真眼 1
「ここから真っ直ぐ西南の方角に双春江があり、その河口に界斉の都はあります」
炎駒は語る。
表情は淡々としたものだったが、その声には何とはなしに苦いものが含まれて、この話が決して愉快なものではないと教えてくれた。
「十座も司馬でしたら聞いたことくらいはあるでしょう」
司馬家は諸国でも有数の船主であり貿易商。炎を纏って天を仰ぐ黒馬の紋章をいただいた商船は、どんな辺境の港にでも碇を下ろす。自然、司馬家の人間は、他国の情勢にも明るいのが常だった。
「界斉…というと号の界斉市のことでしょうか。なら、仕事で何度か訪れたことがありますが」
紛れもなく十座もそうした司馬の男の一人であった。考え込むこともなく、すんなりと答える。
「界斉は、たしか号国の一番北にある街ですよね」
「流石、よくご存知ですね。そうです。北方の白き胡蝶と謳われる北の都が界斉です。角ちゃんは行ったことありましたっけ」
「界斉はねえよ」
どんなだ、と聞く顔は無邪気で、とても齢五百年の霊獣とは思えない。
「ああ、そういえば角ちゃんが行った時分は、まだ界斉とは呼ばれていませんでしたか」
「うん、そんな気取った名前じゃなかった。あそこら辺一帯は…たしか北波って呼ばれてた気がすンな。人なんかほとんど住んでなくて、森と草原と海だけの静かなトコだった気がする」
かつて北波と呼ばれた北の地は、今から百五十年ほど前の政変により界斉とその名を変えていた。角端は少しだけ懐かしむような顔で腕を組んだ。炎駒が頷く。
「私は行ったことがありますよ、界斉。白い石でできた建物が沢山あって、上からだと町全体がまるで雪が降った後のように見えました。清潔そうな街でしたね。不浄のものなぞ一欠片もないような」
まるで良くないもの全てを覆い隠すかのごとく。
炎駒は低く呟くと、突如その顔から一切の表情を消してしまった。穏やかな麒麟が一瞬だけ見せた、それは強い憤りで。なぜかと訝しく思いながらも、十座は答える。
「その白い石が有名な界斉の英石です。あれほど質の良い英石は、界斉でしか産出しないと言われています。界斉の海は他より緑の色が濃い。晴れた日の海からの景色は、一見の価値がありますよ。海の緑と空の青と町の白がそれぞれ競い合うように鮮やかで、それはそれは見事なものです」
「そうですか」
そのたった一言に込められた響きに、十座は驚いて目を見張った。少なくとも、この麒麟にはまるで似つかわしくないヒヤリとするほど冷たい声だったのだ。なぜかは分からない。だが、ひどく嫌な予感がした。
「その界斉が、なにか」
「界斉をご存知なら、当然経堂のこともご存知ですよね」
「ええ、もちろん。経堂家を抜きにあそこで商売はできません」
経堂家は号国一の名家。司馬には及ばないものの、歴史の古い豪商である。
界斉で何か商おうとする者は、まず経堂家を通すのがしきたりだった。
「こと商に関しては、国主も物乞いも同列の司馬にしたらバカらしいことでしょうが、その経堂です。それでしたら、彼らがなんて呼ばれているかもご存知ですね」
「それは…眼の一族、ですか」
経堂は、またの名を眼の一族と称する。
経堂家には、時折「眼」と呼ばれる特殊な能力を持った子供が生まれてくる。それが所以だ。
「噂では、眼を持つ者は人の心を読むとか」
さしもの老練な司馬の商人たちでさえ、皆一様に経堂の眼を恐れていた。眼には商売の駆け引きが通用しない。そういう話を、十座はかつて幾度となく聞かされてきたのだ。
炎駒は満足そうに頷くと、
「これはいかに司馬でも知らないことでしょうが、実は眼には二種類あるんです。通常知られている眼ともう一つ。真実の真に眼と書いて、真眼」
「真眼…」
聞いたこともなかった。