真眼 2
「真眼…ですか。それは聞き覚えがありませんが。どう違うのですか」
「んー、そうですねえ。違いは簡単。男が眼で女が真眼なのです」
「そだな」
角端がこくりと頷く。えっ?と大きな声を出したのは十座だ。
「ちょ、ちょっと待ってください。確か眼というのは男子にしか継承されないはずですよ。女子にはいないと聞いていますが」
眼は男系にのみ現れる。これは司馬でなくても知っている世間の常識だ。
「ええ、そう言われてますね、表向きは。でも、それ間違いなんですよ」
「それは…どういう意味ですか」
「どういう意味もこういう意味もねーんだよ。馬鹿かテメエ。あのな、ホントの眼ってのは元々女のもんなの。男はおまけ」
イラッとした顔で睨みつけたものの、結構丁寧に説明するあたり角端もやはり麒麟なのだ。妙なところで感心する十座を睨み上げながら、角端は律儀に先を続ける。
「テメエらが知ってる「眼」ってのは、まあ本来の能力からすりゃあ残り香程度のモンにすぎねーんだ。俺に言わせりゃ多少他の人より良く見えるって程度のどーってことない代物さ。まあ、それ知ってんのは同じ経堂でも本家筋だけみてーだけどな。分家含めて誰も知らねえ経堂の秘事なんだよ」
本来の眼の持ち主を、経堂は真眼持ちあるいは真眼憑きと呼ぶという。真眼は希少な眼に比べても更に数少なく、ここ数世代にわたって出現すらしていないと麒麟は言った。
「真眼憑きですか。はじめて聞きました。では眼より実力は上なんですね」
「上なんてものじゃありません。真眼の力は凄まじいものです」
真眼は相手の心のすべてを読み取る。それも洗いざらい、と炎駒は言った。
「それだけじゃねーぞ、真眼はすべての術の本質を見切っちまうんだ」
「それは、つまり見ただけで会得できるということですか。まさかそんなことが」
「ある訳ねえと思うだろ。ところが、そのまさかなんだよ。正真正銘、言葉通りのそのまんまさ。どんなモンだろうが関係ねえ。呪術でも幻術でも術者が使う術なら、たった一度見ただけで完全に自分のものにしちまうんだよ。真眼持ちってのはさ」
角端は不自然に言葉を切ると「怖えよな」ぽつりと呟いた。
正直にわかには信じられない話である。これが麒麟から聞く話でなかったら、そもそも相手にさえしないようなお話だ。
「真眼の力は、時に高位の妖すら凌駕するものです」
炎駒は言った。
そんな力が脆弱な人という器に入り切るはずかないのだ、と。
「あれは本来人が持つべき力ではない。女の眼が存在しないと思われているのは、単に長生きできないからなのです。人は誰しも、程度の差こそあれ心中に闇を住まわせている生き物。その見たくもない心の内がみんな見えるというのは地獄です。それも物心付く時にはもう煩いぐらいに聞こえたり見えたりしてしまう。それを防ぐ手立てがないのでは、体の前にまず精神が持ちません」
考えたくもない話だった。十座はぶるりと身を震わせた。人がどれほど汚いものを身の内に宿す事ができるか、十座ほど知り尽くしている者はいるまい。
十座の心の闇は深い。それは時に自分でも顔を背けたくなるほどに醜く暗くおぞましい闇だ。冗談ではなかった。そんなもの知られたくないし、知りたくもない。
「耐えられませんね、俺にはとても」
「十座だけじゃありません。そもそも人に耐えられる力ではないのですから」
その優しい響きに十座の肩から力が抜ける。炎駒は穏やかに微笑むと、淡々と続けた。
「力というものは、制御できてこそ真の力。行使する力と抑制する力の両方があって初めて使える力となるのです。でも真眼にあるのは行使する力のみ。まあ、そもそも人に抑えられるような力ではないのですから始末に負えません。真眼持ちはどれほど苦しくても、目の前の人間の心の闇から目を逸らすことができない。拒むことができないのです」
「じゃあ真眼持ちはどうなるんだ」
ぞくりと嫌な予感に背筋が凍る。十座は思わず問い詰めるように身を乗り出した。
なぜこんな話を自分に聞かせるのか。麒麟の意図が分からない。
まさか――。
「妖や獣ならともかく、人になんざ耐えられねーよ。大の男にだって無理なのに、よりによって年端もいかねえガキだぞ。耐えられずに死ぬんだ、心が」
吐き出すように答えたのは、黒い麒麟の方だった。
「真眼持ちが正気を保てるのは、精々もって十まです。それ以上はまず耐えられない。力の器たる体の方も、二十歳まではとてももたないようです。ひどい話だと思いませんか、十座」
炎駒はそう言って泣き笑いのような表情を浮かべた。
「真白はその真眼持ちです」
それはまるで静かなる嘆きだ。
経堂一ノ葉。
黒藍の双眸を持つ少女は、故郷の白い街でそう呼ばれていた。