黒麒 2
ちょっとした勘違いです、と言ったのは炎駒だ。
勘違いで本物の雷を落とされてはたまったものではないのだが、賢明にも十座は何も言わなかった。
「まあ、これで数日は妖たちも近寄らないだろうし」
と笑顔で真白。
「そうそう、妖除けだと思えば問題ありませんよね」
にこやかに炎駒も頷く。
「・・・・・・・・そうですね」
実際、そこここで感じられた妖の気配は全て消えている。麒麟の雷鳴に恐れをなして、まとめて逃げ出したのだ。
恐るべし、聖獣。
十座は深いため息をつくと、気をとり直して口を開いた。
「それにしても、俺のご先祖は貴方方にえらく好かれていたようだ」
苦笑する。
「差支えなければ、蹴られた理由をお聞きたいんですが」
「理由か。いいぞ。教えてやるから、耳かっぽじってよく聞きやがれ。あのな―――省は俺に蹴られると泣くんだ」
角端はそう言うと、なぜだか嬉しそうに胸を張った。
「はぁ?」
「だから、何だテメエのその間抜け面は。・・・・省は、痛えとか怖えとかが、兎に角すんげえ苦手だったんだよ」
だから蹴ったと角端はあっさり言った。
「ここに居た時なんか、毎日ピーピー泣いてたし」
「・・・・泣いて・・・・そうですか」
なんだか無性に情けなくなって、十座は頬を引き攣らせた。
それにしても、と密かに思う。麒麟は慈愛の生きものなのではなかったのだろうか。
「あの泣き虫が俺に蹴られて泣かないはずねーんだ。テメエは、省と同じ顔してんのに全然泣かねーのな。つまんねーヤツ」
虫一匹殺せぬはずの聖なる獣は、心底つまらなそうに文句を言った。
「・・・・・・・・申し訳ありません」
「や、別に十座が謝らなくてもいいと思うけど」
「そうですよ。逆でしょう普通」
「いいんだよ。そもそも、コイツがこんな顔してんのが悪いんじゃねーか」
俺は悪くねーと角端は反省の色もない。
十座は額に手をあて、そうですね、と力の抜けた声を出す。もうなんだかイロイロとどうでもいい気がしてきたのだ。
「まー、兎に角ウチのおチビさんが迷惑をおかけしたのは確かですし、申し訳ありませんでした」
炎駒が何事もなかったような顔で言った。怒ったのは角端だ。
「おいコラ炎駒!なんだその聞き捨てならねー台詞は!誰がチビだ!俺か?ってお前、俺にケンカ売ってんのかっ!」
「売りませんよ、そんなもの。それに売られたって買ってあげませんよ。ふふふふ」
「またそうやって笑って誤魔化そうとしても、俺は誤魔化されねーぞっ!」
「でも、いつもそうやって誤魔化されてくれるじゃないですか、角ちゃんて」
「角ちゃん言うな!」
目を三角にして憤る麒麟を眺めつつ、「角端は子供扱いすると怒るんだ」と真白が十座に耳打ちする。子供のようななりはしていても、すでに数百年生きているのだとも。
「・・・・・・・アレで俺より年上なのか・・・・」
十座は頭痛を堪えるために、こめかみをぐいと押した。
「真白また泣かせやがったら、ただじゃおかねーかんな。覚悟しろよ」
去り際、角端は十座の襟首を角が触れるほど引き寄せると、にっこり笑顔で恫喝した。
「俺が優しい麒麟サンだからって、何もできねーとか思ったら大間違いだぞ、オイコラ人間。要は、自分の手汚さなきゃいいってだけの話なんだからな。俺に従う妖なんぞ、ここには掃いて捨てるほどいるんだ。それ忘れんなよコラ、この顔だけ司馬省!!」
「・・・・・顔だけ・・・・」
絶句する十座を横目に、真白が取り成すように言う。
「あのね、角端。一応、この人間にも名前があるんだよ。呼んでやろうよ」
「えー、いくら真白の頼みでもヤダ。呼びたくねーもん。俺コイツ嫌いだし」
「こらこら、角ちゃん。そんな我侭言っちゃ十座が可哀想ですよ。それに、私たちの力をもってすれば十座なんて瞬き一つで消し炭にできるなんて分かり切った事、改めて教えてあげなくても十座もちゃーんと分かってますから」
笑顔で同調した赤の麒麟は、さらりと恐ろしいことを言った。
「・・・俺は絶対に何もいたしません」
辛うじて頷けば、二頭の麒麟はにこりと笑う。
十座は一人笑えなかった。