涙のわけ 2
「お前、・・・人のことだと思って無茶苦茶言うな。まあ、確かに俺は馬鹿だが」
「なんでそう簡単に認めるの!そういうのが馬鹿だって言ってるのよ!」
その全てを諦めたような顔が気に食わない。真白は更に憤る。くしゃりと顔を歪めると、真白は俯いて唇を噛んだ。この男は勝手に一人で死のうとしている。どれほど沢山の思いをかけられて生きてきたのか、気づくこともないままに。
「あなたを助けたその地央って人は、踏み台にされたなんて思ってないよ。化け物命がけで守る馬鹿がどこにいる?あなたは妖でも化け物でもない。人だよ。切れば血が出るし、嬉しければ笑うし、悲しければ泣く人間なの。自分で自分を貶めるのはやめなよ。それが命がけで助けてくれた友だちを踏みにじることだって、なんで気付かないの!」
「お前になにがわかるんだ。何も知らないくせに、知った風な口をきくな!」
無性に腹が立って十座は怒鳴り返した。
今まで誰に何を言われても何も感じなかった心が、軋みを上げて揺れている。真白の言葉は十座の胸をかき乱した。もうとうに死んだはずの暖かい心を。強く。
「うるさい!あなたみたいな馬鹿の言うことなんか知るわけない。勝手に悲劇の主人公気取って、大事にしてくれた人の気持ちも分かろうとしない馬鹿やろうのことなんか知るか!」
「なんだと」
「あなたを助けて死んだ人間は、復讐してほしいって言った?恨みをはらして欲しいってあなたに頼んだの?そんなはずない。その人はね、ただあなたに生きていてほしかったんだよ。そのために、大事な自分の命までかけた。あなたが大切な友達だったから!」
地央の人生は地央だけのもの。十座の人生が十座だけのものであるように。
運命もまた同じ。
あなたは他人の運命まで背負う気なのと真白は叫んだ。復讐するということは、そういうことだと。
「死んだ奴の分までなんて生きられないし、そんな必要どこにもない。大切なのは、助けられたその命が尽きるまで自分の分を生きることだけだよ」
「分かった風な口をきくな!地央は俺のせいで死んだんだぞ!」
「でも、それを選んだのはその人だよ!」
残酷な言葉を、しかし真白は躊躇なく口にした。
「自分の命とあなたの命、それを両方天秤にかけて、あなたを選んだんだよ、その地央っていう人は。あなたに自分の命を賭けるだけの価値があると信じて、自分の意思でやったんだよ。自分の命を惜しまない者なんかいない。悩まなかったはずも、怖くなかったはずもないのに、そこまでして残した命を簡単に捨てようとするのが馬鹿じゃなくてなんなのさ!あなたの命は、簡単に投げ捨てていいような命じゃないよ!」
大声で怒鳴ると真白は大きく腕を広げた。そのまま、呆然としている十座を強く抱きしめる。
「ほら、聞こえる」
心臓の鼓動が。トクトクと力強く動くその音が。獣だろうが妖だろうが人だろうが。生あるものの、それは確かな命の鼓動だ。
十座はハッと息を呑み、怯えたように体を強張らせた。この腕の温かさは危険だ。うっかり身をゆだねれば最後、自分の中の何かが変わる。決して忘れないはずの、否忘れてはいけないものを失ってしまう。そんな恐ろしい予感がした。
「その人は死んでしまったけど、あなたはまだ生きている」
きっぱりと真白は言った。それは、まるで自分自身に言い聞かせるようでもあり、ここにはいない誰かに宣言するかのようでもあった。
「助けられたあなたには、生き続ける義務がある。大切に幸せに生きる義務があるんだよ。復讐のためにドブに捨てるくらいなら、死ぬ気で生きてみたらどうなのさ。その方がよほどその人の為になる。粗末になんてしたら、私がそいつの代わりにあなたをぶっ飛ばしてやる!」
「・・・そう言うことはぶっ飛ばす前に言えよ。全く・・お前は何でそんな風に・・・」
―――あいつと同じように言うんだ。
呟いたと同時に頬が温かくなった。自分が泣いていることに気付いて、十座は言葉を失った。二年前のあの時から、どれほど辛くても流れることのなかった涙が今、頬を伝う。
頭が真っ白になって押し黙れば、聞こえてくるのは互いの心臓の音だけで。
白いうなじの先には満天の星空。
真白の体温がじんわり伝わって、その温かさに十座はますます混乱した。
「・・・馬鹿はどっちだ。なぜ俺なんかのために、お前がそんなに泣かなきゃならない」
―――なぜ真白は泣いているのだろう。
―――なぜ自分は泣いているのだろう。
問いの答えは夜の闇に紛れ、探す手立てを持たない男はひたすらに途方に暮れる。迷子のように。
ため息は重く深く。
脳裏に浮かぶのは、今はなき海の男の笑い顔。黙って死ぬなと言いながら一人でさっさと旅立ってしまった、あの忌々しいほど真っすぐな大きな男の、大らかで明るい笑顔だ。
そう言えば、あいつはどんな時でも笑っていた。追い詰められ後のない状況でも、常に前を向き希望を失わなかった強く逞しい、海の―――宣の男。
―――泣くな、十座。宣の男が涙なんぞ見せるな、馬鹿やろうが。
目を細め広い肩を揺らし、頭の中の地央はいつだって笑っている。
あいつは今の自分を見てなんと思うだろう。十座はそれが無性に気にかかった。