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空へ

 僕はあの日から同じ夢を見ている。




──無謀だ! イーギス! 引き返せ!




 僕の頭の中で繰り返されるのは同じ光景。繰り返される街に響き渡る実況のスピーカー。その響きは乾いた空に霧散した。


 誰よりも優勝を期待されていた伝説のパイロットである兄さん、イーギス・フロイトは千年に一度現れるとされる砂嵐、通称「カパラの壁」に消えた。その瞬間、カパラ国民から熱気が失せた。


 僕は国民の誰よりも兄さんを近くで見ていて、誰よりも兄さんを知っていて、誰よりも兄さんを信じていた。




──お前ならできるさ。俺にもできるんだから。飛べ、フロント。お前にもイーギスの血が流れているんだから。




 兄さんはそう言っていた。


 誰もが兄さんの消息を絶望するなか、僕だけはそれを受け入れることができずにいた。


 


 消息を絶ったレースの日、実況を伝える国営放送をただぼんやりと眺めることしかできなかったくせに……。


 


 砂と風の国「カパラ」


 この国には大陸三大祭りのうちの一つ、カパラ航空レースがある。


 大戦中に同盟国であった隣国が敵国に襲われ、窮地を救いに飛び立った若きエースパイロットたちに由来し、以後数十年にわたり終戦記念日を盛り上げる一大イベントになっている。


 この国の男なら誰でも憧れるパイロット。誰に教わるでもなく、技術は自然と受け継がれ、その過程で派手な演出も悪い先輩なんかから伝わる。乗れることが普通だし、空中で回転する回数が多いほど女の子にもモテる。そういうものらしい。


 でも僕にはそんなことは関係ない。


 怖いし、そんなことできなくても僕の人生はきっと平凡に過ぎていく。だからずっと耐えてきた。学校が終わるまで、大人になれば何かが変わるって……。


 年に一度の特別な日に、僕は学校に植えてあるヤシの木にしがみついていた。もちろん僕の意思じゃない、そうしないとならない状況になってしまっていた。


「おい、今日でお前も十五だろ? そんな調子で航空レースに出られるのかよ?」


「ジン、お前まさかフロントが航空レースに出られるとでも思ってたのかよ?」


「兄貴が伝説でも、こいつがポンコツじゃ乗せる飛行機もかわいそうだぜ」


 僕が全身から脂汗を流しながら必死に重力に抵抗している間にもジンとカンとダンは、足を震えが止まらない僕を嘲笑する。


「いいから梯子持って来てよ……! こんな高さに教科書投げられちゃ授業ができないよ……」


 青々と茂るヤシの葉の間におそらく三人のうちの誰かが投げ捨てた僕の教科書が見えた。


「なんで俺らに指図するんだよ? これは誰かがお前に対して与えた試練で、これを乗り越えないと立派な大人にはなれない。俺らはそんな試練に立ち向かう友達を間近で応援したいだけの単なるお人よしだろうがよ」


 ようやく手が届きそうになった瞬間、真下にやってきたジンが思い切り幹を蹴とばし、伸ばした手は虚しく空を切る。応援したいだけの友達が、幹を蹴るはずがないだろ?


 おかげで数センチ体躯が下がる。同時に、胃液が喉をせり上げる。出来るだけ下を見ないようにと周囲を見渡す努力はしているけど、かえってそれが逆効果になりうることだってある。


 市場に並ぶ赤い果物、それを買い求める若い女性と値切りに応じない店主。その隣には木材でできた簡素なおもちゃを親にねだる子供なんていて、普段なら決して校門が遮って見ることのできない高さがある景色。見れるということは、すなわちそういう視点に僕がいるということを指す。冷静にそんなことを考えている間にも、血の気が引いて意識が遠のいてきた。


「おいあいつまた気絶しかけてるよ」


「誰かマチルダ先生呼んで来いよ! また内股でわたわた走ってくるぞ!」


「そいつは名案だな! もたもたするな! マチルダ先生が授業に行く前に呼びに行くんだ」


 僕はもう誰が何を言ったのか聞き取れないほど、落下への恐怖で頭が支配されていた。落ちたくない、落ちたたら……。


 どこか遠いところから何か鈍い音がして、気が付けば足元に何か固いものが。


「早く下りてきなさい。フロント、あんたほんとに伝説のパイロット、イーギス・フロイトの弟なの?」


「う、うるさいなぁ……。別に僕だって好きでこんなところに上ったわけじゃないのに」


「そういうことじゃなくて、お兄さんならあんな奴らになめられなかったってこと」


 ようやくどこにも落ちることのない限界点に足を落ち着けた僕は、改めてお礼を言うことにする。


「でもありがとうリンクス。助かったよ」


「もう! 次からは自分で何とかするのよ?」


「えー!? いいじゃないかもう一回くらい助けてくれても」


「もういい加減私に甘えない! 今日誕生日なんでしょ?」


 僕をいつも助けてくれる幼馴染のアローネ・リンクス。大きな瞳、黒くてつやのある髪、僕なんかよりずっと頼りになる女の子。


「だって……、いつも……、たすっけて…………」


「はいはいもう……泣くなフロント! もうすぐ授業だよ? 早くいかないとマチルダ先生も泣いちゃうでしょ」


 泣いちゃえばなんでも許してもらえるなんて思ったことは一度もない。でも、僕はこうして困ったときには必ず助けてくれるリンクスのことが好きだった。


「はい、じゃあ次のページを……」


 僕は社会の授業が好きだった。いじめられる毎日でも、特別な瞬間が訪れるときがくる。航空レースを間近に控えた今日、それは訪れる。


「大陸歴三年、大きな戦争が隣の国サンドランドを襲いました。唯一のオアシスを敵兵に奪われたサンドランドの国民は、乾きに苦しみました。そこで飛び立ったのが我が国の英雄たちです」


「はい、リンクスさんそこまで。皆さんも知っての通り、カパラとサンドランドはとても仲がいいですね。戦争の時もお互い何か起きた時は助け合おうと約束した仲でした。皆さんも、友達が困っていたら決して見捨てず、助けてあげてください。それが人であり、カパラの英雄とも謳われたイーギス君のお兄さんが伝えたかったことだと、先生は思います」


 マチルダ先生は普段はおとなしく、何か事件が起きた時はあたふたと動くだけで何もできない先生だけど、この話題になったときだけは元気になる。


 僕も同じだ。兄さんの名前を聞く時だけは、一人じゃない。


「そんなにフロントの兄貴はすごかったんですか? 親父に聞いてもそんなことはないって言ってました」


「何を言うんですか!? 航空レース三連覇はいまだに誰にも破られたことはないし、彼ほど風に愛されたパイロットは居ない。カン君のお父さんがいうのはおそらく、彼にはギャラリーを沸かせる技術、すなわち曲技飛行ができなかったと言いたいんでしょう。それはわかりやすく言うと……」


「先生落ち着いて。普段おとなしい癖に航空レースになると興奮するんだから」


 僕が少しだけ兄さんの話題に照れる中、誰かが言った言葉でクラスが沸いた。


「でも、兄貴は兄貴でしょ? もういないし、弟はヤシの木さえ女の子の助けがないと下りられないポンコツだろ」


「こら! カン君! ……ごめんね、フロント君。先生ついこの話題を出しちゃって」


「……いいんです。もう昔の話だし、事実ですから」


 僕は兄さんとは違う。臆病で、甘えてばかりで、泣き虫で、あの時も僕は何もできないままずっと立っていた。


「兄貴にできて弟にできないなんて誰が決めつけたのよ!? 何がトレーニングよ聞いてあきれちゃう。あんな方法で高所恐怖症が克服出来たら今頃あんたのおつむももう少しましになったでしょうよ! 先生に聞いたわよ? あんたまだ掛け算もできないそうじゃない?」


 リンクスが口を大きく開けて、カンに怒鳴っていた。


「ばっ……、バカじゃねぇの? もう俺だって今年で十五だぞ? そんなもんわからねーわけぇだろ? 第一、あんなもんトレーニングなわけねーだろ。俺らだってたまたま通りかかってたまたま見かけたんだから……」


「そうよね? まともなトレーニングさえすればできるようになるわよね? よし、あんたら三人、誰でもいいわ。航空レースに出なさい。フロントが相手してあげるわ」


「いいぃっ!?」


 驚きのあまり、変な声が出てしまって余計にみんなの注目を浴びてしまった僕は立ち上がるリンクスを見上げていた。


「じょ、上等だよ! 負けたらどうするんだよ?」


「負けたら?」


「そうだよ。俺ら三人だって出る予定じゃないんだし、俺はともかくジンは去年のチャンピオンだ。喧嘩売られてだまってられるかよ」


「いいわ。フロントが負けたらなんでも言うこと聞いてあげる。ただし、フロントが勝ったらもうフロントをバカにしないこと! いい!?」


「いいだろう。後で後悔しても遅いからな!?」


 大変なことになってしまった……。


 僕は学校からの帰り道、一人家へと向かっていた。もう日が暮れる。夕日は僕を後ろから照らし、真っ赤な日差しの中に僕の影だけが長く伸びる。日が暮れてしまえばもう今日やれることはない。大陸一大きなオアシスがある国だといっても、国民の貧富の差は激しい。僕の家は電気も通っていない。暗くなればランプの明かりで照らせるけど、よほどのことじゃない限りは父さんは許さない。


 父さんは設計士だった。毎日仕事熱心に働いて、休みになっても模型を作っては僕たち兄弟に飛行機のすばらしさを永遠と語っていた。兄さんが乗るはずだった飛行機もそう。父さんが設計した特別なものだった。父さんが設計した特別な飛行機に特別な兄さんが乗る。それは僕にとってもわくわくすることだったし、楽しみでもあった。でも、それが叶うことはなかった。


 些細な事だった。設計にしか興味を示さない父さんが、兄さんの出るレースを見に来るという話だった。


 それが父さんの会社の都合でなくなってしまった。兄さんはひどく落ち込んだ。そして、父さんへの日ごろの怒りが乗る機種を変えた。


 それから父さんは会社を辞めた。僕が家につくと必ずお酒を飲むようになっていた。


 はっきり言うとうちに飛行機を買えるようなお金はない。父さんももうきっとそんなツテはない。


 僕の能力どうのよりももっと現実的な問題をリンクスは知っているのだろうか。


 そういえば最近、リンクスはうちに遊びに来ない。兄さんが生きていた時は、三人で仲良く飛行機の模型で遊んでいたのに。


「なぁにそんなに暗い顔して! そんな顔してたら天空神アイテール様に嫌われちゃうぞ!」


 後ろから肩を急にたたかれて誰の仕業か思いつく。


「またその話? リンクスも信心深いから急に突拍子もないこと言い始めて……」


「仕方ないでしょ? こうでもしないとあいつらまたあんたに突っかかってくるんだから」


「僕にはできないよ……、悪いけど僕は……」


「勇気がないのよ。君は。それだけだと私は思う」


「勇気だけじゃどうにもならないこともあるよ」


「勇気がなかったら名機もただの鉄の塊よ? 飛び方は私がレクチャーしてあげる。びゅーんって加速したらぱって飛べばいいの」


「そんな感覚の問題?」


「物は試しよ」


「そんな無責任な……」


「今日はもう遅いからまた明日。まずは飛行機をどうにかしないとね」


 僕はリンクスの誘いを断ることもできなかった。


 怖い。でも、けど。そんな思いがずっとあった。


 僕の家には小さな泉がある。国が持っている大きなものとは違うから人に水を売ることはできないけど、その代わり僕と父さんの飲み水になっていて、その周りにはヤシの木が数本。その実を売って生活のお金にしている。魚も住んでいて、それも食べたり売ったり。


「ただいま」僕は鞄と砂埃よけのゴーグルをテーブルに置く。


「早かったな……もうそんな時間か」父さんは茶色い液体が入った小瓶を一口飲む。僕のほうを見ずに、ずっと泉越しのヤシの木のほうを見ている。……兄さんが事故を起こしたアムール砂漠の方角だ。


「今夕飯の支度をするよ。昨日泉で大きなハタハタを見かけたんだ」


「そうか……。あの魚は焼くのがうまい」


 飛行機のこと、話すべきなんだろう。でも、父さんには話すことはできなかった。父さんはもう飛行機とは関係のない生活を送っている。父さんは飛行機を捨てたんだ。


 部屋の奥の僕の部屋から釣り具を持って来て父さんの隣へ。こうして二人で魚が釣れるまで夕日を眺める。それが僕ら家族の日常だった。


 時折父さんが僕の竿を借りて釣りをするけど、僕のほうがそれに関しては才能があるらしく、釣れたことはない。でもやめない。本人が言うには、「雰囲気を楽しむ」らしい。


「フロント、お前今日何かいいことあったか?」


「どうして急に?」


「珍しくうれしそうじゃないか。いつもは浮かない顔して戻ってくるくせに」


「実は、リンクスに勉強を教わることになって……」


 僕は嘘をついた。本当のことを話したら、きっと父さんは正気でいられなくなる。


「ほぅ、お前あの子が好きなのか」


「そ、そうじゃなくて!! 昔みたいに……、この家に来てくれたら少しは賑やかかなって」


「そうかそうか……。勉強はいいぞ。かしこくなればこんな貧乏にならなくても済む。飛行機に乗らなくても最新の車でどこまででも行ける」


 やっぱり父さんは飛行機を避けている。あからさまに、見たくない過去をずっと見ているのに。


「でさ……。あの……お願いがあるんだけど」


「どうした? 言ってみろ?」


 父さんは僕が珍しくねだるものだから、座っていた椅子の横のテーブルに飲んでいた小瓶を置いて僕に胸をそらす。


「飛行機が欲しんだ……。む、無理ならいいよ。別に。リンクスが父さんの飛行機を見たいっていうからさ」


「模型でもいいんだろ? 倉庫にあるだろ」


「あの……。ちゃんと、飛ぶ奴を……」


「……お前、飛行機に興味があるのか?」


「あ、いやっ、その。そうじゃなくて……」


「明日は無理だ。それより、フロントあたりが来てるぞ……!」


「え!? あ! ちょっ!!」


 見ると僕の握てっていた竿に強烈なしなりが起きていた。間違いなく、これはこの間見かけたハタハタだ。泉が透明なおかげでよく見える。


 


 泉側に開け放たれたガレージ兼キッチン兼ダイニングで父さんが器用に火を起こす。ファイヤーピストンとかいう方法で、海の向こうの島国の人たちが昔からやっていた方法らしい。ガレージにあった細いパイプを組み合わせて、機材をこしらえた。


 カンッという音がガレージ兼キッチン兼ダイニングに響く。鉄パイプから抜き出した棒の先端に赤い火が灯っていた。


 明日は無理だ。僕はその言葉に少し安心した。だってそれを伝えればもしかしたらリンクスもあきらめてくれるじゃないか。


 釣れた魚に包丁を入れて、はらわたを抜く。そうして父さんの起こした火であぶれば、イーギス家特製の白身魚の炙りが完成する。


 兄さんはどう思ったんだろう。約束された出来事が起こらなくなって、結末が最悪な方向へと転んだとき。


 例えばこの魚を食べてくれる人がいなくなったとき、この魚を兄さんはどうしただろうか。




それからどういうわけか父さんが毎朝どこかへ出かけていた。


 朝食は僕だけ食べるよう言われていて、学校へ行こうとする時間になっても帰ってこなかった。


 さすがに僕が学校から戻るころにはいつものように、泉で冷やしてい茶色い液体の入った小瓶をたしなんでいたけど、どこに言っていたのか聞いてもちょっとした宝探しとだけ言って何をしてきたのか話してはくれなかった。


 そのおおよそ一週間くらい。僕はリンクスを避けていた。帰りも一人で帰ったし、ジンたちにまた何かいたずらをされないように先生の周りをうろうろして自分の身を守っていた。


 仮に、まともに話をしてしまったらきっと言いくるめられる。好奇心はないこともないけど……、いざとなるとやっぱり怖い。


 だから逃げて逃げて逃げて、甘い汁をすする日を僕は愛おしくさえ感じていた。


 ところが、そんな甘美な日常は長くは続かない。


 しびれを切らしたリンクスが、僕の家の前で仁王立ちをしていた。機嫌が悪いのは目の動きで分かる。


「で、どうして私を避けるの?」


「ごめん、宿題あるから」


「そんなもん夜にでもやればいいじゃない。今日は満月なんだし」


 東洋の方では月明かりで勉強をしたという子供がいるらしいけど、僕のことではない。


「レース、逃げないよね?」


「まさか……。でも、今はそれどころじゃないから」


「ほんと? 逃げてない? ならどうして私の目をみてものを言えないの?」


 尋問されると言葉が詰まる。だって本当は何もしてないし、逃げていたから。レースもうやむやになってしまえばそれでいいとさえ思っていた。


「もういい……。おじさんに直接話す」


「ちょっ……、それだけは」


 僕がリンクスの服をつかむより早く、リンクスは僕の家の敷地内に入ってしまう。僕も後ろを追いかけるも、泉のほとりで父さんと目が合ってしまう。


 なんだか気まずそうな父さんは、後ろに何か巨大なものを隠している。巨大なので隠しようもないのだけど、それをどうやら磨いていたらしい。


「おじさん、ちょっといい?」


「なんだ? リンクスじゃないか。元気にしてたか?」


「話があるの」


「悪いがもう少しで磨き終わるんだ。後にしてくれないか?」


「磨いてる……?」


「あぁ、実はこの間フロントに飛行機をせがませてな……」


【飛行】のあたりですでにリンクスは動いていた。


 父さんの背後の巨大な何か。ボロをかぶせられただけのサプライズにしては隠し方が甘い、人が乗れそうなほど大きいものは……。


「飛行機だ……」


 僕は息をのんだ。布越しではあるけど、フォルムに重みがある。まるで博物館に展示してある模型そのもののよう。


 生きてる。


 どういうわけか、その言葉が一番しっくりくる機体だった。


「お前が俺にねだるなんてそうそうないからな。旧軍事施設を回って廃品回収をしていた。使えないものでも、俺の手にかかればこんなもんだ」


「まさか、私を驚かせるためにこんな……?」


 ちらっと父さんが僕のほうをみて少し考えたのは気のせいだろうか。できればそうであってほしいと僕は願った。


「すまなんなリンクス。フロントから口止めをされていた」


「父さん!」と言ってしまった。後から思ったのは、この発言は父さんのいった嘘を肯定する意味に聞こえてしまう。


「機体はおんぼろだが練習機としては十分だろう。ただ、問題がある。機体の問題ではない、俺の問題だ」


 翼を磨いていた父さんはそういうと僕に向き直る。


「レースには使用しないこと。カパラの壁が現れる予兆がみられたら直ちに使用を中断すること、野暮な乗り方はしないこと。これらが守れない場合は、俺がこいつを焼却処分する」


「大丈夫よ。フロント、これから大きくなるのに車じゃ移動が大変でしょ? 私が乗り方教えてあげるの! いいでしょおじさん?」


 リンクスは呆然としていた僕にさりげなく目配せをする。要するにここは自分が何とかするからお前は黙ってろってことなんだろう。


「……まぁ、仕方ない。フロント、くれぐれも注意するんだぞ? 慣れないうちはあまり高度を上げるな。それと、仲良くな?」


 どこか薄い笑みを浮かべた父さんが布をはぎとる。そこにはプロペラを挟むように翼があった。


「でもおじさん、軍事施設からの廃品を集めてきたってことは……」


「安心しろ。すべての武器弾薬は外してある」


「でも、国旗とかはどうなるの?」


「お前も、気にしすぎだ。ちゃんと塗りつぶしてある。ここまでして敵国が攻めてきたなどと妄想を膨らませる奴は、よほどの軍事マニアか、それを政治利用したいだけの頭のおかしな政治家位だろ」


 砂漠の国の不便なところは三つある。


 一つは水事情。地下水でもなければ物の三日で干上がってしまう。


 二つ目は、口にするものすべてに砂が混じるということ。パンにしろ、焼き魚にしろ、水にしろ、口にする瞬間にどころからか風が砂を運んでくる。


 そして、三つ目の問題点。車で移動するより、自力で歩いたほうが早いということ。そして、大きな戦争を経てこの国はとあるものを移動手段として考え付いた。


「私が遊びに来ていたころより、滑走路荒れたんじゃない? おじさんは自分の持ってないの?」


 莫大な土地を有している国民は、自分の家の敷地内にちょっとした滑走路を設けていて、そこから昔使っていた戦闘機で移動することを考えた。もちろん武器や弾薬は安全のために全部外すんだけど。


 僕の家の滑走路は荒れていた。砂埃で路面に引いた白線は見えなくなっていて停止位置さえよくわからないありさまだ。


 兄さんがいたころは、こんなことはなかったんだけど。


「もってないよ。兄さんがいなくなってから誰も使ってない」


 僕はまだ飛行機の操縦ができないし、今からこの突き抜けるような青空に身を投げることを想像するだけで吐き気がする。だからとりあえずここまではリンクスに運んでもらう。飛ぶほどの距離もないので、ゆっくりとした移動速度で地を這うように。僕のものになるだろうこのプロペラ機は横から見ると圧倒される。大きなプロペラは高速回転で近づくものを容赦なく切りくずし、大きな翼は知りえない場所へと僕を置き去りにするのにうってつけの装備だった。


「どうする? 後ろ乗ってみる? さすがに私もいきなり操縦しろだなんて無茶言わないから」


 操縦席から顔をのぞかせるリンクスは、どこか楽し気に笑みを浮かべていた。


「お先にどうぞ。僕はここから見ておくよ」


「じゃあ、見てて」


 リンクスは僕に向かって親指を突き立てると、けたたましいエンジン音を轟かせ僕を横切り加速していく。


 砂埃を漂わせ、徐々に速度を上げていく姿を見るのは兄さんがレースに出たあの日以来。少しだけ胸が高なっている僕がいた。


 滑走路の距離は全長一キロ。だだっ広い土地だけが取り柄の砂の国だから実現できる巨大な庭だ。その滑走路を、僕の練習機が唸り声をあげてすっと地面から離れていく。


 リンクスはいつの間に操縦できるようになったんだろう。教室で教えてくれるなんて話をされたときには、無茶な話だと顔が青ざめた。でも、現実のリンクスは僕が知っているリンクスじゃなかった。空を飛び、そのまま1回転して見せた。きっと誰か怖い先輩かなんかに教わったに違いない。そう思うとなぜだかリンクスの操縦を見る気にはなれなかった。


 きっとその先輩に教わったのは、空の飛び方だけじゃないはずだから。


 太陽と練習機が重なり、大きな影が僕の頭上を通過した。僕は滑走路わきのヤシの幹に腰を下ろし、いつものように小説を読む。


 風を感じ、気温を感じ、肌に刺さる日差しもあるけど、子供のころから僕はこの時間が一番好きだ。誰にも邪魔をされることのない僕だけの世界。その世界を壊したのが兄さんと──


「ちょっと! なんでまた本なんて読んでんのよ!? 次、フロントの番だからね!?」


 突如として僕の頭上を覆う影はいつの間にか着陸していたリンクスだった。両手を腰にあてがって、さも怒ってますよって感じだ。


「……明日にしない? もう日も暮れるし」


「明日やろうはばか野郎って言うでしょ? そんなこともその小説は教えてくれないわけ!? いいからさっさと立つ」


 言われて僕はしぶしぶ立つ。


 絞首台を前にする囚人というのはこんな気分なんだろうか。さっきまで大空を舞っていた二枚羽の機体が、僕を殺すための装置にしか見えない。足はすくみ、時間の経過とともに気持ちが小さくなりしぼんでいく……。僕はなんのためにここにいるんだろう。


 このまま時間が過ぎ去ればいいと足元を見ていたら、勝手に僕の体は意思とは関係なく前に進んでしまった。


「私の言うとおりに動かすだけよ? ほら、行くわよ」


 リンクスが僕の手を引き、どんどん機体に進んでいく。そして鉄のように固くなった僕の体を強引に操縦席に詰め込んでしまう。


 直射日光で照りつけられたシートは焼けるように熱く、思わず飛びのいてしまうところだった。


 そして、目の前には謎の計器やスイッチやコック。どれも名称も知らないし、機能も知らない。


「いい? 後ろに女の子乗せてるんだってこと忘れないで」


「そんなこと言われても僕には……」


「俺」


「え!?」


「これからは舐められないように態度も変えていかないとね」


 後ろから体を乗り出したリンクスが、僕の手をつかんでコックに置く。


「これが推進力を出すための装置。最初はゆっくり前に倒していくの。そして、機体が水平になったら元の位置に戻す。大事なのは勢いよ。フロント、あなたならできる」


 耳元でささやかれ、一気に肩の力が抜けた。


 ここまで来たら一か八かだ。


 ゆっくり加速しだした機体は次第に無重力にでもいるかのような反発作用で軽く宙に浮いた。


「あ、ああ……。僕……、俺、飛んでる……!」僕は思わず声が上ずってしまう。


「大丈夫。私がついてる。もうあなたの家なんて小さくなってる」

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