表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京タクシー物語  作者: Akira


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/6

ランチタイム

7月下旬、午前11時過ぎ。

五反田駅周辺のオフィス街で朝のラッシュを捌ききり、その後、光が丘団地の広大な敷地で最後のお客さんを降ろした。

早朝から都心を駆け巡り、絶え間なく続く陽炎とエンジンの熱で、私のワイシャツは背中に張り付いている。

メーターを「回送」へ切り替え、練馬区の幹線道路である川越街道へと針路をとった。

車窓を流れる景色は、真夏の強烈な陽光で白く飛んでいる。日勤専属ドライバーにとって、この時間は単なる移動ではない。一日の折り返し地点であり、最も過酷な時間帯を乗り切るための「儀式」へ向かう旅路だ。

やがて左手に、使い込まれた看板が見えてきた。川越街道沿いに店を構えるラーメン屋だ。

パーキングに車を滑り込ませ、エンジンを切る。途端に車内を支配していたエアコンの冷気が霧散し、練馬の熱風が肌を刺した。私はネクタイを外し、ワイシャツの第一ボタンを指で解く。このひと手間が、戦いから休息へのスイッチだ。

引き戸を開けると、冷房の効いた空間とともに、丼から立ち上る湯気が視界に入る。カウンターの隅に腰を下ろし、店主の顔を見て静かに告げる。

「チャーシュー麺、お願いします」

丼が運ばれてくるまでの数分間、私は目を閉じ、一日ハンドルを握り続けてきた両手の痺れをほぐした。

目の前に置かれたチャーシュー麺は、器を覆い尽くすほどの肉の花が咲いている。レンゲでスープを一口すする。濃厚でありながら、不思議と重さを感じさせないこの魚介豚骨スープが、疲れた身体の隅々まで染み渡る。

まずは麺を大きく持ち上げ、勢いよく啜る。小麦の香りとスープが絡み合い、食道を通って胃に落ちる感覚がたまらない。次に、箸で持ち上げただけでホロリと崩れそうなチャーシューを頬張る。脂身の甘みが口の中に広がり、それを追いかけるようにスープをもう一口。魚介の出汁が効いた豚骨のコクが、肉の旨味をより際立たせる。

夢中で箸を動かす。額から滴り落ちる汗も気にならない。五反田からここまでの道のり、そして午後の都心へと戻る長い時間の狭間。この小さなカウンターこそが、日勤ドライバーが唯一、自分を取り戻せる聖域だ。

最後の一滴までスープを飲み干し、丼を戻す。店を出て、真夏の陽光を再び浴びると、腹の底からじわりと熱い力が湧き上がってくるのがわかった。

タクシーに戻り、外気温計を確認する。40度近い数字に溜息をつく代わりに、私は軽く笑った。

緩んだネクタイを締め直し、ワイシャツの襟を正す。

再びエンジンをかけると、涼しい風が車内を満たした。これからまた、長い午後の渋滞と戦いへと戻っていく。だが不思議と、今の私は少しだけ冷静だ。ミラー越しに映る自分の顔に、微かな闘志が戻っているのを確かめて、私は再び車を滑り出させた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ