秋濫と一ノ葉 1
荒れ果てた部屋の隅で、その子供はたった一人でうずくまっていた。
経堂秋濫が姉の家を訪れたのは、冬将軍の到来も近い、よく晴れた日の午後のことだった。
秋濫の姉、藍夏はもうすぐ四歳になる娘を置いて男と消えた。藍夏は本家当主の囲い者だったから、その娘は当主の娘ということになる。経堂の家は血筋を何より重んじる。それゆえ娘は本来ならば本家が引き取るのが筋だった。しかし、当主の妻である泗水はそれを頑なに拒否する。現当主には、泗水との間に二人の男子を含む計四人の子供がすでにいた上に、腹違いの子供を三人も引き取って育てていたから、泗水にしてみればもうこれ以上は我慢ならぬと、そういうことだったらしい。
本家の嫡男、流奏は眼だ。
流奏がいれば本家の血筋はほぼ万全であり、当主にしても妾腹のそれも女子である娘を、悋気のきつい嫁を怒らせてまで家に入れるつもりはなかったらしい。引き取りたいという秋濫の申し出は、特に反対されることなくスンナリと受け入れられたのだ。
藍夏の娘の名は一ノ葉といった。
その幼い姪を迎えに行った先で、秋濫は生涯忘れえないだろう光景を目の当たりにすることとなる。冷え切った室内はひどく荒れ果て、足の踏み場もなく。明かり一つない薄暗い部屋の隅っこに、その娘は小さい体をさらに小さくしてうずくまっていた。痩せこけて顔色が悪く、薄汚れた体からはなんともいえない異臭がした。そしてなによりその瞳。
大きく見開かれた双眸は、次の瞬間にはまるで見てはいけないものを見てしまったかのようにあからさまに逸らされた。一瞬だけ見えた瞳の中には、幼い子供のものとも思えない深い懊悩の色があった。
「…なんて惨いことを、姉さん」
たった四年だ。秋濫は絶句した。この娘は、まだそれだけの年月しか生きてはいないというのに。その瞳に浮かぶあまりに深い絶望に、秋濫の心は引き裂かれそうだった。秋濫は思わず駆け寄ると、有無を言わさず一ノ葉をその腕に抱きしめた。
その途端、
「うあ、ああああああああああああ!!」
一ノ葉は魂ぎるような悲鳴を上げ気を失った。そうして丸二日目覚めず、秋濫を死ぬほど心配させたのだ。
「秋濫は私にかかわらない方がいい」
――私みたいな化け物に。
目を覚ましてすぐ、一ノ葉ははっきりとそう言った。
痩せっぽっちのひどい顔色をした小さな娘は、寝台の隅に身を押し付けるようにして小刻みにその身を震わせていた。一度も鋏を入れられたことはないのだろう。経堂特有の薄茶の髪だけが、その痩せた体を包み込んでいる。その一際暗い両の瞳はさながら手負いの獣のようだった。少女は何もかも見透かすような眼差しを、その痩せた掌に落としたままで再度言った。
「私はもうじき壊れる。壊れたら、誰にも私を止められない。秋濫も傷つける。殺してしまうかもしれない」
そういうのは嫌だ。
と、少女は俯いたまま哀願するように両手を揉み絞った。
「だから、私にかかわらないで。元の場所に戻して。一人にして」
「なぜ」
私の名前を知っているのか、と秋濫が問う前に少女は感情のない声で淡々と答えた。
「あなたの名前は経堂秋濫。経堂藍夏の異母妹で年は二十歳。双輪山の峠近くで一人暮らしをしている。あなたがどうして来たのか私は知っている。あなたが誰かも全部。そして私が何者なのかも」
ほんの少し見ただけで、色々な事を見透かされた。秋濫は驚いて、まじまじと一ノ葉を見つめた。間違いない。この小さな娘は、何もかも「知って」いるのだ。
――ああ、そうか。この冷えた海底のような瞳は。これが、
「あなたは眼なのね」
少女はこくりと頷いた。頑なに俯いたままで。