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秋濫と一ノ葉 2

「秋濫は、私が女なのになぜ眼なのか不思議に思っている」


 一ノ葉は相変わらず部屋の隅に張り付くように身を寄せて呟いた。視線は壁に向けたまま、頑迷なまでにこちらを見ようとはしない。

 眼である少女との会話は、秋濫にとって驚きの連続だった。なによりこちらが言葉を発する必要がまるでないことに驚嘆する。本当に思っただけですべてが伝わってしまうのだ。

 経堂の眼は代々男子にのみのはずだ。少なくとも、秋濫はそう聞いて育った。その疑問が脳裏をかすめた途端のその問いだった。


「正しくは私は眼じゃない」


 秋濫の疑問はすぐに伝わった。口を開く前に一ノ葉が答える。


「経堂の女子に現れる力を真眼という。めったに生まれないから、経堂でも知っているのは本家だけ。秋濫は分家だから」


 知らなかったのね、と秋濫は頷く。

 成程それにしても、シンガンか。しんがんって、そういえばどういう字を書くのだろう。ふと、秋濫がそう心に浮かべると、


「真実の真に眼と書く」


 打てば響くように答えが返って、思わず秋濫は微笑んだ。この子はとても聡い。それになんて便利なのだろう。こうも間違いなく気持ちがチキンと伝わるなんて、そうそうある話ではない。秋濫が真剣に感心した途端、


「便利じゃなくて普通は気持ち悪いという」


 そうきっぱりと返されて、秋濫は目を丸くする。ああやっぱりね、と独りごちた。秋濫は、自分が他人からどう思われているのかよく心得ているつもりだ。

 分家の変わり者。

 若い娘が華やかに装うでもなく同年代の者と交じわることもせず、たった一人で山に籠って日がな一日薬草摘みばかりしているのだ。当然と言えば当然の評価だった。

 秋濫は薬師なのだ。

 様々な薬草を採取し、煎じたり砕いて丸薬にしたりと何かと忙しい。元来、他人に合わせて生きるのが苦手な性分で、気楽な一人暮らしを楽しんでさえいたのだ。月に一度か二度、里に下りて薬を売る。病人がいれば見ることもあった。秋濫の薬は良く効くと評判だったので、日々の暮らしには困らなかった。

 そうやって今まで淡々と生きてきた。不満も不足も特に感じたこともない。

 

 ――ということは、だ。


 つらつら考えて秋濫は勝手に納得した。やはり自分は普通じゃないのだ。秋濫は素直にそう思い、それはそれで楽しくていいと結論付けてニコリとした。


「秋濫は……本当に変わってる」


 一ノ葉が表情らしい表情を見せたのは、これが初めてだ。ひどく面食らったような、なんとも頼りなげな顔でそれきり押し黙る。その顔が初めて年齢相当に幼く見えたので、秋濫はなんだか嬉しくて堪らなくなった。そしてじっと目の前の少女を見つめ、ふふふと笑う。ああ、この子はなんて可愛いのだろう。抱きしめたらびっくりするだろうか。嫌われてしまうのは少し、いやものすごく寂しい。でも触りたい。撫で回したい。

 秋濫の想いは次々と溢れ出して止め処がない。


「な、撫で、回す…」

「あ」


 ハッと我にかえって一ノ葉を見ると、絶句したまま固まっている。ぽかんと口を開けた顔は、どこから見ても幼子のそれで。


「えっと」


 秋濫はもう我慢できなかった。

 この胸に渦巻く気持ちを、どうしても自分で伝えたい。だからできる限り早口で言った。心を読まれてしまう前に、心で伝えてしまう前に。自分の口からちゃんと言葉で伝えたい。そう思ったから。

 焦れた挙句、初めに口から飛び出した言葉はだから「好きなの」というただ一言で。一ノ葉の更に茫然とした顔に、想いが次々先走る。


「私、一ノ葉が大好きなの。だからここに一緒に居てほしい。私は薬師だから、きっと一ノ葉の心も守れると思うんだ。たとえ守りきれないで一ノ葉に傷つけられても、私は絶対に後悔したりしない。私はこの通り頑丈だから、簡単には殺されたりしないよ。きっと大丈夫だから」


 根拠なんてなに一つ示せなかった、それでも。

 あなたに傍にいてほしい。

 それだけは本当の気持ちで。一ノ葉が大好きだから、一人でいいなんて言わないでほしい。あんな寂しい所に戻るなんて悲しすぎる。私と一緒に生きてくれないだろうか。

 言い始めたら止まらなくなった。秋濫は思いつくまましゃべり続けて、急に黙った。口を開けて固まったままの一ノ葉の顔を、心配そうに見る。


「えーっと、大丈夫?一ノ葉。…まあ、でもいいわ。なんたって気持ちはちゃんと伝わるんだもの」


 やっぱり便利だとしみじみ言うと、一ノ葉の顔がくしゃりと歪んだ。


「…秋濫は…本当に…私と、一緒に、いたい、の?――怖く、ない?」


 私みたいな化け物。


 か細い声は頼りなく、その細い体はフルフルと瘧のように震えている。逸らすことを忘れた眼差しには、わずかな期待と希望と。そして、それを上回る不安とが落ちつかなげに揺れる。


「化け物か。一ノ葉が化け物なら、そうね、うん、怖くないよ」


 秋濫は躊躇わなかった。躊躇ってはならないと分かっていた。


「だって私一ノ葉が好きだもの。だから、化け物の一ノ葉と一緒にいたいわ」


 それはまるで魔法のようで。

 秋濫の言葉に嘘はない。なによりも心は決して嘘をつけないのだ。真実の言葉は一ノ葉の心を緩やかに満たし暖めた。闇に半ば喰われかけた心がフワリと軽くなる。

 綺麗だ。

 一ノ葉はうっとりと目を閉じた。この人の心は、まるで降り積もる雪のように真っ白で、そして輝く太陽のように暖かい。生まれおちてから一度も心安らいだことのない一ノ葉にとって、人との接触は不快でただただ恐ろしいばかりだったのに。差し出した手が握り返される。柔らかく抱きしめられて心の中が温かくなる。自分の両目から流れ続けるモノがなんなのか。一ノ葉はその名さえ知らなかった。






 それから三年の間、一ノ葉は秋濫と一緒に暮らした。心を通わせ共に笑い共に泣き、その身に過ぎる力と折り合いをつける為、共に知恵を絞った。

 そうして――

 一ノ葉が七歳になった年の夏、一ノ葉は経堂本家に連れ戻されることになる。

 頑なに受け入れを拒否していた本家当主の妻が、不慮の事故で亡くなったのだ。一ノ葉は秋濫と引き離され、一人本家に戻されている。

 一ノ葉が全身傷だらけのボロ雑巾のような姿で二頭の麒麟に拾われることになるのは、それからわずか一年後のこと。経堂の家で何があったのか、優しい麒麟たちに彼女はなに一つ語らなかった。語ったのは秋濫との暮らしと別れのみ。

 経堂秋濫は一ノ葉を助けて死んだ。一ノ葉を生涯かけて守り通し、断末魔の苦しい息の下でさえ太陽のように明るく微笑んで。


「生きて」


 自分の分まで、と決して秋濫は口にしなかった。

 別れの時、無数の矢に刺し貫かれ血で赤く染まった両眼は、しかし最後まで希望を失わうことはなかった。一ノ葉の目をしっかりと見据え、潰された喉の代わりに心で、秋濫は伝えた。


「恨まないで。人も、そして自分自身も」


 自分は自分の分を十分生きた。悔いはない。だから、一ノ葉は一ノ葉の命を生きないといけない。


「あなたは化け物なんかじゃない。愛してる。私の可愛い――娘」


 どうか、どうか幸せに。

 声もなく唇が微笑みをかたどる。

 残された力すべてで愛し子の背を押して、秋濫は最後の瞬間すら笑顔のままだった。






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