスケジュールの確認をしてもいいですか?」
事務所に入ってすぐに、僕はバックアップの里美さんの所に向かう。
僕らのマネージャーは二人。現場についてくるのは澤田さん。
事務処理等をまとめてくれるのは、僕の前にいる里美さん。
元モデルさんの綺麗な人で、樹の初恋の人であり今は恋人だ。
世間に公表はしていないけれども、事務所公認の二人だ。
「久しぶり。楓太君。コンビニの打ち合わせが14時からで他は変更はないわよ」
「それでいいんですか?今回の延びたドラマの収録の日程は?」
「スタジオが上手く調整がつかないみたいで……女優さんとのシーンがカットになるかもしれないの。だから楓太君だけの収録が後1日になるかもしれないの」
成程。あの女優さん……かなりスケジュールがタイトだって聞いているからね。
そこは仕方ないと思うよ。僕は脇役。メインのキャストを引き立たせる為のもの。
「それと、社長に聞いたわよ。例の件」
里美ちゃんが声のトーンを落とした。夏海ちゃんの件か。
「そうですか。問題はないと思います。実家の方でも策は巡らしてますから」
「……だと思った。最悪、彼女をうちの事務所預かりにするって」
「成程。マネジメントをするとなれば問題はありませんね」
「元々どういう関係なの?」
「同じピアノ教室なんですよ」
「ああ、あの声楽の先生ね」
「ええ。あの人の従姉妹なんですよ。ピアノの腕は確かですよ」
「成程ね。他は?」
「僕の実家の弟子ってことにしてあります」
僕はにっこりと笑って答えた。
昨日の夜に、僕は家元にその事を話してある。初心者は僕が稽古をするから二人でいても問題は起こらない。それに僕の実家の事はアンタッチャブルな存在な訳だ。
よって、僕の家の周りに彼女がいる限りスクープされることはない。
「本当に雅って、そう言う所はそつがないわよね。そんな所を樹に教えてやってよ」
「樹は樹なりにやっていますよ。むしろ、初恋を今していますってことでうまく情報をコントロールしているじゃないですか?」
樹は、ちょっと前のトークショーで最近初恋が実ったと明かしている。
もちろん里美ちゃんであることは隠しているが、その潔さがカッコいいと評判になっている。僕はそんな真似はできないが、同じような事をするだろうと思う。
「あいつの事はいいの。はい、スケジュールプリントしておいたから。社長に聞きたかったら直接聞きなさいね」
「分かりました。それでは、例の企画の件で行ってまいりますね」
「はい、ご苦労様。いってらっしゃい」
僕はいつもの様に事務所を後にした。
コンビニスイーツ企画参加予定で、恋愛大賞をお考えの方へ
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