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作者: 下弦 鴉

年明け早々、短編を投稿してみる実験!

初詣やらのひつまぶs……暇つぶし程度に読んでくださると嬉しいです。


 とあるネットワークゲーム、所謂ネトゲとやらにハマってしまってから、早数年。ネトゲ廃人に足を片っぽ踏み入れてからも早数年。「いいさ、前向きに日々を生きているから」と中身は開き直る。

 そんな中身は、お気に入りのネトゲを楽しんでから、親しいネット内の友人達に「お疲れ様」を言って、ログアウトした。

 私の知らないところで、こっそり物語は始まります。えぇ、終わりじゃないですよ。これから始まるのです。




「今日も、たかがサブキャラに活動時間が負けるだと……!」

 そう言って、背筋をシャンと伸ばして立っていた女の子は項垂れた。カールする茶色の髪を後ろに束ね、頭の中央辺りから分かれる前髪が、その悲痛な表情を覆い隠す。

 そんな彼女の隣に立っていた少年は伸びをして、空色の瞳に薄っすら涙を浮かべる。風にもそよがない硬い髪質のオリーブ色の短髪から、彼の種族、エルフ最大の特徴である尖った大きな耳が覗いていた。

「明日は中身さん忙しいみたいで、僕だって5時間も遊んでもらえませんでしたよ。そう落ち込まないで下さい」

 悪気なくニコニコと少女に微笑みかける少年に、彼女はぎこちない笑みを浮かべた。

「どうせ私は10分も動かしてもらえなかったわよ!」

「あれ、それは失礼しました」

 紅い瞳が少年を睨んだが、彼は目を逸らしてそれを無視した。そして、ふぅ~と油断しきったため息を吐いて、床に腰を下ろした彼の頭を、勢い良く少女は叩いた。

「った!」

 隣に立つ少女を、少年は睨み上げる。

「いったいなぁ、何するんですか。フィルア、暴力反対です」

「アンタが蒔いた種でしょ。それに、フィルア『さん』と呼びなさいって何回言ったかしら?」

 そう言って少女――フィルアは、ふんっと鼻を鳴らして少年に背を向ける。そんな彼女の態度に、彼は頬に不服をため込んだ。

「メインキャラクターだからって、やって良い事と悪い事があるんですよ?」

「知・る・か!」

 あっかんべぇをして、フィルアは鼻をふんっと鳴らした。

「……分からず屋め」

 一方少年は、可愛らしい顔を歪めて、彼女に聞こえないように毒を吐き捨てる。彼が現れてから、空気がどんどんと重くなっていく。

「まぁた喧嘩してましたね」

 眠そうな声が2人の間に流れる歪んだ空気を変えた。少年と似た顔立ちの少女が、オレンジ色の長い髪を邪魔そうに掻き揚げて、彼の隣にのっそりと座る。

「フィルアさんは少しでも動かしてもらえるだけいいじゃないですか」

 ふぁあっと欠伸をする彼女に、フィルアが反論するより前に、少年が口を開いた。

「あぁ、倉庫にされた哀れな妹。メインの横暴さには耐え切れないよな」

 そう言って少年は少女の肩に手を回した。が、あっさりと掃われてしまう。引きつった笑顔を浮かべながら、エルフの少女は呆れたように言う。

「アタシはそんな事思ってないし、さらっと毒吐かないでね」

「え、毒なんて吐いてないよ? 気のせいじゃないかな」

 少年は本当にその事には気づいていない様子で、困ったような顔をした。

柚奈ゆずなの言う通りだと思うけど」

「えー。フィルアの方がヒドいと思うんだけどな」

 どこまでも優しい笑顔で、その顔から想像出来ない言葉を吐く少年だ。その反応に慣れているのか、少女たちはため息と引きつった笑みで誤魔化した。

「あらあら、今日も仲良しねぇ。さすが一緒にいる時間が一番長いだけあるわ」

 ズンズンと重い足音が響いたかと思うと、フィルア達の背後に巨人が現れた。彼らが見上げるほどの背丈の女性は、可笑しそうに笑っている。

「誰が誰と仲良しか!」

 その女性はフィルアの反論を笑顔で受け止めると、「そうかっかしないで」と容易く彼女をたしなめた。軽く扱われたフィルアは、悔しそうに唇を噛んで、彼女に背を向けた。

勾椿姉こうちんねぇさん!」

「柚ちゃんは来週転生かしら、随分大きなったわね」

 勾椿に柚奈はわ~いと抱きついた。と言うよりは、飛びついたに近い。そのタックルを余裕で受け止めた勾椿は、青紫の綺麗なボブヘアの間から、鋭い光を宿した藤色の瞳で優しく微笑んでいた。その視線を少しだけ動かして、また伸びをして欠伸をする少年に目を向けた。無遠慮に全身を上から下まで見て、一言。

「ヨネちゃんは有料転生にもまだ早いわね」

 にっこりと笑顔で言う勾椿とは正反対に、少年は引きつった笑みを浮かべる。それまで背を向け続けていたフィルアが『有料転生』と言う言葉に敏感に反応し、ピクッと肩を動かした。

「ちょっと勾ねぇ、ヨネちゃんって呼ばないで下さいって前も言いましたよね? まあ、確かに有料転生まで、時間はまだまだありますけど……」

「はあ、サブキャラ如きが有料転生!? そんなの無料転生してる私が許さないわ!」

 フィルアは振り返ったと思ったらそう言い放ち、その気迫に圧されて、3人はしばし沈黙する。

「フィルちゃんは6週間で転生出来るだけいいじゃない。私は1ヶ月放置なのよ?」

 沈黙を破った勾椿を、フィルアは視線だけで再び黙らせる。

「はいはい、倉庫キャラは黙っていますよ」

 呆れたように勾椿が両手を振って後退する。すると今度は、少年が口を開いた。

「まだ有料転生するって決まったわけじゃないですよ?」

「この前有料転生してたじゃない!」

「だからって、今回もそうなるとは限りませんし」

「私よりレベル高くなってるくせに!」

 フィルアの嫉妬が完全に少年に向けられている中、放置されている2人は微笑ましくその様子を見守っていた。

「あ、あの、匂椿姉さん」

 耳打ちしてきた柚奈に合わせて、勾椿は彼女の隣に腰を下ろした。

「ん?」

「フィルアさんたちが言い争ってる、転生ってなんですか?」

「あぁ、柚ちゃんは知らなかったわね、まだした事ないし」

 勾椿の言うとおり、柚奈は中身に作成されてから、やっと1ヶ月経つか経たないか程度だ。小学生にしか見えない兄は、フィルアとほぼ同時期に作成されたため、転生は何度も繰り返している。兄妹で年がおかしいのはそれが理由だ。

「転生はね、ゲームシステムの事よ。「有料転生」はゲーム公式サイトからキャラクターカードを購入する事で、3週間に1回出来るもの。「無料転生」は言うまでもなく、キャラクターを作成時、又は転生してから6週間後に出来る転生の事よ」

「ほえー、なるほど。でも、勾椿姉さんはもっと長いですよね?」

「長い? ……あぁ、周期の事ね。私達が20歳になると、ゲームキャラクターからプレゼントがもらえるの。だから、私は1ヶ月転生なしで、それを受け取るのよ」

「わ、私もそうなるのでしょうか」

「うーん、今のところそうなるかしらね」

 と言いながら、勾椿はまだ子供っぽい口喧嘩を繰り広げる2人に視線を動かした。中身が絶賛育成中のこの2人がいる限りは、勾椿も柚奈もまともに動かしてはもらえないだろう。

「さて、フィルちゃん。そろそろ喧嘩はやめてもらいましょうか」

 彼女に賛成して頷くエルフ兄妹。そこに、ちょっと待てやと止めに入る人間。止める理由は誰にでも分かるだろう。

「おいコラ、ヨーネス。お前は私を苛立たせるのがそんなに楽しいのか?」

 フィルアはやっと名前が判明した少年の胸ぐらを掴んで、力強く揺さぶった。されるがままのヨーネスは、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。

「ただ意見に賛成して、頷いただけじゃないですかぁ。楽しんでなんていませんよ~」

「アンタの言葉は信用できぬわ!」

 そう言い放ったフィルアは、乱暴にヨーネスを突き飛ばす。床に頭を打ちかけた彼を、片手で勾椿が支えた。

「フィルちゃん、落ち着きなさい。柚ちゃんが怯えてるでしょ」

 また言い返そうとしたフィルアは、本当に怯えている柚奈の様子を見て、行き場のなくなった言葉をため息に変えて吐き出した。

「わ、分かったわよ」

 分かってなくてもそう言うフィルアだ。ヨーネスと勾椿から容赦なく冷めた視線を注がれる。火種のヨーネスに再び食って掛かろうとして、フィルアは思い止まった。否、彼らの背後にいる、謎の物体に気付いて口を閉ざした。

「どうしましたか、野蛮人」

「誰が野蛮人だゴラァ!」

 さらっと嫌味を言うヨーネスに堪えきれなくなったフィルアは、渾身の一撃を放つ。だが、彼は背中をそらせて難なく回避した。その拍子に、彼も自分達の後ろにいる浮遊物体に気付いた。

「何ですか、アレ」

 体勢を立て直し、再び後ろを向いたヨーネスにつられて、柚奈と勾椿もそれを見つけ、彼と同じように何だろうと首を傾げた。

 額ににょきっと生えた長い触角。雪だるまのようなボディに、折った割り箸を突き刺しただけのような手足がぶら下がる。4人の視線を一斉に受けながらも、それは気に留めていないらしく、何かを探して漂っているようだった。

 座っている3人がそれぞれ楽な姿勢に戻ると、4人の頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんだ。

「中身さん、新しいペットでも買ったんでしょうか」

 柚奈の意見に勾椿が首を振る。

「このゲームの世界観に、あんなペットは不釣り合いよ」

 そうですねぇ。と呟いて納得しながらも、柚奈は少し肩を落とした。

「新種族……にしても不気味よね。ゲームの世界にも不釣合いだし」

 勾椿がそう言うと、フィルアがものすごい勢いで頷いた。

「それもないわ! あったとしても、これ以上うるさいのが増えたら困るわよ!」

 『うるさいの』を強調して言ったフィルアの視線の先には、やはりヨーネスがいる。猛烈な視線を受け流し、彼は真面目な表情のまま彼女を見つめ返していた。いつになく真剣な面持ちをしているので、フィルアは続いて出そうになった言葉を封じ込める。何か言ってくれれば楽なのに、彼はまだ口を噤んだままだった。

「……フィルアさん」

「な、何よ」

 ヨーネスがゆっくりと口を開いた。しかし、「さん」付きで呼ばれるとは予想外だったらしいフィルアは、少しだけ言葉を詰まらせながらも、毅然のした態度は崩さないように心がける。

「もしかして……」

 そうやって無駄に間を空けるものだから、フィルアは思わず唾を飲む。しんと静まり返ったその場で動いているものは、謎の物体だけだった。

「また調教スキル使ってモンスターを連れてきたんですか? そんな事しちゃいけないって、前にあれほど――」

「誰が好き好んであんな得体の知れないもん連れ込むかっ!」

 フィルアは一息でそう言い切った。あのピリリとした緊張感はどこへ行ったのだろう。彼女は顔を真っ赤にして怒り、ヨーネスは言葉を遮られて拗ねた表情を浮かべている。柚奈と勾椿は笑いを堪えるのに必死だ。

「だって前に一度あった事じゃないですか。ダンジョンのボスが可愛いからって」

 柚奈は湧き上がってくる笑いと戦いながら、フィルアに問うた。

「フィルアさん、ホントにそんな事したんですか?」

 問われた本人は少しずつ焦り始める。ここでこの空気に負けてはならないと、己を奮い立たせて、問いと正面からぶつかる覚悟を彼女は決めた。

 「だ、だって通行証がないと行けないトコだったし。一回行ったトコならログ残ってるから、行ってちょっとおいでよと……」

 視線を泳がせるフィルアに追い討ちをかけるように、勾椿がただ疑問に思った事を聞く。

「でも、ヨネちゃんは調教してきたって言ったじゃない」

 ヨーネスはあだ名を訂正してから、言葉が詰まって話せないフィルアをフォローする。

「そのモンスターは根に持つタイプで、自分を倒したフィルアの言う事なんか聞きたくなかったんでしょう。だから強行手段に出て、調教と」

 へぇ~と何気ない返しが、余計にフィルアを苦しめた。何が何でもこの笑われ続ける状況から脱したい彼女は、話の筋を矯正する事にした。

「今はそんな事より、あの物体でしょ!」

 フィルアの指差すその先で、謎の物体は浮遊をやめて、地に降り立って仁王立ちしていた。あぁ、確かにそうだと思った2人は、緩んだ気持ちを引き締める。残りの1人は、満足気に微笑んでいるが。

 挑発に乗れば乗るほどどつぼにはまるのは、メインキャラクターであるフィルアだ。怒りを拳に溜め込めて、懸命に吐き出してしまいそうな暴言を封じ込める。

「私達のテリトリーに、あんなのがいていい訳がない!」

 ビシッと言い切れば、イライラした気持ちが少し晴れた。しかし、間抜けた声がそれさえも許さない。

「フィルアさ~ん」

 律儀に挙手をして発言するのは柚奈だ。

「何?」

 ツンとした表情で、フィルアは短く言った。

「謎の物体がパカッと割れました~」

「そう、パカッと割れたの。……はあ、割れた?!」

 柚奈はのん気だが、経験豊富な3人は即座に行動を起こす。フィルアは装備データを呼び出して、木製の杖をその手に握る。彼女に習い、ヨーネスは弓矢を、勾椿は巨大な斧を構えた。

「柚、お前も弓を持っておけ」

「う、うん」

 いつになく真剣な面持ちの兄の命令に逆らわず、柚奈も慣れない手つきで装備を呼び出し、その手に握った。

 戦闘態勢になった4人の前では、謎の物体が頭と胴を分けるように割れていた。何の動きも見せない事が余計に不気味だった。微かに聞こえるブーンと言う音が、次第に大きくなっていく。

 勾椿はいかにも嫌そうに眉をひそめて、フィルアに声をかける。

「フィルちゃん、コイツってもしかして……」

「ウイルス、かもね」

 彼女がそう言うと、その答えがわかっていたらしいヨーネスは、深いため息を吐いた。

「また中身が罠に引っかかったんですかねぇ」

 今度はフィルアと勾椿がため息を吐く。柚奈は訳が分からずあたふたしている。

「ま、また? じゃあ、前にもあったんですか?」

「あぁ、何度かね」

 緊張感を漂わせ、短くヨーネスが答えた。あまりにも少ない情報で、柚は不安に駆られた。そんな彼女を見て、勾椿が詳細を教えてくれる。

「私が生まれる前に3回。柚ちゃんが生まれる前には18回もあったのよ」

「ふえ、そんなに?」

 ゆっくり頷いた勾椿の後を継ぐように、ヨーネスが続けた。

「ボクが生まれた日が始めてのウイルス侵入でね。何とか撃退し終わった後、フィルアからのバッシングがすごかったよ」

 隣で苦笑いするヨーネスに、フィルアは舌打ちをした。

「勾ねぇが来てから増えた気がするけど、中身はどんな騙され方してるんだか、不思議で仕方ないよ」

 彼は深いため息を吐き、「柚が来てから、いつまた現れるかちょっと心配だったんだ」と、優しい顔で言った。確かに戦闘はまだまだ不慣れな柚奈が、ウイルスとまともに戦える訳もない。柚奈は数歩下がって、小さいが頼りがいのある兄の背中に少し隠れた。

「おしゃべりは終わりよ。……来るわ」

 凛としたフィルアの声が、3人の身を引き締める。それを皮切りに、謎の物体から、それを小さくしたようなものが大量に吹き出してきた。それらは全体的に広がると、特徴的な触角を揺らしながら発光させる。

「ヨネ、勾。さっさと排除するわよ!」

 フィルアの鋭い命令に柚奈はたじろいだが、手馴れた2人は短く返した。

「了解!」

「任せときな!」

 まず、勾椿が自分の身の丈よりも大きな斧を振りかざし、ウイルスたちに突進していく。データの壁、空に張り付かれる前に、縦一線に斧を振った。切り裂かたウイルスは、耳障りな奇声を上げ、チリとなって消えていく。ウイルス達は仲間をやられ、それまでなかった緊張感に包み込まれた。しかし、反撃を許さない勾椿の斧が、それらをまとめて切り裂いていく。

 ウイルス達だって、やられっぱなしではいられない。勾椿の斧が届かない所から、彼女に襲いかかろうと集まってくる。大きな斧を振り切るだけで、十分すぎるほど隙が生まれる。もう少しで彼女に触角が届く――という所で、チリに変わる。危険を感じ、再び散り散りになったウイルス達は、矢を2本一遍に放つヨーネスの姿を最後に次々と消えていく。

 どんどんとウイルス達が排除されていく。数では圧倒的にウイルスが勝っているが、戦力の差が歴然としていた。勾椿が主に数を減らしていき、逃したものや反撃しようとするものは、素早い動きでヨーネスが消していく。柚奈は彼らの戦闘を見る事は初めてなので、華麗な連携に見入っていた。

「離れて!」

 フィルアの声に、柚奈は現実に戻されると、彼女の前まで2人が追撃を回避しながら下がって来た。

「あらあら、こんなに集まっちゃって」

 フィルアが妖艶に言う。その彼女の杖の先から、青い閃光が走っていた。何の事だかさっぱり分からない柚奈は、近くにいたヨーネスの背中に隠れる。しかし、身長差があまりにもあるので、隠れきれない。そんな彼女に、ヨーネスは微笑みを浮かべた。

「怖がらなくても大丈夫だよ。あんなのでも一応メインなんだから、的は外さない」

「おいサブキャラ。そんな事言ってると、アンタにも落とすわよ?」

「うへ、それは遠慮しておきたいな」

 しっかり地獄耳めと毒づいてから、ヨーネスはあまり申し訳なくなさそうに言った。柚奈は思う。ウイルスがもうほとんど目の前に迫ってきてるのに、こんなに冷静でいられるのは何でだろう。

「柚ちゃん、これが彼女メインの実力よ」

 柚奈の心中を察してか、勾椿が誇らしげに言った。大きな斧を担ぐようにして立つ彼女の姿が、蒼い光によってより美しく見える。ウイルス達が降り注ぐ無数の雷によって、次から次へとチリに変えられていく。柚奈は自分にそれが落ちてくるのではないかと思って、頭を庇ってしゃがみ込んだ。そんな彼女を、ヨーネスは笑う。

「大丈夫だって言ったじゃないか。フィルアは的を間違えたりしないって」

「こ、これ、フィルアさんが?」

「そうだよ」

 自分より幼い顔をした兄は、屈託なく笑った。それだけフィルアを信じているという事だろう。勾椿も、すぐ傍で雷が落ち、ウイルスがチリに変えられていくのに、平気な顔をして立っている。あっちを見てごらんと、彼女が顎でさす先には、呪文を唱えては雷を放つフィルアの姿があった。

「す、すごい」

 フィルアが呪文を唱える度に、杖の先端に青い光が宿る。そして狙いを定めてそれを放つと、枝分かれした雷がウイルスをチリにしていくのだ。真剣な彼女の顔を照らす蒼を、美しいと言わずしてなんと言おうか。

 柚奈がその光景に見惚れているうちに、戦闘は終わっていた。そして、何事もなかったかのようにデータの空では雲が流れ、フィルア達の世界と外部を隔てる壁は鎮座している。まるで全てが嘘だったかのように、何も残っていなかった。

「ま、こんなもんね」

「さすが、フィルア。良いトコ取りなんて、サブキャラが出来る事じゃないですよ」

 ヨーネスがグッと人差し指を立てて良い笑顔で言うものだから、フィルアは青筋を浮かべた。

「んだとゴルァ」

「まあまあ、落ち着きなさいフィルちゃん」

「全くですよ。元近接師だって、そこまで血の気は多くないですよ」

 勾椿が仲裁に入り、一段落つくと思った所に、ヨーネスから爆弾投下。いつも通りのやりとりだ。

「その偏見は何。近接いいじゃない。血の気万歳よ!」

「……フィルちゃん、さすがに血の気万歳はないと思うわ。というかヨネちゃん、いい加減にしなさい」

「は〜い」

 フィルアが勾椿に牙を剥く前に、のん気なヨーネスの声がそれを制した。矛先を再び彼に戻す前に、フィルア自身が己を沈めて殴り合いに発展する事はなくなった。そうなってしまうと、弓師のヨーネスが不利になってしまうので、勾椿の鉄槌が彼女に下って終わるのだ。悪いのは大体ヨーネスなのだが、火が点いたらなかなか消えないフィルアの火を消す方が早いのだ。

「さて、後は本体を……あれ?」

 冷静になったフィルアが、辺りに視線を巡らせる。

「どうかしましたか、野蛮人?」

「ヨーネス、アンタはいつも一言多いのよ!」

 フィルアが振るった杖を、ヨーネスは弓で難なく受け止める。フィルアは防がれた事に腹を立てつつも、我慢してそれ以上は何もしなかった。

「それで、どうしたの? フィルちゃん」

 勾椿は飽きれたようにため息を吐いてから、そう聞いた。ヨーネスとフィルアの間に、さり気なく柚奈が入って来た事により、2人は互いに武器を収める。

「本体がいなくなってるわ」

 困惑気味にフィルアが言うと、ヨーネスは少し驚いたような表情をした。そしてすぐに、真剣な表情に戻る。

「フィルアがやったんじゃないんですか?」

「さんを付けて呼びなさい」

 しばしの間が空く。固まった空気に、3人の視線を感じた1人が声を出した。

「……フィルアさんが倒したんじゃないんですか」

「面倒を起こした罰として、いたぶってやろうと思って放置したのよ」

 さんを付けただけで、あっさりそう答えてくれたフィルアに、ヨーネスは小さくため息を吐いた。

「勾ねぇは?」

「私もやってないわよ。フィルちゃんがやると思って」

 勾椿の返事に、フィルアはうんうんと頷いていた。しかしそれなら、誰が本体を仕留めたのだろう。

「まあ、非力な妹はやっていないとして。肝心の本体はどこへ?」

 確かに柚奈が倒せる訳がないし、まず手も出していない。そして、ヨーネスの問いに答える者もいない。フィルアも勾椿も首を傾げている。

「本体が逃げるなんて、初めてですね」

「そうね。いつもは最初に仕留めてたから」

 不思議そうに言うヨーネスに、勾椿が同意を示す。そこで疑問がわいた柚奈は、頬に片手を当てて、少しだけ考えた。

「……なんで今回は最初にしなかったんですか?」

「ヨネちゃんが仕留めると、フィルちゃんがうるさいから、最後にするようにしたの」

「そうそう。たかがサブキャラに、ガミガミ言うメインがいるからそうしたんですよね」

 1人真面目にうんうんと頷くヨーネス。勾椿と柚奈は苦笑いして、フィルアの様子を伺った。彼女は怒りを鎮める事に必死になっている。

「ねぇ、いい加減にしてくれない? その余計な一言どうにかしてくれない?」

「え、何処か余分な所ありましたか?」

 とぼけるヨーネスに、フィルアの堪忍袋の緒が切れた。

「ありすぎるわ!」

「痛っ」

 ヨーネスは勢い良く頭を叩かれ、口をへの字に曲げる。短時間で降り積もっていく怒りに身を震わせながら、フィルアは勾椿に宥められていた。柚奈は一人であわあわとしていて、先ほどまでの緊張感の欠片もない。

「逃がしてしまったのは残念ですが、問題なく処理出来て良かったんじゃないですか?」

「また出たら、みんなで追い払えば良いしね」

 ヨーネスの言葉に勾椿が賛成するように言葉を付け足した。フィルアも文句はないようで、いつものように腕を組んで、仁王立ちして頷いていた。

「まあ、メイン様がいれば、ボクらが出る幕もないですよね」

「ふふん、よく分かってるじゃない」

 珍しくヨーネスに褒められたものだから、フィルアは天狗になってた。勾椿も会話がこじれる事はないだろうと、安心して少し微笑む。ほのぼのとした優しい空気に包まれかけた時、天使は悪魔に変わる。

「頭に血が上ってないフィルア程、扱いやすいものはないですしね」

 ヨーネスは悪気なく、笑顔でさらっと言い切った。彼の心には悪意しか存在しないのだろうか。満面の笑みを浮かべていたフィルアの頬が引きつる。ぎこちない笑みがやけに恐ろしく見えた。

「ねぇ、ヨネちゃん。たまにはフィルちゃんを怒らせない発言はできないの?」

「えー、だって楽しいじゃないですか」

 どうやら全て分かった上で、フィルアを怒らせているらしい。見た目は純粋無垢な少年なのに、どうしてここまで性根が腐ってしまったのだろうか。

「楽しくないわよ! 私が全く楽しくな~い!」

 地団駄を踏むフィルアをからかうように、ヨーネスが余計な一言を足していく。ついに追いかけっこが始まったが、人間のフィルアが、足の速いエルフのヨーネスを捕まえる事は不可能だ。

「ま、あれでも仲はいいのよねぇ」

 勾椿の呟きは、隣でおろおろしている柚奈にも聞こえないほど小さなものだった。

「仲がいいですって? どこがよ!」

 それなのに、敏感に聞き取るフィルアは怒鳴り返す。腹を抱えて大笑いしているヨーネスには聞こえなかったみたいだが。勾椿はいつもの光景にホッとしつつも、これ以上喧嘩を収めるのが面倒臭くなる前に、行動する事にした。まずはフィルアを落ち着かせる事。それから、茶化してくるヨーネスを黙らせる事。柚奈に協力してもらって、ヨーネスを最初に黙らせても良い。そんな勾椿の隣に立つ柚奈の背後で、光る触覚が揺れていた。




 何が起こったのか、柚奈には分からない事ばかりだった。今、目の前で起こっている事も信じられない。

 いつもの様に戯れ合っているフィルアとヨーネスを、優しく勾椿が見守っていたはずだった。それなのに、今、彼女は消えかけている。

「くそ、すばしっこくて当たらない!」

 苛立ちを露にしたヨーネスが、懸命に狙いを定めながら矢を放っている。しかし、その動きを先読みしてるかのように、ウイルスの本体が避けるのだ。フィルアの魔法も、同じように当たらない。痺れを切らした彼女は、装備データに杖を返し、剣を取り出そうと空に手を伸ばした。

「ちょっと、なんでデータが来ないのよっ」

 剣を握ろうとする手が、空しく振られる。何度も何度も念じて試すが、データは送られて来ない。

「もう、なんでなのよ!」

「落ち着いて、フィルちゃん。今慌ててもどうしようもないわ」

 勾椿の声は少し雑音が混ざって聞きとり難かったが、確かにそう言った。柚奈が泣きそうな顔で、横たわった彼女の隣に座り込んでいる。

「大丈夫よ、柚ちゃん。フィルちゃん達がどうにかしてくれるから」

「でも、でも」

 そう話しているうちにも、勾椿が細かい粒子となって足から消えていっているのだ。優しく頭を撫でてくれている勾椿が、なぜこんな目に遭わなければならないのか。柚奈はただ涙を流す事しか出来なかった。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 普段通りの空気に戻りきった所に、あの奇妙な本体が再び突然現れる。割れた首は元通りになっていたが、代わりに1本だった触角が2本になり、触手のように伸びていた。勾椿がいち早くその存在に気付き、身を呈して伸びてきたそれから柚奈を庇った。勾椿は体の自由を奪われながら「離れなさい!」といつになく厳しい声で近寄ってこようとした柚奈を制し、つま先からデータの光となって消え始めてしまったのだ。そしてその粒子は、あの本体に取り込まれていく。ヨーネスが放った矢が触手を切り裂いたが、彼女の症状まで止める事は出来なかった。

 フィルアは、あのウイルス達は囮で、本当はこっちが目的だったのだと悟った。まだヨーネスすら生まれていない頃、中身の友人がその被害に遭った事があった。同じ時期にゲームを始めた良き友人は、成長途中のキャラクターを奪われて以来、このゲームに姿を現していないらしい。中身が調べた事や、それのゲーム内の友人達に話した事しか知らないフィルアだが、キャラクターの最期くらい知っている。勾椿が消されてしまう。この世界から、消えてしまう。

「当たれば取り戻せるはずなのに……!」

 もどかしそうなヨーネスの小言が、フィルアの耳に嫌でも入ってきた。そう、本体さえ倒せれば、勾椿のデータを取り戻せる。装備データの受信を妨害しているのも、きっとアイツなのだ。だから、少しでもダメージを食らわせる事が出来たなら、一気にこちらが有利になるはずだ。

「ふぃ、フィルアさん。どうしよう、どうしよう!」

 柚奈は消えていく勾椿を強く抱き寄せる。なぜかその顔がフィルアを苛立たせ、厳しい言葉を吐かせた。

「うるさい!」

 柚はヒッと息を飲んだ。勾椿を抱く力が余計に強くなる。フィルアはそう口走ってしまってから後悔した。初めてウイルスに侵入された時のように、辛く当たってしまった。今にも泣きそうな顔が、生まれたばかりのヨーネスのそれと重なる。彼女は悪くない。あの時のヨーネスだって、悪くなかったのだ。いけないのは、バカな中身なのだから。

「……ごめん、柚。きつく言いすぎた。どうしたの?」

「こ、こ、勾椿姉さんが」

 詰まる柚奈の言葉を待たずに、勾椿の足が完璧に消えた。

「どうなっちゃうんですか? 死んじゃうんですか? もう、会えないんですか?」

 そう矢継ぎ早に質問してくる柚に、フィルアは無言で答えた。データは死にはしないが、消える事はある。現実世界で雷が落ちて、パソコンのデータが飛ぶのと一緒だ。消えたものは戻らない。盗まれたものもだ。

「フィルア、そっちにいきましたよ!」

 ヨーネスがそう叫ぶが、フィルアは動かなかった。

 中身のせいにしてしまうのは簡単だ。気を付けてさえいれば、まずウイルスになんて感染されないのだから。

「おいフィルア、聞こえてんだろ? 動けって!」

 そうだったとしても、アカウントハックは防ぎようにない。ゲームの運営者のセキュリティを簡単に突破してくる奴らに、一般人が対抗できる訳がないじゃないか。だからこうして、私たちは戦う。奪われないように、消えないように。中身も自分自身も、ゲームを純粋に楽しんでいたいからだ。

 私も柚奈のように泣けたら、楽になるのだろうか。フィルアはそう思いながら、泣けない自分に腹が立ったていたのだと気付いた。ここで諦めてしまえば、苦悩から解放されるだろう。データは新たに作れば良いんだ。中身も私達がいなくなったら、新しいキャラクターでこの世界を楽しむかもしれないじゃないか。

「お前がメインだろ?! いなくなったら困るだろうが!」

 やっと届いたヨーネスの言葉で、漸くフィルアは覚醒する。しかし、本体がもう目の前に迫っていた。視界の隅に、走ってくるヨーネスの姿が映る。

 フィルアの体に衝撃が走った。勾椿はよくこんな痛みに耐えたものだ。人の心配をしている余裕なんてなかっただろうに。

「……ったく、世話焼かせるなよ」

 憎いはずの声が、フィルアに優しく囁きかけた。


   *   *


 そろそろ寝ようかと思いながらも、友人とスカイプを楽しんでいる。ネットサーフィンをしながら、キャラ達の今後を考えた。フィルアがメインらしくないけど、ヨネよりそっちのが動かしやすいんだよなぁ。扱いなれてるし。

「あ、そうそう。お前は知らなさそうだから、良い事教えてやるよ」

「ん、何?」

 これまでくだらない会話しかしてないし、ロクな事ではないだろうけれど、耳を傾けた。

「最近アカハクが流行ってるらしいぜ。お前、よく変なサイトに飛んで遊んでるだろ? パスとか抜かれないように気をつけろよ」

「げ、マジで」

 アカウントハックは心の底から勘弁願いたい。折角育てたキャラを他人に奪われるなんて、想像しただけでも恐ろしい。あの子達を何年かけて育てたと思っているんだ!

「その反応から察するに、すでにしてるな?」

「もち」

「ったく、お前は警戒心なさすぎるんだよ。今は運営側からも注意しろって言ってんだから、やめておけ。ついでに、ちょっとゲーム覗いて見ろよ。すぐにゲーム落とされたり、ログインできなかったりしたら、装備を奪われてるかもしれない」

「なんだと!?」

 可愛いサキュバスたんがやっと落としてくれた、ライトニングワンドを奪うと言うのか。ネトゲの先輩が譲ってくれたハイランダーロングボウを奪うと言うのか。なんて残酷無慈悲な行為だっ。許すまじ、ハック!

「まあ落ち着けよ。心の声だと思ってるトコ、全部言ってるからな」

 なんだと! それもそれで失態だ。

「って、アレも言葉にしてるのか」

「あぁ、そうだよ。すぐにパスとID変えれば助かるみたいだから、やってみる価値はあると思うぞ。メアド変更もオススメしておこう」

「おう、ありがとう」




 ネトゲのログイン画面に来れたが、何分もログインまでに時間を取られていた。入る前からこれでは、悪い予感しかしない。そして、無機質な文字がこう告げる。

『すでに接続しています。一旦切断して接続しますか?』

「うっわ、やられてるっぽ」

「え、マジかよ。早く公式HP行ってパスとか変えてこい」

 スカイプ越しに、相手も焦っているのが伝わってくる。一番焦っている私は、慣れたIDとパス入力にも手間取ってしまった。

「おいおい、冗談はよしてくれよ」

 最初からなんてごめんだ。フィルア達だから楽しいんだから、ハックなんて悪い冗談は、本気で遠慮する。はやる気持ちを宥めるように、画面が切り替わった。

「うっしゃ、キタコレ」

 このパスワード変換画面にたどり着くまで、何分かかってしまっただろうか。とっととパスを代えて、人の大切なアカウントを奪おうとしてるバカの行動を止めなければ。どうか、みんな無事でいてくれ。


   *   *


「おにぃ!」

 柚奈の悲痛な叫び声に、フィルアは重い瞼を押し上げる。体に絡み付いてくる触手を見るのは、正直恐ろしかった。しかし、あの衝撃以来、痛みも何も襲ってこなかった。

 最初は霞んでいた視界が、徐々に形を変えていく。慣れない手付きで、柚奈が弓を構えている。震える足で懸命に立っているその隣で、勾椿も何か叫んでいる。

「下手な事しなくていいから、あのバカを叩き起こしてこい!」

 生意気な奴の声もするが、姿が見えない。どこにいるのかと視線を巡らせれば、予想外の光景に、思わずフィルアは言葉を失った。

 あの触手に襲われているのは、紛れもなくヨーネスだ。彼も勾椿のように爪先から消え始めている。それでもなお、腰に巻きついた触手を引き剥がそうと、もがいていた。

「あ、アンタ何やってんのよ!」

 やっと言葉になったフィルアの声に、ヨーネスが素早く反応する。高い位置から見下げられて不服だったが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。

「今更気が付いたんですか。てか、それはこっちの台詞ですよ!」

 売り言葉に買い言葉。しかし、フィルアは言い合っている場合ではない事を、一番良く分かっている。冷静さを取り戻し立ち上がると、足がまだ恐怖に震えている。それでもなんとか柚奈の元まで行くと、その手から弓と矢を奪い取った。

「どうするんですか、フィルアさん」

 声が出なくなった勾椿も、不安げな表情をフィルアに投げかけていた。彼女は近接と魔法はやっているが、弓に手は出していないのだ。

「どうするも何も、射るだけよ」

 当たる訳がないじゃないですか。柚奈は言葉にしなかったが、顔にはでかでかとそう書いてあった。弓師のヨーネスに射る事ができなかった本体を、今回初めて弓を握る彼女が射抜く事などできるはずがない。それでも、彼女は不器用ながらも矢をつがえ、構えて見せた。

「サブキャラにできる事が、メインの私にできない訳ないわ」

 フィルアは柚奈を勇気付けるために、そして自分に言い聞かせるようにそう言った。

 目を閉じて、深呼吸をする。中身がいつか、弓道の話をしていた。それを思い出しながらやれば、当たると己を信じた。

 ゆっくりと目を開き、本体を睨んだ。狙いは滑稽な形をした的だ。彼女は、細い左腕を的へ伸ばし、震える右腕で弦を支えながら、それをキリキリと張る。的を誤れば、この矢はヨーネスに当たる事になるかもしれない。だけど、そんな愚かな過ちを犯すはずがない。

「だって私は、メインだもの」

 ニヤリ。フィルアは微笑んだ。

 緊張から解放された弓が、矢で鋭い一線を描かせた。ヨーネスを蝕む本体に、迷いなくそれは突き進んでいく。

 1秒の間すら息苦しい刹那。フィルアが放った矢は本体を掠めただけで、仕留める事はできなかった。それでも本体は耳障りな声で悲鳴を上げ、ヨーネスを解放する。支えを失った彼は、地面に叩きつけられた。

「ってぇ……」

「ヨネ、大丈夫!?」

 駆け寄ってくるフィルアを鋭く睨み、ヨーネスは動きを制する。

「大丈夫だから寄ってくるな!」

 そう叫ぶと、彼はフィルアを突き飛ばした。信じられない彼の態度に、「折角助けてやったのに何をするのよ!」と言い寄ろうとすれば、彼女の目の前を矢が通り過ぎていく。思わずしりもちをついたフィルアは、慌てて立ち上がり再び弓を構えた。しかし、うまく矢をつがえる事が出来なくて、イライラしているうちに、本体から次の矢が飛んでくる。読み取った情報から矢を生成し、丸い体から放ってきているのだ。フィルアはそれを避けながら、反撃のチャンスを狙う。

 フィルア目掛けて、次から次へと矢が飛んでいく。邪魔をされた事がよほど癪に障ったのか、本体はフィルア以外眼中にないようだ。ヨーネスは消えゆく体を引きずって、柚奈の元まで這い寄った。勾椿の方はもう胸の辺りまで消えてしまっていた。重く閉じられた瞼が、彼女の覚悟を物語っている。

「おにぃ、大丈夫?」

「……うーん、どうすれば大丈夫に見せられるかなぁ」

 柚奈は、ヨーネスの嫌味混じりの冗談に気付けるほど、余裕はないようだ。その視線の先にいるフィルアも、同じように余裕などなかった。次第に矢が放たれる感覚が狭くなり、乱射に近くなってきた。飛んだり、後ろに下がったり、でんぐり返しをしたり。その度に、足や背中を鋭い風が掠めていく。データだって無限にスタミナがある訳ではないので、彼女の疲労は徐々に溜まっていった。

「もー、イラッイラしてきた!」

 短気なフィルアは吐き捨てるようにそう言うと、方向を変えて本体に突進していった。隙を見て直接矢を突き刺してやればいいと思っていたが、フィルアの我慢が限界を超えた。

 突進してくるフィルアに、本体は怯んだようで、矢が明後日の方向に飛んでいく。相変わらず乱射だが、逃げている時よりもずっと避けやすかった。本体の動きが完璧に止まった。もしかしたら、ショートでも起こったのかもしれない。これこそフィルアが待ちに待った、『隙』というものではないだろうか。

「私達のトコに来たのが間違いだったって事、思い知らせてあげるわ!」

 フィルアが矢を振り上げる。本体は逃げる様子もなく、浮遊を続けていた。これで全て片付く。勾椿もヨーネスも、消えない。


 しかし、ツメが甘かった。


 油断したフィルアの動きを、見覚えのある無数の剣が止めた。本体が千手観音のように背中から生えた手で、それらを握っている。フィルアの首元に、交差するように宛がわれたダガーが2本。腰の辺りにグラディウスとバスタードソード。頭を狙って振り上げられる、フィルアが愛用していたクレイモア。余った手にも、予備の剣やランスが握られている。信じられない光景と、威嚇する剣に彼女は身動きが取れなくなった。

「アッハハ。……そんなの、卑怯じゃない?」

 思わず笑ってしまう。愛用していた剣達が、自分に向けられるなんて思いも寄らなかった。

 狂ったように笑う彼女に、クレイモアが振り下ろされる。遠くに仲間達の悲鳴が聞こえた。今度こそお終いだ。ゲームオーバー。


『IDとパスワードが変更されました』


「え゛」

 無機質な音がそう告げてきた。情景反射で変な声が出たフィルアは、目が点になる。このタイミングで中身は何してるのよ。そう思ったフィルアだが、そんな事よりも重要な事がある。

 本体が剣だけを残して消えていた。

 それがいた場所には、突然現れた水色の電光掲示板が点滅しているだけだ。表示されている文字は、『IDとパスワードが変更されました』。全く意味が分からなかった。

 言葉が出てこない。考えがまとまらない。戸惑いを隠せないフィルアは、何度も瞬きをするほかなかった。

「うわぁぁぁぁぁん!」

「うぎゃあ!」

 何者かの猛烈なタックルを、横っ腹に食らったフィルアは吹っ飛んだ。その上に何か圧し掛かってきて、肩を鷲掴みにして上下に揺すぶってくる。

「大丈夫ですか怪我はないですか? データ奪われてませんかあぁぁぁぁ!」 

「ま、ちょっ、ちょって」

 ただでさえ頭が働いていないフィルアは、強烈な追い討ちをかけられる。また新手のウイルスでも侵入してきたのかと、フィルアは手放しそうになる矢を強く握り締める。

「柚ちゃん、落ち着いて。フィルちゃんが状況を全く理解できてないわ」

「わぁぁぁん、ごめんなさい」

 そう、フィルアに大きなダメージを与えたのは、柚奈だった。そして、彼女を宥める優しい声は、間違いなく勾椿だ。

「勾椿!」

 人の上で泣き喚く柚奈を押しのけると、両手を組んで立っている彼女の姿があった。

「はい、呼んだかしら?」

「なんで、アンタ、その冷静!」

 フィルアは慌てすぎて、文章が出来上がらなかった。そこをくみ取ってくれる姐御肌の勾椿は、戻ってきた足を叩いて笑った。

「なんか大丈夫みたい。あ、もちろん装備もね」

 そう言って、得意げに斧を呼び出し、軽く弄んでから返す。

「だから、なんで!?」

「私に聞かれても分からないわ」

 勾椿も首を傾げて苦笑いした。と言う事は、である。

「ヨネは? アイツも大丈夫なの?」

「私が大丈夫なんだもの、いくら小さいヨネちゃんだって、無事のはずよ」

 勾椿はそう言うが、肝心のヨーネスの姿が見当たらなかった。勾椿より後に襲われたはずなのに、彼のデータ転送が先に終わってしまったのだろうか。元々体格の差はかなりあるし、その可能性は十分にあると思ってもいいはずだ。いやしかし、勾椿のデータは戻ってきたのに、ヨーネスのデータが戻って来ないなんて事はあるのだろうか。

「そんな……」

 不安に駆られる彼女の後ろで、小さな影が揺らめいた。

「勝手に人を殺さないでください」

「ギャー、出た!」

 ぬっと背後に現れた人物を見て、フィルアは文字通り飛び上がった。

「失礼な。死んでませんよ」

 これを見ろと言わんばかりに、足を指差したヨーネスは、持っていた矢で軽くフィルアの額を突いた。傷からサラリと血が流れる。

「キャー、呪われる!」

 絶叫するフィルアを、とても冷めた目でヨーネスは睨んだ。

「……何なんですか、いつもより面倒くさいフィルアは」

「さんを付けて呼びなさい!」

「そこは注意するんですね」

 飽きれたようにため息を吐くヨーネスが、フィルアには歪んで見えている。彼女自身それに動揺して、目元をごしごしと擦った。それでも視界の歪みは直らない。それどころか、余計に酷くなってきた。

「え、マジ泣きですか。ホントどうしたんですか? もしかして、感情データ持っていかれたんじゃ」

「んな訳ないだろバカタレ!」

「痛っ」

 勢い良くヨーネスの頭を叩くと、フィルアは流れ出す涙を見せないように両手で顔を覆った。頭をさすりながら口を尖らせるヨーネスが追い討ちをかけるように、そしていつもの調子でフィルアに嫌味を言う。

「そんなにボクの事が心配だったんですか? なんだかんだ言って、実はボクの事大好きなんですねぇ」

 ニッコリ笑う彼の顔を、まともにフィルアは見る事ができなかった。まさに図星としか言えない。嫌味ばかり言う、自分より活動時間長い彼が本当に嫌いだが、消えてしまったのだと思ったら、『寂しい』と思ってしまったからだ。

「べ、別にアンタがいなくなったって構わないんだから!」

 捻くれた性格は真実を覆い隠し、被せられた偽りが彼へ届けられる。

「勾椿が無事で本当に良かったと思ってただけなんだからね!」

「はいはい、そーですか」

 面倒臭そうに聞き流す冷たいヨーネスだが、やはり傍にいると楽しいし嬉しかった。彼が消えないで、本当によかった。心からそう思ってしまうと、今度こそ涙が止まらなくなる。

「サブキャラ如きが変な勘違いしてんじゃないわよ!」

「そりゃあ悪ぅございましたね」

 言い返す言葉はあまりにも淡白だが、それでいい。それでこそのヨーネスなのだから。

「……ふふ、今度こそ一件落着って感じかしら」

 勾椿は込み上げてくる笑いを堪えつつ、口元に手を添えながら柚に囁いた。

「やっぱり仲良しですね、フィルアさんとおにぃ」

 柚奈も彼女を真似て返事をした。

「あとそこ! 聞こえてるからね!」

 地獄耳は、どんな小言でも聞き逃さないらしい。フィルアはきちんと2人に反論した。向きになる彼女に、油を注ぐヨーネスは相変わらず辛辣な言葉をさらりと吐いた。

「ったく、その地獄耳は襲われる前に使って欲しかったですね」

「わ、悪かったわね!」

 照れを必死に隠そうとするフィルアを、ヨーネスはまたいじりだす。

 そうして、中身のささやかで偉大な活躍に気付く訳もなく、データ達は楽しそうに笑っていた。

「って、中身がログインするみたい。みんな、定位置に戻りなさい!」

「はーい」

 メインの号令に従うサブキャラ達。またフィルアとヨーネスのログイン時間で揉め事が起こるかもしれないけれど、彼らがそれを楽しんでいるのだから悪くないだろう。

2月までにPVアクセス10万以上になったら、続編書こうかなぁと思っています。

まあそんなにいかないだろうから、続編はナシの方向で。


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