友
十座をそこから救い出したのは、巨体の船乗り。円地央だった。円家の敷地内にある古井戸は、底にいくつも横穴があって四方につながる通路になっている。
「この井戸を掘ったのが円継。つまり俺のひいひいじいさんってわけだ」
風のように現れるや有無を言わせず十座を牢から掻っ攫った男は、変わりモンだがすごいだろうと胸を張った。縄で拘束されたままの十座を軽々と肩に担ぎあげ、地央はするすると井戸を下りる。そのまま横穴を抜け、長い通路を走り出した。
「このままいけば町はずれの森までいける。簾丈あたりまで行けば外海に出る船に乗れるだろう」
「おい、離せ、地央。なんでこんなことするんだ!」
やっと緩んだ口枷の隙間から十座が怒鳴った。命などもうどうでもよかったのに、「どうして」と唇を震わせる。
たとえどこに逃げようと、その先にはなにもないのに―――なぜ助ける。
大切な人は皆死んでしまった。闇雲に差し出した手は何一つ救えず、命はまるで砂のように指の間から零れ落ちて消えた。
連准は十座が子供の頃から慕った男だった。
物静かで賢い連准叔父は、いつも十座に色々な知識を教え導いてくれる教師でもあったのだ。信じていた連准の裏切りは大きな傷となり、十座は生きる意志そのものを見失った。
絶望は時に人の心を殺す。
刃物が傷つけるよりも深い、直ることのない傷は徐々に徐々に十座の心を蝕んでいき―――そうしてこのまま死んでしまうつもりでいたのに。なぜ。
「なぜだと?馬鹿か、お前は。ダチ助けるのに理由なんぞいるか!」
なのにこの男は、呵呵と笑ってそう言うのだ。
「馬鹿はお前だ、地央。俺は人殺しなんだぞ!お前の友なんかじゃない。人殺しに友なんかいない!」
「お前は誰も殺しちゃいないだろうが!」
死に物狂いで暴れても、海の男は小揺るぎもしない。地央は大声で怒鳴り返すと、動くんじゃねえよと言って笑った。
「大人しくしてろ、十座。落っことされてえのか」
「ふざけるな、地央!いいから早く俺を放せ!やったのは俺なんだ。牢に戻せ!」
十座を助けたと分かれば、地央もきっと殺される。これ以上、大切な人を失うなんて耐えられない。そんな十座の必死の抵抗も空しく、地央の背中はビクともしない。
「下手糞な嘘だな、おい、十座。お前がどんなヤツかなんざ、この俺様が一番よく知ってんだ。一体、何年の付き合いだと思ってやがる。お前のことだ、大方そのまま黙って大人しく死ぬつもりなんだろうが、そんなことさせるか。言っとくが、俺がこうするのはお前のためなんかじゃねえからな。そこんとこ履き違えるなよ。これは俺のけじめだ。お前が考えてるような終わり方じゃ俺が嫌なんだよ。お前がどうしたいかなんぞ俺の知ったことか。んなこたあ俺には関係ねえんだよ。お前は俺の大事なダチで、助けたいから助ける。それだけのことだ」
地央の言葉はいつもの通り呆れるくらい単純で迷いがない。若い船乗りはそう言うと、またカラカラと笑った。十座は絶望に駆られて唇を噛みしめる。長い付き合いなのはお互い様で。
こうなった時の地央を止められる者はいない。いつだって地央は、自分のやりたいようにやる男だから。
ボロボロと涙を流しながら、それでも十座は懇願した。
「頼む、地央。頼むから俺を置いて行ってくれ。こんなことがバレたら、お前だってタダでは済まないんだぞ!間違いなく首が飛ぶ!俺はお前が死ぬのは嫌だ!これ以上、俺は何も失いたくない!」
「失いたくなきゃ失わなきゃいいだけの話じゃねえか。泣くな、バカ野郎。仮にも宣の男が情けねえ声出すんじゃねえよ」
ここを曲がればすぐに出口だと言って笑った顔が、十座が友を見た最後になった。
爆音とともに吹っ飛ばされ、十座はしばらく気絶していたらしい。
濃密な妖の気配に身を起こし、解けた縄を振り棄てる。足元に転がっていた地央のものらしい大刀を拾い上げ、十座は砂塵の中に声をかけた。
「地央、大丈夫か?」
返事はない。
途端に開けた視界の先に、転がるモノ。
目の前に横たわる大きな背中には、首が、なかった。