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東京タクシー物語  作者: Akira


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2/6

2組目 聞いてもいいですか?

7月中旬。

真夏の太陽がアスファルトを焼き、陽炎がゆらゆらと立ち昇る午後1時の中野区。私の端末にアプリ配車の受付音が鳴り響いた。指定の場所に現れたのは、真っ白なワンピースを着た20代の女性。ドアが開いた瞬間に流れ込む熱風を振り払うように、彼女は後部座席に滑り込んできた。

「羽田空港まで……第2ターミナル。初台から高速に乗ってください」

行き先を確認し、メーターを入れる。車内の冷気と、彼女が纏うシトラスの香りが混ざり合い、密室の空気はやがて穏やかに落ち着いていった。


車は初台出入口から首都高へ。山手トンネルのオレンジ色の光が、一定のリズムで彼女の横顔を照らす。沈黙を破ったのは、彼女の少しいたずらっぽい質問だった。

「ねえ、運転手さん。私みたいにアプリで急に呼んで、空港までなんて言う客、正直**『苦手だな』**って思ったりします? どんなお客さんが一番困りますか?」

私はバックミラー越しに苦笑いしながら、ハンドルの感触を確かめた。

「そうですね……。正直に申し上げると、いくつか『冷や汗をかくパターン』があるんですよ」

私は、運転手の「困った客」について、少し躊躇いながら話し始めた。


1. 「アプリの予定時間」に固執して怒る方

「渋滞での数分の遅れを『嘘をつくな!』と詰め寄られると、安全運転を保つのが精一杯になります」

彼女は ハッとしたようにスマホを見つめ、「……実は私も、さっきまで到着が遅いってイライラしてました。数字に追われると、余裕がなくなっちゃいますね」ときまり悪そうに画面を伏せた。


2. 高圧的に「支配」しようとする方

「道順を聞けば『自分で考えろ』と怒鳴られ、お任せで走れば『遠回りだ』と詰め寄られる。対話が成立しない空間は、薄氷の上を走るような緊張感があります」

彼女は 「うわぁ……」と顔をしかめ、自分の肩を抱くように身をすくめた。「それ、ハラスメントじゃないですか。密室でそれをやられるのは怖い。私なら泣いちゃうかも」


3. 「急いで!」と時計の針を押し付けてくる方

「赤信号のたびに舌打ちをされると、精神的に追い詰められます。焦って事故を起こせば目的地に一生着けなくなってしまう。そのジレンマを理解していただけないのは寂しいものです」

彼女はハッと息を呑み、前の車をじっと見つめた。「そうですよね……。私、自分の焦りを運転手さんに押し付けようとしてたんだって、今気づきました」


4. 夏の「泥酔客」や「今ここにいない人」と戦う方

「車内でずっと誰かと電話で怒鳴り合いをしている方など、心が『今この瞬間』にいない方を見ると、もったいないなと感じてしまいます」

彼女は深く頷き、窓の外の景色を眺めた。「今の私だ……。中野の会社のことばかり考えて、この涼しい車内の快適さを全然楽しめてませんでした」


5. シートベルト着用を拒む方

「時速100キロ近い高速では、ベルトのない体は衝突時に車外へ放り出される恐れがあります。お客様を無傷で届けるための『最後の砦』を『説教』と受け取られてしまうのは本当に切ないです」

彼女は、真剣な表情でベルトが締まっているかを確認した。「『説教』じゃなくて、『心配』してくれてたんですね。……カチッて音が、なんだかお守りみたいに聞こえてきました」


大井ジャンクションを抜け、視界に真っ青な東京湾が飛び込んできた。

「お客様、今のお客様は最高のお客様ですよ。ちゃんとこの時間を『旅』として楽しもうとされている。任せてもらえる方が、結果的に一番スムーズに走れるものなんです」

彼女は窓の外、キラキラと輝く海を見つめながら、柔らかい表情で呟いた。

「……贅沢ですね。急がない旅って」

羽田空港、出発ロビー。車が滑らかに停車し、メーターを止める。

アプリ決済の完了音が鳴り、端末に金額が表示された。

「11,400円(高速料金込み)ですね」

彼女はスマホに届いた決済通知を確認すると、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔で私を振り返った。

「運転手さん、お話ありがとうございました。なんだか、すごく救われました。……行ってきます!」

真っ白なワンピースを揺らしながら、彼女は灼熱の街から、さらに広い空の世界へと吸い込まれていった。

彼女を降ろした後の後部座席は、少しだけ軽くなったような気がしました。

タクシーの運転手という仕事は、一日に何十人もの人生の「断片」を預かります。行き先を告げる声のトーン、ドアを閉める強さ。私たちはバックミラー越しに、その人の「今」をそっと見守ることしかできません。

今回、彼女に語った「困った客」の話は、実は私自身の自戒でもありました。数字や時間に追われ、目の前の景色や人を疎かにしてしまうのは、現代を生きる私たち全員が陥りやすい罠だからです。

なお、今回彼女に語りきれなかった「困ったお客様」とのさらに深いエピソードについては、また別の機会に詳しく綴ってみようと思います。それは、この仕事の厳しさと、人間という生き物の不思議さをより象徴する物語になるはずですから。

「お話ありがとうございました。なんだか、すごく救われました」

彼女が最後に残したその言葉は、次にハンドルを握る私の心も、確かに救ってくれました。

11,400円という数字では測れない何かが、あの50分間の首都高には流れていたのだと信じています。

今日もまた、アプリの通知音が鳴り響きます。

次はどんな「物語」を乗せて、私は走るのでしょうか。

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