魂の形
「人という生き物はとても不思議です」
炎駒はゆるりと頬を撫でる。そうして思索に耽る哲学者のような眼差しをわずかに細めた。
「誘惑に弱く欲に忠実で自分のことしか考えず、浅慮で短慮で徳をないがしろにし、外見の美しさにばかりかまけて魂の有り様には恐ろしく無頓着。倫理にもとる行為を平然と行って仁道を踏みにじり顧みることもしない。そんな人間、この世の中には掃いて捨てるほどいます。かと思えば、欲を持たず他人を思いやり、深慮の果てに自身の命すら投げ出して一片の悔いも見せない者も、少ないけれど確実に存在する」
長身の聖獣は真っ直ぐな眼差しを十座に向けると、あなたの周りにもそういう人間がいたのではありませんかと静かに問うた。
「…どうして…なぜ、そうお思いになるのですか」
瞬時に浮かんだのは今はなき友の顔だ。
十座は瞠目し、浅く喘いだ。隠し切れない動揺は、その問いの正しさを何よりも能弁に表していた。
炎駒はふわりと破顔すると、
「そういう稀有な魂を持つ人間に愛された人間は見れば分かります。彼らはどんな穢れにまみれても芯まで穢れることがない。血にまみれ穢れを総身にまとってなお、美しい魂の形を残し続ける。――十座、あなたのように」
「…炎、駒」
絶句する十座に、炎駒はすべてを包み込むような笑顔を見せた。驚いたことに、すぐさま異を唱えそうな角端ですら、ほんのりとした微苦笑をその幼い面に上らせて黙って十座を見つめている。
「秋濫は奇跡のように美しい魂を持つとても強い人でした」
――地央は奇跡のように美しい魂を持つとても強い男だった――
赤い髪の麒麟の言葉は、さながら天上の楽の音のようだ。
「その秋濫が愛した真白はだからすごく強いんだ。強くて最高に綺麗な魂を持ってる」
――その地央が友とよんだ十座もまた強いんだ――
優しい言葉に眩暈がした。
追従する黒い髪の麒麟の言葉は、深い慈愛に満ちている。
万感の思いを込めたこの言葉だけで、目の前の二頭の麒麟がどんな風に真白を見守ってきたのか、十座には分かる気がした。
麒麟は仁の生き物。
仁そのものの無垢な魂を、彼らはどれほどに愛で慈しんできたのだろうか。
「私と角端が死にかけていた真白を拾った時、あの子はまだたった八つだったんです。体も心もボロボロの傷だらけで、生きているのが不思議に思えるほどでした」
「…誰がそんなことを」
十座はギリと歯を食いしばる。八つと言えば、十座は司馬家の総領として何不自由のない暮らしをしていた年齢だ。たとえどんな境遇にあろうと、守られるべき子供の年のはずで。
「そんなの経堂に決まってンだろうが。自分のことしか考えてねえ馬鹿どもが、寄ってたかって真白をあんな目にあわせやがったんだ」
夜色の瞳はやりきれない怒りに染まっている。
「真白は経堂の家でどんな仕打ちを受けたのか、私たちには決して言いません。言えば、麒麟である私たちを傷つけると思ってるんでしょう」
「…真白が、あいつが一体何をしたっていうんです。真眼を持っていたとしても、まだたった八歳の子供じゃないですか!」
たまらず十座は叫んだ。今の真白が傷つくだけでも十分に耐え難いのだ。頑是無い子供の真白がそれほどに痛めつけられる理由が理解できなかった。叩きつけるように言った十座は、だから返された答えに愕然と言葉を失うことになる。
「経堂は真眼持ちを同じ人とは思っていないからですよ。真眼だと知れた時点で、その子供は硬く拘束され死ぬまで監禁されます。光も碌に射さない地下牢に四肢を括られ閉じ込めて、生涯外に出ることもかなわない。誰だって自分の心の奥を読まれたくはないでしょう。特に、むごいことをしている自覚があれば尚のこと見られたくはない。そういうことです」
そうして経堂は罪の意識すら地下に埋め、汚い心に蓋をしてきた。あの美しい白い町が不浄のものをことごとく綺麗な石で覆い隠していたように。
「そんな…だったら、別に牢に閉じ込めなくてもいいじゃないですか。元々は人のいない山の中にいたんだし。他にやりようはいくらでも――」
必死に言い募る十座を炎駒は悲しげに遮る。
「真眼は経堂にとり大事な資産。自由にさせる気などないのですよ。終生閉じ込めて、できるだけ多くの子を産ませる。真眼はそのための道具です。真眼の生む子は、ほぼ例外なく眼を持って生まれる。ただその為だけに、彼らは真眼を使うのです」
育てるのではなく飼うのですらなく「使う」のだと。
淡々と炎駒はそう言った。
経堂において真白は壊れるまで使い込む有用な道具だったから。