赤い妖
「やれやれ、つくづく物騒なお人だ」
絶妙の一手は、しかし突如現れた見知らぬ男に目前で止められていた。
十座の両目が怒気を湛えて男を射抜く。
「貴様、何者だ。いつ湧いて出た」
「湧いて出たとはまた酷い。これでも命の恩人ですよ。あなたのね」
「恩人だと…貴様が?」
胡乱な目で見る十座に、男は「はい」とのんびり答えるとニコリと笑った。
背がおどろくほど高い。年の頃なら十座と同じくらいの、艶やかな赤毛の男である。つり上がった両目も同じく血のように赤い。その浅黒い額の真中に、盛り上がった突起―――角だ―――が一つ。
この男、人ではないのだ。
「恩人だからといって、恩着せがましいことは言いたくないですが、血に狂った妖たちを追い払うのは、それはもう大変だったんですよ。その上、傷の手当てをして寝床も与えて。それで殺されては堪りません」
「助けてくれと頼んだ覚えはない」
「確かに頼まれた覚えはありませんが、あなたは命の恩人殺して寝覚めが悪くはないんですか」
呆れたような物言いは、まるで世話話の延長のような気軽さだ。
十座はぐっと奥歯を噛みしめた。赤毛の男は丸腰だった。男は素手で十座の手首を押さえ、寸前で刀を止めていたのだ。ギリギリと骨の軋む音がする。大して力を入れているようにも見えないのに、十座は腕をぴくりとも動かせない。並の腕力ではないのだ。
「恩人だと。ふざけるな。貴様は妖だろう。妖なんぞ何匹切ろうが、寝覚めが悪くなるはずがない。そこの女も大方化け物、妖物の類なのだろう。行きがけの駄賃だ。女も貴様もまとめて斬る。妖は敵だ」
「化け物…それはまた、聞き捨てならぬことをおっしゃる」
一瞬で空気が冷えた心地がした。十座は喉元からせり上がってくる恐怖心と闘いながら、唇を噛んだ。どうやら言ってはならぬことを言ってしまったらしいが、そんなこと知ったことか。赤毛の男は口元に笑みを湛えながら、万力の様に十座の手首を絞めつけにかかる。そのあまりの痛みに、十座の喉から悲鳴が漏れる。
「ぐあっ!」
「確かに私は人ではない。しかし、私も、そしてこの娘もあなたほど血で穢れてはいませんよ。その様に血にまみれた手をして我らを化け物と呼ぶあなたは、それでは一体何なのでしょう。人でありさえすれば、どんな無体も許されるとでもおっしゃるか」
凄まじい力だった。十座はもはや声もなく、血の気の失せた顔に苦痛の色を浮かべてひたすら耐えるばかりだ。
「黙れっ!…くッ」
「折角助けてさしあげたのに、なんとまあ助け甲斐のないお人だ。それとも、恩を仇で返すのが人の流儀なのですか」
「う、るさい。…妖の、言うことな、ど、聞く耳…持た…ん」
「人の話は聞けても、妖の話は聞けないとおっしゃる」
「当…たり前…だ」
苦痛に顔をゆがめながらも、十座は男を睨みつける。その暗い闇のような眼差しに、男がすっと目を細める。
「……炎駒、もういい。離してあげて」
静かで悲しい声だった。女の声が聞こえた途端、十座の腕が自由になる。男が手を離したのだ。支えを失った十座は、がっくりとその場に肘をついた。
男――炎駒はその様子を冷やかに見下ろすと、振り返って女の方に向き直った。ゆっくりと手を伸ばし、その白い髪を優しく撫でながら、
「顔を上げて下さい、真白。そんな顔しないで。もう何もしませんから」
そう言って何事もなかったような顔で、俯く女に微笑みかけた。
「うん…分かってる。ありがと」
女――真白はなぜだか今にも泣きそうな顔をしていた。その顔に、十座は湧き上がるような強い憤りを感じてまなじりを吊り上げた。
「なぜお前が礼を言うんだ。それに、もう何もしないだと。なら俺が今ここで貴様らを殺してやろうか」
十座はゆらりと立ち上がると、両手で刀を構えなおした。炎駒に握られていた腕がジンジンと痛むが、構っている余裕はない。
妖は敵だ。
人語を解するほど力の強い妖の言うことなど、到底信用できはしない。助けられたのは事実だろうが、そこに裏がないと思うほど十座はお人よしではなかった。なにより、この妖はどうしようもなく胡散臭いのだ。
赤毛の妖は、いかにも面倒くさそうに肩をすくめると、
「どうします、真白。この人間、本気で私たちを斬る気ですよ。だったらいっそのこと」
スッと手で首を切る振りをする。
「やっちゃいますか」
「できもしない事言うな、炎駒。兎に角、私は御免だよ。せっかく助けたのに傷つけるなんてできない。そういうのは―――嫌だ」
真白は形の良い眉を顰めて、吐き捨てるように言った。
「そうですね。私も殺生は嫌です。……真白は本当に良い子だ」
このいけすかない人間と違ってと炎駒が笑うと、真白は「当たり前だよ」としかめ面した。
「こんなのと一緒にされたら迷惑だから」