何度でも 3
「落ち着いた?」
「はい、すみません」
ひとしきり泣いた彼女に僕はティッシュの箱を渡した。
今の彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。それすら可愛いと思うのだからあばたもえくぼとは本当によく言ったものだなあと感心する。
「雅さん、明日ってお仕事ですか?」
「今の所は、明日までオフだけども……どうかしたの?」
「あのね……雅さんと一緒に学校に行ってみる」
「いいよ。それじゃあ、校門にタッチをするってことで行ってみようか?」
「本当にそれでいいの?」
「大丈夫だよ。僕が教わった時の先生も残っているからね。話はしておくよ」
「少しずつ……頑張ってみます」
そう言うと、彼女は緊張しながらも微笑む。
最初から元の戻る必要はない。自分が出来ることから少しずつ頑張ればいい。
その努力は彼女の自信にも繋がるし、そんな彼女を見ている人もいる。
「さて、お嬢さん。一通り勉強を見たけど……一人でも大丈夫だね。この調子ならね」
「本当に?」
「うん。でも、ちゃんと勉強は続けようね」
僕はそう言って、夏海ちゃんの頭をポンポンと軽く叩いた。
「今度は夏海ちゃんに僕からお願いがあるんだけど」
「えっ?私にできますか?」
夏海ちゃんは不安そうに僕を見ている。
「きっと大丈夫。僕のピアノのレッスンに付き合ってくれないかな?」
「私で大丈夫なのかな。そんなにうまくないと思うけど」
夏海ちゃんは無理って断ろうとしていた所に、先生が入ってくる。
「夏海なら大丈夫よ。雅だって、中学を出るまではクラシックやっていたものね」
「ですけど、今は前の様にレッスンに時間が取れなくてね。来年の4月から珍しく楽器を扱う仕事のオファーが来てしまってね。今から準備をしておこうと思って」
「楽器って……ピアノですか?」
「ピアノはクラシックの定番の部分をある程度弾ければいいらしい。トランペットとサックスはジャズになるから、こっちは月末から個人レッスンを入れているんだ」
詳しい事は明かせないけど、僕は僕の事情を明かす。
「なんか……雅さんって芸能関係の仕事しているんですか?」
無邪気に聞いてくる夏海ちゃんに、どうやって答えようかと考える。
この子は僕の事情を明かしても、周りに言って回る子ではないだろうけど、今は彼女に僕が楓太である事を知られたくはない。
「そのうち……僕の仕事を教えてあげる。僕の仕事は主に二つ。一つは芸能関係の仕事。もう一つは……僕の家はこの家の隣なんだよ」
実家の事は明かしても問題ないだろう。夏海ちゃんは目を丸くしている。
「私、中学で茶道部なんです。雅さん、お稽古ってお願いできますか?」
夏海ちゃんは学校に行っていないのだから、確かに稽古は休んでいる状態だ。
こんなお願いをしているってことは、茶道が嫌いな訳ではないようだ。
「ちょっと待って。自宅の茶室が使えるか聞いてみるよ」
僕はスマホで父に電話をかける。都合良く父が出たので、自宅の茶室の許可を貰う」
「いいけど、ちゃんと稽古なんだろうな?」
「当然だろ?先に僕が帰って支度をするから何もしなくていいよ」
「とは言っても、あの部屋最近使ってないからな。父さん今は事務所にいるから支度はしておくから。その代わりに今夜はよろしくな」
「分かりました。では、よろしくお願いします。家元」
僕は通話を切った。そう言えば、今日はピアノのレッスンは休みのはずだ。
「先生もどうですか?久しぶりにやりませんか?」
先生も茶道をやっていた事はあったけど、教室が忙しくなって今は通っていない。
「そうね、たまにはいいかしら。和装でなくてもいいわよね?」
「女性はお支度にかかりますから、構いませんよ。僕は自宅では和装なので一度着替えさせて貰います。一度自宅に戻って支度をするので、待っていて貰えませんか?」
「いいわよ。だったら、その間に夏海のピアノを見ているわ」
先生は僕が自宅に帰る事を了承してくれたので僕は先に自宅に戻る。
自宅に戻ると父が茶室の準備をしてくれていた。
「おっ、帰って来たのか?」
「ええ。ピアノの先生もご一緒にとお誘いしました」
「流石だな。それなら問題はないだろう。必要なものは用意しておいたから」
「ありがとうございます。それと頼まれたものを預かりましょうか?」
「そう言うと思って用意したよ。後は父さんたちがやっておくから安心しなさい」
「ありがとう。夕方に喫茶店に行くから」
「それは大丈夫なのか?」
俺が夕方外出することに父が不安そうな顔をする。今夜は両親がパーティーに出席することになっていて、元々夕飯は一人で食べることになっていた。
「大丈夫だよ。何かあったら光と一緒にいて貰うさ」
「光君の所にもよろしくと言っておいてくれ。そのうち行くって伝えてくれるか?」
「分かりました。家元、ありがとうございました」
滅多に使わない言葉を使う事で自分のスイッチを切り替える。
「大したことないさ。たまには力を抜いて楽しみなさい」
「そうですね。そうします」
僕は家元である父がいなくなった茶室で更に準備を始めた。
「良いお手前でした」
あの後、先生と夏海ちゃんを呼んで、茶道のお稽古をした。
学校の流派とは若干違うのだが、彼女の練習になるだろうと思い、彼女が習っている流派で今日は稽古することにした。
「雅さんのお宅は流派が違うのに、お作法ができるのですね?」
「多少は勉強させて貰っていますから。細かい所は問題はありますが、分からない方には分からない程度でしょうか?夏海ちゃんも丁寧にできていますが……先生……今度僕がお稽古しましょうか?」
夏海ちゃんは学校で教わった事を忠実に再現しているように思えた。
中学から始めたのなら、今はそれで充分だ。
問題は先生。かなり眉間に皺が寄っているので、足がしびれているのだろう。
「お稽古はここまでにしますので、足を楽にしていただいていいですよ」
「はあ、久しぶりだから痺れていたのよ」
「従妹の夏海ちゃんの方が、態度に出ていませんよ。立派です」
「そんな。好意で教わっているのに、そんな事を悟れたら失礼です」
夏海ちゃんは、僕の着物姿をジッと見ている。
そうやって見られるのは、正直に言うと少しだけ恥ずかしい。
「夏海ちゃんは、自分で着付けができるようになりたいの?」
「いずれは……ですね。出来て損はないと思います」
「そっか。僕の母で良ければ着付けが出来るから聞いてみるよ。連絡先は先生で言いかな?」
「ありがとうございます。でも大丈夫なのですか?お忙しくないのですか?」
「家元は僕の父。母は父の秘書だけど、着付けの師範を持っているから安心して?僕の着物姿は見慣れない?」
「いいえ。和装の方がしっくりするというか。自宅では和装が多いのですか?」
「流石に寝る時は違うけどね。大抵はこんなものですよね?」
僕は先生に確認をする。
「そうよ。ピアノのレッスンに和服で来た生徒は雅だけね。私服も最近ようやく年相応っぽくなったけれどもね」
「いいじゃないですか。仕事でも和服でってオファーがありますしね」
「ああ。聞いたわよ。その仕事。雅はそろそろ終わりでしょう?」
先生は僕の母から年明けのドラマの話を聞いたようだ。
「僕だけの収録はないんですが、女優さん達とは残っているのでかなり最後までありそうです」
「相手に合わせるとなると、そんなものか」
「そんなものですよ」
僕達は足を延ばした状態で、もう暫く肩肘を張らないでお茶を楽しむのだった。
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