YELL 1
昨日、茶道の稽古の後に夏海ちゃんと決めたこと。
今日は、校門にタッチして帰る。もう少し頑張れそうなら職員室で「おはようございます。さようなら」を言うってことにした。
精神的ダメージで学校に行けなくなった子に、最初から教室なんて無理だと思っていた僕は、夕食を光の家の喫茶店でとりながら、中3の時の担任で夏海ちゃんの学年主任をしている恩師と話をしていた。
そこで、彼女に何が起こったのかが分かったのだ。
「夏海はどうだ?」
「今は穏やかに過ごしていますよ。僕は嫌われていないようです」
「成程。同年代よりは少し上は平気か。俺達教師も平気だったからな」
先生が言うには、同級生……広い意味で言えば中学生の男子がダメらしい。
まあ、いきなり昇降口で見た事がある程度の男子からキスをされたらショックだろう。
僕は自分の前に置かれているカフェオレボールを持って一口飲んだ。
「とりあえず、明日から通い始めるのか?」
「本人の意思がありますので、暫くは僕が彼女の側に付き添います。まずが校門に触って帰る所の予定です」
「お前……覚えていたのか?」
先生は僕がやろうとしていた事を思い出したようだ。それは、先生が中学三年の時に不登校になってしまった同級生にやったことだ。
「校門の次は?」
「職員室に行って、挨拶をして帰ります。課題は全て終わっておりますので、新しい課題を用意して下さい」
「悪いな。で、お前は夏海が立ち直れると思うのか?」
先生は声のトーンを落として聞いてきた。余程不安の様だ。
「彼女の家族がどう思っているかは、僕は知りません。ただ彼女は戻ろうとしています。その気持ちを最大限受け止めてあげる必要性があります」
僕が言っているのは、一般論の優等生の意見だ。本音としては、そんな事があった場所に戻ろうという人間がいるのだろうか?友達とかに恵まれていたらそうかもしれないが、彼女はどうだったんだろう?
「分かったよ。雅大丈夫なのか?お前の仕事……」
「何とかしますよ。社長にはこの件は話してありますから、何かあればすぐに反論は出来ます。そこは気にすることないです。僕の妹だったら徹底的にやり返しますよ……」
僕はそう言って先生を見る。先生が顔をひきつらせている。
そりゃあ、そうだ。中学時代の僕は怒らせたら怖い人として知られていたから。
僕が最後に起こったのは……仕事でグラビアタレントさんのマナーがなっていないって直接彼女の事務所の社長にアポなしで突撃したことだろうか?
そんな事があったせいか、バラエティーの仕事でも女性タレントさんの側よりも大御所俳優さんの側にいる事が多い。それは僕のせいだと思いたくはないけど、メンバーは僕のせいだろうと言っている。それに加えて、常識のない女は嫌いだという事も。
それは間違っていない。勉強ができないのは、努力すればいいけど、一般的な常識がないのはどうにもならないから。
「まあ、雅の事だから、プライベートの事はアンタッチャブルだろう?実家の事絡みで」
「そう言う事です。だから変な流出もありませんし、彼女もプライバシーも保障されます。まあ、僕が楓太であることが彼女の送り迎えで悟られないようにするだけです」
「そこは大丈夫だろ?お前のDVD収録の時だって、特に流出していないから」
「あそこで交流したのは、多分夏海ちゃんでしょう。彼女は気が付いていませんが」
「そうなのか?確かに仕事の時はカラコンで黒眼をいじってますし、メッシュも入ってますから今の僕からは難しいと思いますよ」
「見た目は、問題ないな。でも声はどうなんだ?」
「楓太の時は、トーンを落としていますから。ほらっ、うちのメンバー皆声が低いから一人だけ高いと悪目立ちするでしょう?」
ビビッドは何故か地声が低い連中が多いので、通常のトーンだと高さが悪目立ちになってしまう。なので、僕は極力話さないで微笑み絶やさず……を維持している。
「お前も苦労しているんだな。そういえば、年明けのドラマはどうなんだ?」
「役柄は苦労していないですよ。衣装もほとんどが持ち出しって普通ないと思いますけど」
「お前、実家の事は隠しているんだっけ?」
「ええ。3年隠せましたからね。このままいけるでしょう」
僕はあっけらかんと答える。僕の周囲は僕の仕事の事を知っている。
実家の家業の方は、お堅い人もいるので、好ましくは思われていない。
なので、デビュー時のプロフィールで実家は茶道教室を開いていることになっている。
実際は自宅の隣の本部で教室の開いているから問題はない。
お弟子さん達も僕が楓太であることはトップシークレット扱いだ。
まあ、流派を公表していないので簡単に辿れるわけがない。
「お前、この仕事いつまでやるつもりか?」
「さあ、次世代アイドルが出てきて、僕らの個別の活動が普通になってきたらじゃないですか?ようやく個別でオファーが来るようになったので」
「お前の古都を散歩する番組は面白いな。アレどうやって決めているんだ?」
先生が言っているのは、大御所と言われる俳優さんと一緒に古都を散歩する番組だ。
「とりあえず、近場からの撮影ですよ。スケジュールは俳優さんに合わせるので、ロケ地の時間の合間に収録なんて事もあったりしますよ。それも番組でネタにしていますけどね」
「あの番組……お前の身元バレしていないか?」
「とっくにです。でも俳優さんのことは幼い頃から知っていますよ。家元の高校の同級なので僕の赤ん坊の頃から知っています。その上でのオファーですよ」
あの番組は僕の身バレしたシーンは一切カットという制約の元、番組を作っている。
視聴率は、最近のウォーキングブームと僕と俳優さんの掛け合いが親子みたいで面白いという事で平日のワイドショー後という時間帯にもかかわらず視聴率はいいと言われている。
「まあ、もう少し今の仕事していたいですけどね。自分の立場は分かっていますよ」
僕達はその後、食事をして先生は先に戻って行った。
「なあ、雅。お前何か厄介事抱えたんか?」
「光。言い方が悪い。そこまでじゃないさ。俺は見守るだけ」
「ってことは、中学であった話しってガチなんだ」
「なんだよ?それ?」
俺は光に早く話す方に促す。
「中学で、放課後女子がレイプされたって」
レイプ……思った以上に話が悪化してくれている。そんな状況で夏海ちゃんを戻すことは不可能だ。
「ある意味では間違っていないけど、根本的な情報は間違っている」
「雅、お前知っているのか?」
「ああ、ある程度な。間違っていないのは、その情報のせいで被害者がセカンドレイプになっているからな。お前だってその一人だろ?」
俺はそう言うと、光を睨みつけた。
「そうだな。お前の言うとおりだ。でも違うんだな」
「ああ。無理矢理唇を奪われて、気を失って倒れた。それが事実だ」
「それもある意味でレイプに近いものがあるな」
「だろ?事件後暫くは学校に通えたんだ。多分その噂を言っているのを聞いたんだろう。それ以来不登校になったんだ。もうすぐで10日だ」
俺はそう言ってから、光のプレートにある唐揚げを一つ取りあげた。
「ちょっ、俺の唐揚げ!!」
「うるせぇ。俺が金出すから親父さんに作って貰えよ。それと、この話俺の家の隣のピアノの先生にも話してくれないか?」
「はあ?なんで?」
「彼女達は従姉妹だ。彼女の側にいるのも、先生からの依頼だ」
「分かったよ。唐揚げ一人分ってことないだろう?」
「分かったよ。お前が食いたいものを頼めよ。その位の金は持っているからな」
「まあ、雅だったら、ツケでもいいと思うけどな。おやじぃ、悪いけどさ……」
座席から大きな声でカウンターの奥の親父さんを呼んでいた。
俺は急いで、先生の家の自宅に電話をかけた。




