涙のわけ 1
その後のことを、十座はほとんど覚えていない。
獣のような咆哮をあげて、向かってくるものはすべて斬り捨てた。
妖もいたし人もいた。尋常でない数だったはずだが、そのすべてを殺しつくして十座は走り続けた。
斬りながら走り、走りながら斬った。
それからまる二年が経った。
龍に会い、龍爪刀を手にいれ、連准を斬る。そして、すべてを終わらせる。
十座の願いはただそれだけだった。生き残るつもりも、生きながらえる気ももはやなく。
死ぬために、ただ生きてきた。
「俺が妖を憎むのは、家族や友を殺されたからじゃない。自分と似ているからだ。俺は大勢の人の命を踏み台にして生き延びてきた。なんと浅ましくおぞましい命だと思わないか。こうして俺が息をするだけで、美しいものは穢され尊いものは失われる。こんな醜いモノを人と呼んでいいわけがない。地央が死んだとき、俺の中の人も一緒に死んだ。今の俺は妖同然、いや妖以下の化け物だ」
喜びも楽しみも、悲しいと思う心すら失った。ただ深い憎悪だけを握りしめて、十座は今まで抜け殻のような生を生きてきたのだ。
「・・・あなたは本当に」
呟きはかすかに震えを帯びて途切れた。
―――馬鹿だよ、人間。
声なき声は優しく、そしてどうしようもなく哀しい。
「何を・・・」
と言いかけた十座が見たものは、悲しみと、そしてそれを大きく凌駕する怒りに満ちた黒藍の瞳。キッとまなじりを吊り上げた真白に睨みつけられ、十座は思わず息を呑む。
「お前、一体何を怒って―――」
「何で私が怒ってるか分からない?だからあなたは馬鹿だって言ったの!聞こえなかった?なら何度でも言ってあげるよ、この馬鹿!」
威勢のいい啖呵と同時に、バチンと頬に衝撃が走る。聞き返す間もあらばこそ、気が付けば十座は力いっぱい横面を張り飛ばされていた。
「だからどうして殴―――」
「どうしてじゃない!あなたがあんまり馬鹿だから、目を覚まさせてやっただけ!感謝して!」
「お前なあ・・・」
呆れて口を開いたが、しかし十座は結局眉をひそめただけで黙ってしまった。馬鹿と罵られ殴られて。それでも少しも怒りが沸いてこないのが不思議だった。僅かでも歯向かうものは全て、老若男女区別なく斬り捨ててきた自分が、こんな小娘相手に逆らうことなく諾々とされるがままになっている。そう考えると可笑しかった。
強気な言葉とは裏腹の泣き出しそうな顔、振り上げた掌も心配になるくらい細く華奢で。十座が少しでも抗ったら逆に壊してしまいそうで怖くなる。
「・・・・何で殴られた俺よりお前のほうが痛そうなんだ」
おかしなヤツだ。
そんな十座の呟きを無視し、白い髪をゆらして、真白は容赦なく腕を振り上げ、今度は拳で十座の胸を叩き始める。
「痛い・・・」
「当たり前でしょ、痛くなるように殴ったんだから!この馬鹿!」
怒りに体を震わせて、ほのかに蒸気する頬を十座は驚いた顔で見上げた。
「・・・いや、だからなぜお前が泣く」
「知らないよ、そんなの!あなたが泣きたくなるくらい馬鹿だからじゃないの!」
焦れたように十座の両肩を掴んで、真白はもう一度馬鹿となじった。大粒の涙が頬を伝って、ポタポタと十座の胸元に落ちる。暖かい雫はじわりじわりと冷え切った男の胸を侵食する。
―――まるで陽だまりにいるようだ。
十座は心の中で呟くと、戸惑いを隠すように目を伏せた。
無理やり浮かべた微笑は、ただひたすらに苦かった。