負けないで 2
一休みした僕は、メッセンジャーバックをたすき掛けして帽子を目深に被る。
久しぶりのオフだから、楽器店でピアノの楽譜を見て、頼んでいたトランペットの教本を貰ってから、久しぶりにカフェでも寄ろうと頭の中で予定をチェックする。
ピアノを弾くドラマは学園サスペンスと聞いている。僕の役柄は話の流れに水を差すような存在。主人公の隣の席の吹奏楽部の部長。事件との絡みは一切ないものの、部活の練習後にピアノを弾く設定だそうだ。僕のピアノを聴きながら主人公が解決のヒントを導くというシチュエーションだと聞いている。
僕がその役をやる必要があるのだろうか?と思ったら、僕の役でオーディションをしたんだけども、ピアノが越えられない壁になってしまったとか。そこで僕のDVDを思い出して僕に白羽の矢が立ったというのが真相だ。
その為、僕のシーンは比較的多いけれども、セリフはそんなに多くない。専らピアノを弾く時に主人公に投げかける言葉がヒントになるという。1話ずつ違う曲を弾くと聞いているから他の人よりも早めにピアノシーンは始めると聞いている。
シナリオが出来たら、先にピアノ曲だけ教えてもらえるようになっている。
最初の収録は恐らく2月頃になるだろう。全11話で11曲弾くって結構タイトだと思うんだけども。その件に関しては、1月に音響担当の人と弾くピアノ曲のリストアップを一緒にすることになった。僕が弾けない曲を弾いてもどうにもならないからだ。
歩いて5分の楽器店に到着する。まずはトランペットの教本を受け取る。
通常の教本は既に持っているけれども、今回手にしたのはジャズトランペット。
澤田さんに以前言われた国営放送のアシスタントが正式に決定した。
先方から言われた事は、練習する曲は楽譜を見ていいから吹けるようになって欲しいとリクエストをされている。練習曲は、皆が知っている曲が多い。星に願いをとかオーバーザレインボーとか。最後の回でサックスを吹いて貰うかもしれませんと。
トランペット講座でなぜ?と思ったら、その後がジャズサックス講座何だとか。
要するに、僕は年間で国営放送のアシスタントを受けることになったという事だ。
そっちの練習も必要になってくるから、楽器店が行っている楽器教室のプライベートレッスンの日程表を貰って来た。途中でオーナーさんが僕に気がついて近付いてくる。
僕の仕事を知っている少ない人だ。簡単に今回の経緯を話して、レッスンの依頼をお願いする。オーナーはにっこり笑って決まったら事務所に連絡しておくよって言ってくれた。
多分、オーナーさんに任せておけば大丈夫だろう。
ピアノピースを少し覗いてから、僕は楽器店を後にした。
ピアノのレッスンにはまだ時間がある。荷物を持ったまま行っても問題ないから久しぶりに喫茶店に行こうと思い、自宅の側の裏路地に入る。やがて、ログハウス調の家が見える。
ここが目的の喫茶店。オフの時は大抵ここで午後を過ごす。この店は僕の同級生のご両親が経営している。僕が行く時間帯は、僕の同級生のお母さんがたくさんいる。僕が来ても久しぶり、元気そうねってだけで終わりだ。こういった扱いをしてくれるのが有難い。
ドアを開けると、聞き慣れたカウベルの音がする。
「おっ、いらっしゃい」
「久しぶり、雅君。休み?」
「そうじゃないとここに来られません。奥いいですか?」
「ああ。いいよ」
僕はオーナーと簡単に会話をしてから、奥の座席に座る。
高い天井が落ち着く。奥の座席の横には天井から下ろしたシンプルなブランコがある。
子供の頃はよく親と一緒に来てブランコで遊んだものだ。流石に最近はのらないけど。
「ほらっ。カフェオレでいいだろ?」
「ありがとうございます。ここで飲むのが一番落ち着くね」
「お前は全く。折角だからケーキの試作品食べないか?」
「いいですよ」
「食べても平気なのか?」
「今はちょっと歩いての移動が多いんですよ」
「そうか。まあ、まだ成長期だからいいか」
「3日間オフなので、明後日は少しだけ体を動かしますよ」
オーナーはそう言って、デザートプレートを置いていった。
プレートには、パンプキンパイとブリュレとチョコレートケーキがあった。
ここのケーキは甘すぎず、しつこくもないので食べやすい。
だからつい食べ過ぎてしまうのだ。暫くは忙しいので今回は大丈夫だと思うけど。
手に馴染むカフェオレボールを両手で包み込みながら飲んでいく。
ミルクの自然の甘さが心地よくて、結局追加でオーダーしてしまった。
レッスンまで後15分という所で僕はカフェを後にした。
ピアノの先生がここのケーキが好きだから、旦那さんと食べれるようにちょっと多めにテイクアウトさせてもらう。
ピアノ教室は僕の家の右隣だ。ちなみに左隣は茶道の方の事務所兼教室がある。
家と事務所は木戸で行き来が出来る構造だ。
僕は家を素通りして隣のピアノ教室に入る。
「先生?雅ですけど?」
玄関を入って先生を呼ぶ。いつもならすぐに来てくれるんだけども今日はそれがない。
僕は不安になった。
「雅?ごめん。先にレッスンルームに行って貰ってもいいかしら?」
「分かりました。教本借りて指慣らしていてもいいんですけど、差し入れがあるんで引き取ってもらえませんか?」
「分かったわ。ごめんね、ちょっとたてこんでいるのよ。落ち着いたら行くわ」
先生は慌てて、僕の差し入れを取りに来てくれた。
僕はいつもの様にレッスン室に入ろうとした時に、聞いた事がある声がした。
微かだけれども、僕がはっきりと聞き取れる位に。
「雅さん?それって男性ですか?」
以前に僕がハンカチを差し出したあの女の子の声だった。
なぜ?普通ならこの時間帯は学校だよね?その声が聞こえた事に僕は理由が分からなかった。




